経過

 ソフィアは双眼鏡を覗き込み、はげ山の茶色い斜面を見つめていた。

 その彼女の耳にアスタロトの声が届く。


「時間です」

「発破までのカウントダウンを」

「はっ!発破1分前…………。

 ………5秒前!4…3…2…1…発破!」


 その瞬間、土が一気に盛り上がり、その盛り上がった中心が猛烈な勢いで土ぼこりを立ち昇らせる。そして、その数秒後、


――ドォォォ……!


 ようやく爆発音がソフィアの耳に届いた。やがて土煙が風に流されていくのを見届けたソフィアは双眼鏡を下ろす。

 双眼鏡を下ろしたソフィアの目はそのアメジスト色がより美しくなり、彼女は青年と呼べるような姿になっていた。その実、彼女は5歳になったところなのだが、年齢操作の魔術で10歳ほど年齢を水増ししているからこその姿だった。


「ニトログリセリン、凄まじい爆発力ですね」

「ああ。戦争には間に合わなかったが様々な使い道があるだろうな」


 アスタロトがそう言うと、ソフィアはヘルメットを脱ぎながら頷く。

 ソフィアが生まれて1年もしない内に始まった、ギリシア-エジプト独立戦争はオスマンの決定的敗北で終わっていた。

 最初はギリシアが押され気味だったがオスマンはそこでギリシアを押し込み切れずやがて痛烈な反撃を受け、オスマンが支援を要求したエジプトもギリシアと呼応するようにオスマンからの支配を振り払うために独立戦争を開始。

 二正面作戦を強いられたオスマンは戦闘を継続しようにも、首都で発生した大規模な経済的混乱で戦費が賄えなくなってしまう。

 その後停戦交渉に訪れたイギリスに向かって砲撃をしたためにナヴァリノ湾で海戦が発生し、その時点でオスマンはギリシアとエジプトの要求の殆どをのまざるを得ないことが決定してしまった。

 最新型の大砲を積みんだイギリス海軍はその破壊力を思う存分オスマンの時代遅れの軍艦に叩きつけ完勝。そのままイギリスとオスマンは明確に戦闘状態に入り、その時点でオスマンは戦争を継続できないと白旗をあげたのだ。


(ダイナマイトを戦争に投入したくなかったのだが、恐らくその判断は正解だったな。

 帝国陸軍、いや、ダミアンか?奴はこの存在を知ったら何が何でも東方で実験したがっただろう)


 ソフィアは溜息を誰にも気づかれないように零す。

 帝国陸軍が秘密部隊をギリシアに送り込んだのはソフィアも把握していたことなのだが、ジョージが陸軍から漏れ聞いた噂によれば、ナヴァリノの海戦以前にオスマンの将校を狙撃してしまったらしい。

 一歩間違えれば重大な国際問題だ。その時はあくまでイギリスは第三者であり、外交的に暗躍は出来ても実際の戦場で戦局を動かしてしまえばそれはもう当事者になってしまう。

 それを踏まえると、ダイナマイトの開発を遅らせたことや、爆薬の中でも比較的扱いの難しいニトログリセリンを生成したのは正解だったともいえる。


「さて、帰るか」


 ソフィアはヘルメットをアスタロトに投げつけて、後方に止まっていた馬車に向かって歩みを進める。

 この五年、ソフィアは屋敷にこもり裏から情勢を操っていただけだが、その間にも数多くのことがあった。


「お手を」


 御者のエスコートでソフィアは馬車に乗り込む。そして、未整備の草原をしばらく走れば、いつもの石と砂利とで押し固められた道に出る。その道はターンパイク・トラストと呼ばれる有料道路でよく使用された舗装方法なのだが、しばらく走ってもマイルストーンや料金所ゲートが現れない。

 そのまま何事もなく街に入れば、その街の道は黒いアスファルトで見事に舗装されていた。

 ここはウェールズ南部にある運河が張り巡らされたとある街。ジョージが設立したロングフェロー財団によって大規模に資本が投下され、次々製鉄プラントが建設されている場所だった。


「本当に走りやすくなった」


 ソフィアは達成感を滲ませながら窓の外のアスファルト製の道路をみる。たった5年で舗装道路は作り上げられたのだが、道路舗装の知識など皆無だったソフィアは相当に苦労してこの道路を作り上げたのだ。

