急転直下

(予兆はあった。

 長期休暇中にシャーロットが家に帰らなかったり、この数か月銀の輪亭に行っても会えなかったり。

 気をつけろと散々言っていたのだが……)


 ソフィアは手元の電報を見ながらため息をつく。

 彼女は大学の事務員から受け取ったそれを丁寧に白衣のポケットに入れてから、一旦更衣室に寄る。そして、いつも着ている白衣を脱ぎ、正装となるアカデミックガウンに着替えてから、彼女は電報を持って自身が見ているゼミ室に向かう。

 そして、ゼミ室の扉に立ち、ドアノブに手をかけたソフィアは中から聞こえてきた声に、それを回そうとする手を止めた。


『あの悪魔ァ……。またレポート突き返してきてぇ……』

『まあまあ』


 前者がオーガスタ、後者がシャーロットの声。他にも別生徒の声も聞こえてきて、中では随分ソフィアのことを好きに言っているようだった。その言葉に、ソフィアはすぐに扉を開けてやろうかとも思ったが、これからシャーロットに伝えることを考えると、ここは話が終わるまで待つことにした。


『そもそも!あの方、専門は電磁気学でしょう!?なあんで、経済学とか農学とか……』


 やや間があって、またオーガスタの声が漏れてくる。


『医学、心理学、物理、化学、地学にまで精通しているんですの!?論文まで書いてるし!』


 ソフィアはそれぞれのゼミ生に指を差していったのだな、と察する。そして、彼女は腕を組みながら小さくため息をついた。 


『勉強したって言っていましたよ』

『限度がありますわ!というか、もう卒論を書き始めないといけないって!早過ぎますわぁ!』


 この大学では4年次に卒論を書かせているのだが、ソフィアは自分が受け持っている生徒には3年次からある程度準備をさせ始めていた。技術の発展スピードが凄まじく速くなっている今の情勢では、そちらの方がむしろ負担にならないだろうと考えてのことだった。

 そんな意図を理解しているのかどうか分からないオーガスタの最後の叫びで、ある程度話がひと段落ついたらしく、ソフィアはそれを確認してから改めてドアノブに手をかけた。


「皆さんこんにちは」


 ソフィアがそう言ってゼミ室に入ってくるのに、立ち上がっていたオーガスタは引きつった顔で軽く目礼をし、シャーロット含めた他の生徒は苦笑いをしながら頭を下げ挨拶を返した。


「シャーロット・ホームズ。こちらへ」


 いつもの白衣ではなく正装のソフィアに首を傾げながらも、シャーロットは立ちあがってソフィアの元へと行く。そして、ソフィアは彼女に外に出るように促し、扉を閉めようとする。


「オーガスタ君。軽口は余り大声で言わないように」


 扉が閉まる寸前、注意だけをしたが、当のオーガスタの表情は閉まった扉に遮られてみることは叶わなかった。


「聞いていたんですか?」

「あれくらいなら構いません」


 シャーロットが困った表情で愛想笑いをしていたが、ソフィアはあれくらいなら可愛いものだろうと首を振る。そして、一つ深呼吸をしてから本題に入ることにした。


「少し、ついてきてください」

「は、はい」


 シャーロットはいつもと違った雰囲気のソフィアに戸惑いながらも、彼女の先導で使われていない教室へと入った。

 そして、ソフィアはその教室の扉をしっかりと閉めてから、静かな表情でシャーロットと向き合う。シャーロットは困惑した表情で、何が何やらと困惑げだった。


「シャーロット・ホームズ。これから伝えることはとても重要なことです。

 覚悟と、心を強く持ってください」

「……はい」


 シャーロットは尊敬する先生の言葉に、素直に一度深呼吸をして、どんな話をされても大丈夫なように覚悟をした。とはいっても、留年とかその辺りくらいの想像しかできていなかったのだが。

 ソフィアは懐から電報を取り出すと、それをシャーロットに手渡し、しっかりと彼女の目を見て口を開いた。


「お父様が亡くなられたそうです」


 シャーロットは、その後、ソフィアに様々な言葉をゆっくりと聞かされたが、その内容を理解することが出来なかった。




 ロンディニウム郊外の墓地、そこには酷く雨が降っていた。

 とある墓の前で傘も差さずに立ち尽くすのは、喪服を着た一人の女性、シャーロットだ。

 そんな彼女のことを遠くから見つめるのは、傘を差したソフィア。彼女もまた喪服を着ていて、参列者がシャーロット一人だった葬儀が終わるのを待ってから墓地へと入っていく。

 酷くぬかるんだ地面の中、ソフィアは墓の間を歩いていき、シャーロットの後ろに立つ。そして、彼女の頭上に自分の傘を掲げた。

 雨が自身を打ち付ける感触が無くなり、バラバラという雨粒が良く張られた布を叩く音に、我に返ったシャーロットはゆっくりと顔をあげた。そして、愛する父の名が刻まれた墓を、腫れた目で見つめながら口を開く。


「ありがとうございます」

「風邪をひきますよ」

「はい」


 一本しかない傘をシャーロットに差している都合上、ソフィアは長い金髪を雨に濡らしていく。そんな彼女の言葉に、シャーロットは心ここにあらずと言った雰囲気で、ただ頷くだけだった。

 ソフィアはどうしたものかと、シャーロットの小さい後姿から目を離す。すると、墓石に隠れるように真っ黒の犬がいたり、墓地の端に植えられた木がやけに静かだったりと、違和感が多くあった。


(魔法使いの死、か。惜しい人間を亡くした)


