鉄道の夜明け
青空広がるロンディニウム郊外の草原で、一つのお立ち台が組み上げられていた。それに加え、その舞台の前では仕立てのいいスーツやドレスを着た人々による立食パーティーが行われていた。
ロンディニウムからやってきた貴族や資本家たちのみならず、他のシティからも数多くの人々が集まって会食を楽しんでおり、今日この日に集まった人々は皆一様にこれから見れるものを心待ちにしていた。
そんな彼らを集めた張本人である、マームズベリー侯爵ジョージ・ロングフェローはわずかに緊張した面持ちで舞台袖に控えていた。
「そう緊張するな」
ジョージにそう声をかけたのは、最初のころよりも少し大人になった雰囲気のあるソフィアだった。彼女はなぜかオーバーオールを着ていかにもな技師の格好をしており、ジョージにコップに入った水を手渡す。
「流石に緊張しますよ。演説をするというのは」
「大丈夫だ。公爵だの王族だのは呼んでいないし、今君を待っている彼らはそもそも鉄道に投資をしたいと考えている人間だ。
例え君が演説を大失敗したとしても、鉄道会社の設立に協力してくれるさ」
「……ですね」
ソフィアはジョージと目を合わせ、彼を安心させるように肩を叩く。そして、優しく微笑みながら彼のことを送り出す。
「大丈夫!君はこれから飛躍するんだ!自信を持って行け!」
「はい!」
そしてジョージがお立ち台へと歩みを進めていくのを眺めるソフィアに、後ろから声をかけてくる、これまた技師の格好をした男がいた。
「悪魔の生贄にされかけた人が良く言えますねぇ」
「もう終わったことだ」
アスタロトであった。彼は軽口をたたきながらソフィアの隣に立つと、二人でジョージが人々から送られる拍手に片手を上げて応える後姿を見守る。
そして、ジョージが舞台の真ん中に立てば、アスタロトは遠くに向かって旗を振り始めた。
先ほどまで雑談でがやがやと騒がしかったパーティー会場はゆっくりと静寂に包まれ、参加者全員の視線がジョージへと注ぎ込まれる。本日の主役であるジョージは先ほどまで見せていた緊張をおくびにも見せずに恭しく礼をし、演説を始めた。
「今日この日、歴史が変わる日、晴天にめぐまれたことをとても嬉しく思います」
ジョージは両手を広げ、観衆に問いかける。
「皆々様、ロンディニウムからリバプールまで、馬車で何時間かかりますか?」
誰も答えなかったが、皆分かっている事だった。
「そうです丸一日。それも、急いで、です。どれだけ急いでも24時間!
その上、急げば急ぐほど馬車の揺れは激しくなり、気分も体調も悪くなってしまいます。
それもたどり着けるのは数人だけ!」
とても恐ろしいことだ、と言う風に手を戦慄かせながらジョージは顎の下で手を握りしめる。
「遅い!あまりにも遅い!遅すぎる!」
観衆の誰かが「そうだ!」と同調の声をあげた。ジョージはそんな声に対して目をつぶって聞き入り、手をゆっくりと広げながら何かを待つ。
ジョージの沈黙に聴衆が「なんだ?」「どうした?」と疑問の声をあげ始めたその時、
――ポォーーゥ!!!
美しい音色の汽笛が遠くから鳴り響いた。
皆が草原の向こうの方へと視線を向ければ、そこには立ち上る煙と、徐々に大きくなってくる黒い何かが見えた。
「我々は、8時間!」
汽笛の音にも負けずにジョージはこぶしを振り上げながら叩きつけるように声をあげる。
「たった8時間!それも、馬車の1000倍の人間を運べます!」
ガタンガタンという音と共に、世界初の商用蒸気機関車がジョージの背後を猛スピードで走り抜けていく。馬よりもはるかに大きくそれでいて鳥のように速い、真っ黒な巨体が煙を立ち昇らせながら、風圧でジョージのスーツをバタバタと棚引かせて通り過ぎていく。
かの蒸気機関車が曳くのは見るからに重い石炭、鉄鋼、そして白いハンカチを振る開発に携わった技術者と労働者達。
聴衆は時代を切り開き、引っ張っていくであろうそれに目を輝かせながら大歓声を上げた。
「我々は朝食をロンディニウムで食べ、夕食をリバプールで迎えることが出来る!