 しかし、その苦労のかいもあって、ガタガタと揺れない馬車の快適な旅がごく狭い範囲ながら実現していた。


「そうですね。素晴らしい道だと思います」

「この周辺のターンパイク・トラストを駆逐したからな。その分、アスファルト舗装をしてその代わりにならなければ詐欺だろう」


 南ウェールズはロングフェロー財団、ひいてはその黒幕であるソフィアのおひざ元となっていた。蒸気機関車を作り上げた後はその改良と路線を引くことに注力した彼女は、少しずつ資金を貯めながら、線路や鉄道橋などによって元々需要があった鋼鉄の需要をさらに拡大させた。

 そこで満を持してジョージは鋼鉄精錬技術の平炉法を発表した。

 『奇跡の投資家』とすら称されたジョージの投資によって、今までかかっていた鋼鉄生産のコストを10分の1にする技術が開発され大々的に発表されたのだ。

 そして、その平炉法を利用した製鉄プラントが南ウェールズに集中的に建てられ、その開発の一環でこのアスファルト舗装の道が引かれていった。

 揺れの少ない快適な走りをする馬車はやがてレンガ造りの駅舎の前に止まる。そして、ソフィアとアスタロトが地面に降り立つと、彼女達二人の前を自転車が通り過ぎていく。


「ふむ。自転車も普及し始めているな」

「労働者の足と言われているそうですよ」

「その労働者だって、うちの会社の者だろうに」


 ジョージが所有、運用している会社の全てでは相場よりも高い金額の給料を支払っていた。


『労働者に金を渡しましょう。そうすればまわりまわって自社製品を買うことになりますよ』


 とアスタロトがある種のフォード主義を提言したのがきっかけだった。ソフィアはその言葉を受け入れ、自転車製造に流れ作業方式を一部導入してそれによって自転車を市場に安く供給していった。

 ソフィアは左右を見渡してもう自転車が来ていないことをしっかり確認してから馬車を離れて駅舎へと入る。そこにはチケット売り場があり、大きな路線図もあり、時刻表もあり、まさしく鉄道の駅だった。


「次の時間は……5分後です」


 アスタロトが時刻表で時間を確認しながら言う。ソフィアはそれに頷き、定期券を見せてプラットフォームへと進んでいく。

 すると、そのプラットフォームにはすでに蒸気機関車が止まっていて、それは水と石炭の補給をしているところだった。5年前ジョージが演説をした時にお披露目をした二台とは違う、さらに世代が進んだその蒸気機関車はこのイギリスのみならず、その植民地でも広く使われているベストセラーだった。

 ソフィアとアスタロトが自由席の客車に乗り込み、適当な椅子に座る。この客車は向かい合うように4人掛けの椅子が設置されていたので、二人の目の前にも別の乗客が座っていた。

 その乗客が広げていた新聞には『ソールズベリー女大学、遺伝の法則の発表』と大見出しが出ており、ソフィアはそれをちらりと見た後窓の外へと視線を移す。


(学校の名声を底上げするのも上手くいっている。

 ゴムの加硫はともかく平炉法の発表は少々刺激が強すぎたが、今では大学は平民や下級貴族女性のあこがれですらある)


 ソフィアは自分の未来の知識をソールズベリーに立てた女大学を通して発表していた。発表者は大学に送り込んだ悪魔が担当し、彼女達はその研究発表によって巨万の富を得たと大いに新聞を通じて報道した。

 そうすれば、多くの女性がもしかしたら自分もと大学に殺到し、その中から優秀な子を選りすぐっていけば立派な大学の完成だ。今はまだオックスブリッジには対抗できていないが、パブリック・スクール、ラゲッド・スクールから教育を重ねていつかはその二校と肩を並べられるほどの水準に持って行きたいとソフィアは考えていた。


「まったく、女が勉強とはね……」


 新聞を読んでいた男が呆れた表情でそう呟きながら新聞を折りたたむと、汽笛が駅に鳴り響いた。そして、警笛もいくつか鳴ると、やがて列車がゆっくりと動き出す。

 わずかな揺れと引っ張られる感覚を覚えたソフィアは流れる景色を見ながら、含み笑いをする。


(勉強は男がするもの、か)


 隣ではアスタロトも目の前の男の呟きに悪い顔をしていて、その吊り上がる口元を手で隠していた。

 二人は博愛精神や人権意識に目覚めたわけではない。二人はコミュニティの分断、迫害、敵視が最終的にどういう事に繋がっていくのかをよく理解していた。それが、ソフィアがある夜に言った『爆弾』であり、その夜にアスタロトが考え付いた計画でもあるのだ。