 ソフィアはアランの死を心から悼んでいた。

 とはいっても、彼女らしく自分勝手な理由もあるにはあったが。


(事件を解決する人間がいなくなったのは正直手痛い。

 エクソシストも動いているだろうが、すべて任せられるのか?まだ接触できていないから未知数だな。

 見ず知らずの人間に任せるくらいなら私が動くべきか。アスタロトへの対策もひと段落つきそうだし……)


 ソフィアがシャーロットに傘を差したまま一人思索にふけっていると、シャーロットがおもむろに視線をあげ、どこか遠くを見つめ始める。そして、抑揚のあまりない声が墓地に響き始めた。


「父は……殺されたそうです」

「……」


 ソフィアは殺されたという事実は初耳だった。ある程度予想出来ていたとはいえ、実際にその事実が実の娘から聞かされると、流石にかける言葉がない。

 しかし、それでもソフィアは何か声をかけるべきだと、口を開きかけた時、シャーロットの声がまたも呟かれた。


「通り魔で、犯人はまだ捕まっていないそうです」

「……無念でしょうが、警察が犯人を捕まえて厳罰に処すことを願いましょう」


 ソフィアは口を動かし終わった後、雨に濡れるまつ毛を伏せながら少し突き放し過ぎたかと反省する。しかし、こういう事態に慣れておらず、彼女はどう言って慰めればいいのかあまり分かってはいなかった。

 喪服を濡らす雨が段々と沁みてきて、肩に冷たいものを感じ始めた頃、ソフィアは目を開き、シャーロットの震える体を見た。


「シャーロット」


 ソフィアはあえて彼女のことを呼び捨てにした。そして、心からの言葉を紡ぎ始める。呼びかけられたシャーロットは少し横を向き、後ろに立つソフィアに意識を向けた。


「私は、君が当初の予定通りレポートと卒業論文を完成させることを期待します」


 その言葉に、シャーロットはばっと振り返り、泣きそうな顔で、唇を引き結びながらソフィアのことを見上げた。その、何かを言いたいが、心の整理が付かずに言葉が出てこないシャーロットに、ソフィアは真剣な表情で言葉を続ける。


「お父様は、何のために高い学費を工面して君のことを大学に入れたのですか?」

「そ、れは……」


 声を震わせるシャーロットに、ソフィアはアメジスト色の瞳に意思を込める。


「実際のところは私には分かりません。ですが、少なくとも、卒業はして欲しかったでしょう。

 その後は、就職なのか、結婚なのか……何を考えていたのかは分かりません。

 それはお父様関係なく、君の好きにしなさい」


 君の人生なのだから、とソフィアが言えば、シャーロットは涙を零し始める。傘を差されているから、その涙は雨粒と間違えようがなかった。一方のソフィアは雨に体を濡らし、額や頬に無数の水の痕を残していた。


「ですが、大学に在籍し、私のゼミと研究室に所属している以上、私は君のお父様から君を預かっていると言えます。

 私は、教員としての職責、一人の人としての責任をもって、お父様に恥じさせないためにも、誇りに思ってもらうためにも、君を卒業させましょう」


 シャーロットは俯き、思わず伸ばした手でソフィアの服を掴み、力強くその濡れた布を握りしめる。ソフィアはそのシャーロットの手に自分の空いている手を重ね、彼女の冷え切った拳を温め始める。


「くれぐれも、早まったことはしないように」


 ソフィアのその言葉に、はっとシャーロットが顔をあげる。なぜ?、と問いかけているようだった。だが、ソフィアはある意味、彼女のことを誰よりも理解していた。


「通り魔を憎む気持ちは……。

 もちろん、君の痛みは私には理解できません。しかし、共感はします。

 ですが、それを踏まえて言います。警察に任せなさい」


 シャーロットは上げた顔をゆっくりと下げていき、やがて泥の水たまりへと視線を落とす。彼女の亜麻色の髪はもうすでに濡れ切っていて、彼女の体は震えていた。

 ソフィアはそんな彼女のことを優しく抱きしめて、その震えが収まるのを待つ。

 やがて、その震えが止まらないことを感じ取ると、彼女の背中を何度か撫でた。


「シャーロット。体を冷やしてはお父様が心配するでしょう。今日は私の所に来なさい」

「ありがとう……ございます……っ」


 ソフィアはシャーロットの肩を抱きながら、彼女のことを自分が乗ってきた馬車へと案内する。最初から、今日は彼女のことをロンディニウムにある別邸に泊めるつもりだった。すべての準備はもうすでに整っている。

 そして、ぬかるんだ地面に二人の足跡が残されて行き、不快な水音と、シャーロットのすすり泣く声が耳を打つ中、ソフィアは次のことをもう考え始めていた。


(アランは恐らく何かを知り過ぎたことによって殺されてしまった。黒幕の規模を考えると、下手人を捕まえることはできるか?

 下手人が始末されている可能性もある。それを考えると、早急に捜索しにいかなければ……)


 ソフィアは俯くシャーロットの亜麻色の髪を見て、眉を顰める。


が無ければ、この子は答えを得るために走り出してしまう。

 そして、本編同様にアランの跡を継ぎかねない)


 復讐心、疑念、様々な思いを胸にシャーロットは父の死の真相を暴きに行くだろう。実際それが霧の都のマギの導入部分だった。その後、父の死の背後に広がる大きな闇に気が付いてしまい、彼女はそれに立ち向かっていくこととなるのだ。


(できれば、アランがその役割を担ってくれればよかったのだが)


 ソフィアは、もっとアランと深く関わっていればと後悔する。

 だが、その後悔は一瞬で拭いさられ。彼女は前を向きながら次にするべきことを考え始めていた。

 俯く最愛の教え子を無言で慰めながら。

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