昼食、バーミンガムでとりますか?
それも素晴らしいでしょう!
しかし、私ならば、流れゆく美しき帝国の風景を眺めながら、客車の中でとるでしょう!
なぜなら、馬車とは違って全く揺れませんから!」
大歓声と万雷の拍手の中、ジョージは勝ち誇った笑みで演説の熱を上げていく。
そんな彼のまさしく独壇場の陰で、ソフィアとアスタロトは安心したように溜息をついた。今回の演出のためにスピーチの時間と列車の時間を合わせるのに結構苦労していたのだ。
そして、一仕事終えたソフィアは熱狂している観衆を眺めながら呟く。
「ロンディニウムからリバプールまでは約200マイル、あれが時速25マイル出るか出ないかくらいだから8時間と言う触れ込みは大体合っている。
だが、定期的に補給で停車しないといけない事、実際にはマージー川を渡河できない事、そもそも線路がないからただの夢物語だな」
「どれくらいかけてその夢物語を実現にするおつもりですか?」
アスタロトの問いにソフィアは舞台袖を去りながら少し考える。思った以上に鉄道会社には出資金が集まりそうだった。それも、かなり良い条件でだ。
(本編開始時にはかなり蒸気機関が普及していたからな。それを考えたら、新しい技術にはとても好意的な世界なんだろうな)
「5年で上手くいったら面白いか。7年以内には何とかしたいな。
ロンディニウムからリバプールまでを6時間で繋げよう」
そう言ったソフィアはアスタロトに手渡された帽子を自身の長い髪の毛を巻き込むように被り、そのまま物陰に隠してあった自転車にまたがり、一人漕ぎだす。
鈍色に光り輝くそれは、ゴムタイヤも、金属チェーンすらも使用されているとても現代的な一台だった。
ソフィアが何とはなしに工房に設計図を送ったらたった1週間で作り上げられ、慌ててゴムタイヤを作って巻いたことは、彼女にとってとてもうれしい誤算でもあった。
あのアスタロトでさえ、たった1か月と少しでこの自転車が作り上げられたのには目を丸くさせ、作ったソフィア自身もなんでこんなに簡単にできたのだろうと首を傾げていた。
そんな自転車をこいで向かう先はすでにボイラーに熱を入れられ、まさに動こうとしている蒸気機関車だった。
その蒸気機関車は野暮ったいボイラーやパイプをむき出しにしたようなものではなく、白亜の流線形のボディを持ち、煙突すらその流線形に合うように斜めに突き出していた芸術的ですらあるものだ。
総じて未来的なデザインをもったその蒸気機関車の運転席から、少し不釣り合いな小太りの男が顔を出してドラのような大声をあげる。
「坊主!やっと来たな!」
「うん!侯爵がもう発進させろって!」
「おうおう!行くぜ!お貴族様に俺たちの傑作を見せてやる!」
ソフィアは少し声を低くして少年のふりをしながらその運転手に声をかければ、運転手は席に引っ込んでレバーを引き、管楽器のような汽笛を3度響かせる。
一方のソフィアはとても楽しそうな表情をしながら、これまた白銀の先頭客車に乗り込む。客車の中は瀟洒な調度品が並べられ、まるで貴族の屋敷の応接室のようだった。
「ふふふ!これはとてもいいなあ!気に入った!」
そう上ずった声を上げながらソフィアは足取り軽やかにその客車の中を進み、やがてその客車の後方の扉を開く。そして、その客車と別の客車の間のむき出しの接合部分に立つと、ロンディニウム郊外の草原を眺めながら、短い列車の旅を心の底から楽しむのだった。
やがて白亜の蒸気機関車が先ほどまでジョージが大演説をしていたところまでやって来て停車する。
「短い旅にはなりますが、どうぞご乗車ください」
蒸気機関車が完全に停車するのを待ってジョージがそう言うと、ソフィアは地面に降り立ち、客車の扉を開いてタラップを下ろす。
そのタラップにジョージの先導でやってきたのは数人の貴族たち。彼らは頭を下げるソフィアには目もくれずに、興奮した面持ちでタラップを登り乗車していく。そして、ソフィアが担当していない客車以外にも人が乗りそれぞれのタラップがあげられれば、彼女は口にホイッスルを咥えてそれを甲高く吹き鳴らす。
そのホイッスルに応えるように蒸気機関車の汽笛が鳴らされると、ゆっくりと巨体が動き始める。ソフィアは安全を確かめた後、客車と客室の間に飛び乗った。
「上手く聞こえていますように」
ソフィアは動き出した列車の騒音にかき消される独り言を言いながらジョージが乗っている客室の壁面を開き、そこから一つの聴診器を取り出し、それを壁面に設けられた金属製の壁に当てて耳を澄ませる。
『――年もののワインです』
すると、そう言ったジョージの声がソフィアの耳に入ってくる。