 列車は様々な思惑を乗せてウェールズを抜け、イングランドへと入っていく。最初は様々な工事現場が流れていた景色もすぐに牧歌的な風景へと変わっていく。

 その牧歌的な風景の中を蒸気機関車が走っていけば、やがてソールズベリーへと到着する。

 少し前までのソールズベリーは音楽と芸術の街だったが、最近では女学生がうろつくようになり学問の街としても発展し始めていた。背の高い大聖堂の尖塔と対になるかのように建てられた時計台が新たな街のシンボルとして受け入れられ、その時計台の麓で多くの学生が今日も学んでいるのだ。

 ソフィアはソールズベリーにいる時はあえて馬車にも馬にも自転車にも乗らず、アスタロトも追い払って一人で歩くことにしていた。

 今日もそうで、汽車から降りるとアスタロトを追い払って一人で駅舎を出ていく。

 そう広い街ではないが、芸術が盛んだった街だからか景観はよく整えられていた。

 人々の活気も、最近では特に溢れていて、未来へ向かおうというエネルギーに満ち満ちていた。


(絶対この街には工場は建てん)


 ソフィアは歩道を悠々と、方角だけは屋鋪の方に向かいながら当てもなく歩く。


(新しい花が売り始められたな)


 彼女とて、花屋を見ればそちらへ目を奪われるし、美しい音楽を奏でる人がいれば足を止めてそれに聞き入る。


「この前ジョンがさあ!指にトンカチを打ち付けた挙句にさあ!」


 パブから聞こえる酔っぱらいの声が聞こえれば、迷惑そうに顔をしかめながらも楽しそうだと少し笑いもする。


「わっかんね~よぉ!!」


 ベンチに座って頭をかかえる学生を見て、声はかけないが『頑張れ』とエールを心から送りもする。

 街は人々が送る日常で溢れている。

 そんな光景をソフィアは――彼女自身の本質がどうあれ――愛していた。

 そして、ソフィアが公園へとやってくると、そこには一人のプラチナブロンドの髪を持った少女がベンチに座っていて、彼女はソフィアのことを見つけると立ち上がってと走って彼女の腰に抱き着く。


「アリス。迎えに来てくれたのかい?」

「ん」


 ソフィアが少女のことをアリスと呼び、彼女の頭を撫でながら問いかけるとアリスは小さく頷いた。


「ありがとう。ただいま、アリス」

「おかえり、お姉さま。……だっこ」

「はいはい」


 抱っこを要求したアリスにソフィアが微笑むと、彼女のことを抱き上げる。

 アリスはジョージが買った5人の赤ん坊の中の一人だった。不幸にもその内の一人は病気で亡くなってしまったが、4人のことをソフィアを始めジョージやその他悪魔達は手を抜かずにしっかりと育てていた。

 ソフィアは年齢操作をしている関係上あまり表立って彼女たちに接することはしていなかったのだが、どこから聞き及んだのかその4人共がいつの間にかソフィアのことを“姉”と言い始めたのだ。


「今日はね、エマとね一杯ご本を読んだの。後、ベアトが走り回ってまたカーテン破いてた」

「そうか……。いっぱい本を読めて偉いな、アリスは」


 ベアトリスにはよく言って聞かせないとな、と一瞬剣呑な表情をしたソフィアだったが、すぐにその表情を柔らかい笑顔にしてアリスの頭を撫でながら褒めてやる。

 すると、アリスは嬉しそうに目を細め、ソフィアの首に腕を回してぐりぐりと自分のことを押し付ける。


(最近、力が強くなってきたな。体も大きくなってきたし、抱っこを続けるのも結構きついぞ……)


 ソフィアはしばらくアリスの好きにさせてから彼女のことを地面に下ろし、彼女と手を繋いで屋敷の方へと真っすぐ歩き始める。

 その道すがら二人は他愛もない話に花を咲かせ、ソフィアはアリスのことを少しだけ観察する。


(アリスがきっと、霧の都のマギのソフィアだな。最近、顔立ちがよく似てきた)


 ソフィアは一つの確信を得ながらアリスの相手をし続ける。一方で、残った頭のリソースを別のことにも割いていた。


(彼女がソフィア。ダミアンも一応確認した。そして、手に入れたまま解読できていない暗号文の持ち主もまたゲームの登場人物の可能性が高い。

 主人公は今頃何をしているんだろうな……)


 ソフィアは目の端に映った花びらが落ち始めたデイジーを見て、もうすぐ春が終わるのか、と改めて思ったのだった。


(もうすぐ、世界的な寒冷期も終わる。

 今年の夏は暑いのだろうか……)


 ソフィアが顔を上げて太陽を見上げふと物思いにふければ、話に集中してない!とアリスに怒られるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る