実はこの客室には伝声管が密かに設置されており、その末端が先ほどソフィアが聴診器の先を当てた金属板だったのだ。
後からジョージ伝いに聞いても良かったのだが、ソフィアはできればジョージと話す相手の肉声を知っておきたかった。だからこそ、こんな迂遠なことをして盗聴していたのだ。
『うむ。美味いな』
『でしょう。我が家にある中で一等良いものを選んできましたから』
ジョージはそうやってワインを周りに振舞いながら場を温めていく。そして、他愛もない話や、蒸気機関の未来について少し語らった後、こんな密室でしかできない密談を始めた。
『で、ロングフェロー殿。例の件、かなり進んでいるぞ』
『ええ。こちらもかなり積極的に動いています』
前者がかなり威厳のある男の声、後者は少し軽薄な男の声。そして、言葉をつづけたのは威厳のある声の方で、ソフィアが声を聴いておきたかったのもこの男だった。
『ダミアンの奴、相当入れ込んでいてな。50人もギリシアに送り込むことになりそうだ』
『50人も!?』
『ああ、確かにギリシアで秘密裏に実験するのは俺も賛成した。だが、ダミアンは俺が考えている以上に……この発明に未来を見ているようだ』
驚いた声はジョージ。『この発明』と言いながら男は何かを取り出したらしく、がちゃがちゃと音を鳴らしていた。ソフィアが類推するに、それはライフル。それも次世代の試作品だ。
前装式ではあるものの、弾と火薬に細工をしているはずの物。
『ロングフェロー殿。貴君が考えている以上にこれは凄まじい発明なのだぞ』
『そうなのですか?』
『順を追って説明しよう。
従来の火薬で弾を撃ったら不純物が砲身の中に溜まる上に、大量の煙を出していた。
一方で、この無煙火薬と言うのはその不純物が極めて少なく、煙もその実無煙とは言えないものの最小限に抑えられる。
砲身の掃除の手間、煙による視界不良から我々は解放されるという事だ』
『ええ。それは知っています』
『だが、それだけじゃない。ここからが革命なのだ。
この……ピクリン酸と言ったか、は単純に威力が大きい。
威力が大きいということは、従来の大砲、小銃、それに付随する弾と炸薬を全て小型化できるということでもあるのだ。
今までより少ない量で同じ威力を発揮できるからな』
『なるほど……』
『小型化できるということは同じ輸送量でより多くの弾薬を運べるということで、それはそのまま戦力へとつながる。
それに、弾薬の初速が上がったことで今までは山なりに撃っていたものがより直線的に撃てるようになり、命中精度も上がる』
『いいことずくめですな!』
軽薄な男の声が手を叩きながら声をあげる。
『そう。いいことづくめだ。革新的すぎる。
だが、この老いぼれ以上にダミアンはこれに未来を見ているのだ。
頭が固くなった俺にはそれが分からんがな』
ソフィアは耳を澄ませるために一旦閉じていた目を開ける。
視界の端では景色が勢いよく流れており、彼女は頬に感じる風に開放感を覚えながら一人思う。
(後装式と、薬莢だな。
ダミアンの奴、やはり頭が良いな。流石はゲームの敵役だ。)
後装式とは、銃や大砲に球を装填する時の方法である。銃口側から弾を込めるのではなく、銃身の後ろ側から弾を込めるようになることで、様々な軍事的な革命が起きるようになった。
特に歩兵に顕著であり、今までは銃口から火薬や弾を注ぎ込む関係上、一旦構えを解いて、その上地面に銃全体を立てて装填しなければいかなかった。それでは歩兵は座ったり伏せたりすることが出来ず、装填中は格好の的になっていた。
しかし後装式になれば、歩兵は座ったり伏せたりした状態で弾を込めることが容易となり、それによって相手から狙われにくくなる上に、大きく構えを解かなくてよくなるので装填スピードも速くなっていくのだ。
そして、その傾向をさらに押し進めたのが薬莢の発明であり。数秒で次の弾を装填できるようになった上、湿気などの環境変化にも強くなり、そして何より今までは無かった弾倉という発想をもたらすのだ。
弾倉が発明されれば次は連発銃であり、それが極まっていけば機関銃となって行く。機関銃が発明されれば歩兵は塹壕にこもり、騎兵は姿を消す。そして、機関銃に対抗するために戦車が現れるのだ。
ドミノが次々倒れるように次の概念と発明が生まれていく。その急先鋒にいるのがソフィアであり、先ほど名前が挙がったダミアンなのだ。加えて、その急先鋒から引退を考えている人物が先ほど解説していた男であり、ダミアンの上司だった。
(私はともかくとして、ダミアンの名前がここで聞けるとはな。今は奴は20と少しか?
これからギリシアに行くのであれば手出しはできないなあ)
ソフィアはこれから必ず敵対するであろう男に思いを馳せようとした。しかし、その思考はすぐに打ち切られることとなる。
『次は私ですね。アリーが対オスマンに頷きました』
『本当かね?』
軽薄な声の発言に威厳のある声が問いかける。
『ええ。マームズベリー卿がおっしゃっていた、不審な金の流れ。当局でも確認できました。その流れを強引に止めて、無理やりエジプトに引き込むこともできる事が分かればアリーは二つ返事で頷きましたよ』
不審な金の流れと言うのはソフィアの指示でオスマンから流出しかけているそこそこの量の金である。今はその金がとある港の倉庫に眠っていて、それを国ぐるみで奪い取ろうと――ソフィアからすれば献上――しているのだ。
まだスキームが十全に動いていないので量こそは多くは無いものの、今何が何でも身を立てるものが必要なムハンマド・アリーには魅力的に見えたのだろう。
『エジプトが得るのはさらに高度な自治権。まあ、完全な独立ですね。
イギリスが得るのはスエズ地峡の利権。
オスマンが力を失いすぎるのは少し不安ですが、ロシアとやり合う時にはどちらにせよ介入することになっていたでしょうし今更ですね』
『では』
『ええ。スエズ地峡に鉄道を引く件。もちろん、マームズベリー卿にお願いすることになるかと』
ソフィアは今一番欲しかったものが手に入るとわかれば、思わずガッツポーズをしてしまう。もちろん、最終的にはスエズ地峡には運河を建設するのだが、その時はまたその時の話だ。
『して、マームズベリー卿はなぜオスマンで不穏な物を見つけられたのですかな?』
(あっ。がんばれ!ジョージ!言い訳するんだ!)
『少し前に話題になった投資詐欺会社、あれの類型があるのではないかと各国で調べていたのです』
『ああ、あれか。俺の親戚も引っかかってかなり凹んでいたな。
事が大きかっただけに議会のみならず王宮も動いたそうだ』
『それは災難でしたね。どのような手法かははっきりとはわかりませんが、先日仕事で赴いたウィーンでも高配当、短期、という共通項があった投資会社があったので気になったので調べたのです。
私が確認した限り、オーストリア、オスマン、フランスで見つけ、戦争に乗じて派手にやっているのがオスマンでした』
『なるほど、そうだったので――』
ソフィアは聴診器を外し、ほっと一息つく。
(これなら多少怪しまれるだろうが、誤魔化しきれるか。
どうせやっていたのは法も何も関係のない悪魔だしな)
そうこうしている内に列車のスピードが落ち始める。もともと長い線路を用意できなかったこの路線、20分もしない内に止まることになるのだ。
列車が草原のど真ん中で止まり、ソフィアはその地に降り立つ。
(ここまでは最初の計画から大きく外れずに進めてきた。
金を集め、蒸気機関車や製鉄所を誰よりも先んじて作る。無煙火薬を作って戦争に介入。
上手くいかなかった物もあるが、概ね上手くいった。
ここからが勝負だな……)
ソフィアは気合を入れ直しながらホイッスルを鳴らし、客車のタラップを下ろす。
そのホイッスルの音と、蒸気機関車の汽笛は、草原の向こうへと当てもなく吸い込まれていくのであった。
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