開幕
ロングフェロー家の屋敷の隣に新たに建造された離れで、ソフィアは広い机に向かってボタンが10個あるキーパッドを叩いていた。キーを叩くたびにパチンパチンと音が鳴り、音が鳴るたびにキーパッド横から厚紙が少しずつ出てくる。
ソフィアは頭を時々掻きながら机の上に置いた複数の本を幾つも見比べ、断続的にキーを叩いていく。その度に厚紙がスライドしていき、やがてその正体が穴の開いたパンチカードだとわかるようになった頃、部屋の扉が叩かれる音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します」
ソフィアが顔をあげずに許可を出すと、アスタロトの声と共に扉が開く音。彼は分厚い資料を手に部屋に入ってきて、それをソフィアの作業の邪魔にならない場所に置く。
アスタロトが傍に立つ気配を感じつつもソフィアはパンチカードに穴をあける作業を続け、意識の何割かだけを彼に割く。
「簡潔に」
「無事にアメリカは西方進出を一旦諦めました」
とはいえ、報告の事が大きすぎたためにソフィアは手を止め、息を大きく吐き出しながら顔をあげる。
「ようやくか」
「ええ、ようやくです。20年近く工作を続けてやっと、延期と言ったところですから、短期的には割に合わなさすぎますね」
「だが、長期的には割に合うだろう。あれだけネイティブアメリカンには投資したんだ、後々相応の物は返してもらおう。
ところで、結局何が一番効いた?」
ソフィアはアスタロトに問いかけながら先ほどから行っていたパンチカードの作業に戻る。それにアスタロトは資料を机の上でめくりながら解説を始める。
「まず初めにアメリカでの金融詐欺によって経済が混乱し、恐慌が長引きました。途中から力を入れた南部地域ではかなり凄惨な事態に。最終的にお嬢様の思惑通り、西部開拓には目を向けていられない事態に発展。
特に期待されていた西部の土地価格が吹き飛んだのは影響が大きかったと思われます」
資料のうちの古い新聞を示すアスタロトだが、ソフィアはそれには目を向けずに頷く。
「その後、かき集めた資金で新聞社を設立。電信網を背景に速報性と正確性で我々は最も巨大なメディアになりました。
そして、正確な報道をする一方で、南北対立を煽る文章、インディアンへの擁護、政治的対立等、とにかく我々の望む方向に記事を書いていったため、現在民衆には分断と混乱が生じています。
結果的に、今のアメリカはがたがたになりました。
これではインディアン強制移住法などはやっていられません。とにかく国内をまとめる方向に政府は動いています」
アスタロトがめくって次々と見せていく新聞には、かなり過激で極端なことが書かれており、中にはそうは見えなくとも扇動的な内容が書かれていた。これらの殆どは、ソフィアと悪魔主導で行われており、人間は余り関わっていなかった。
「とはいっても結局のところ、一番効いたのはインディアンとの戦闘でアメリカ側が悉く敗北したからでしょう」
アスタロトのその言葉と共にソフィアはキーパッドからパンチカードを引き抜き、凝った肩を回す。そして、そのパンチカードを改めて確認しながら口を開いた。
「やはり、有刺鉄線と連発銃は効いたか」
「それらの密輸以上に、我々の熱心な説明と説得によるところが大きいでしょう。大前提として、直面している問題を深く理解し、彼らの手で立ち上がってもらわねばなりませんでしたから」
「そうだな。中々に苦労したが、実を結んだか」
ソフィアはかつて行った大西洋周遊の旅の中で、巡ったアメリカの荒野や草原を思い出す。当時はインディアンと一括りに呼ばれていた彼らと交流をし、世界情勢やアメリカの思惑を説いて回ったのだ。その過程で有望な留学生も募ることが出来たし、助言の分、多くの取引をすることが出来た。
そんな思い出を想起しながらソフィアは、アスタロトに顔を向けてにやりと笑う。
「我々は博愛主義者だからな」
「ええ、とても人道的です」
アスタロトも主人の良い笑顔につられて破顔し、悪魔特有の頬まで裂けた笑顔を見せる。
内心ではそんなアスタロトの笑顔を気持ち悪く感じながら、ソフィアはパンチカードを手に立ち上がる。
「そう言えば、投資を北部に絞って行ったことはあまり影響がなかったか」
「ええ、ロングフェロー財団を通さずに投下できる資本は経済全体から見たら雀の涙ですからね。その上、政治的な圧力で結局は南部まで鉄道を引く羽目になりましたし」
アスタロトの回答を聞きながら、ソフィアは部屋の端に置かれた大きな箱型の機械にそのパンチカードを差し込んだ。
「合成繊維と言うカードは切らなくて済みそうか?」
「済みそうです」
ソフィアは、最終手段であった南部の産業を完全に破壊するジョーカーを切らなくて済んだことに安堵する。アメリカ南部で主に行われている綿花産業を完膚なきまでに破壊できる切り札ではあるが、これほど強力なカードはまだ手元に伏せておきたかったのだ。
(もっと効果的なタイミングでこのカードは切りたいからな)
ソフィアが持つ伏せ札は多い。その内の一つでもある、とある機械を操作するために彼女は部屋の中心にあった、いくつものボタンが付いたコンソールへと向かう。そして、そのコンソールのタイプライターに酷似したキーを叩き始めた。
すると、その入力に反応して手元から視線をあげたところにあるランプが光り、特定の情報、入力された数字を返す。
「さて、アスタロト。これで、予行練習は完璧だな?」
「もちろんですとも。アメリカで十二分に実績は積みました、もうすでにこの帝国を転覆させる準備は整っております」
やがて、ソフィアは入力を終え、アスタロトへと視線を向ける。そして、不敵な笑みを浮かべながら、手元のエンターキーを叩く。
「では、始めよう!」
ソフィアの宣言と共に、部屋中にガシャガシャと激しい機械音が鳴り響き始める。
彼女が起動したのは、リレー式計算機と呼ばれるものでコンピュータのうちの一つだ。リレー回路を使って作られた、機械式計算機の到達点である。
プログラミングも可能であり、多少の手間はかかる物の複雑な計算を自動的に行い、その上その計算結果をプリントアウトもしてくれるこの機械は、ソフィアが持つ強力な切り札の一つだった。
耳にうるさい機械音が鳴り響く部屋の中で、アスタロトはソフィアに向かって恭しく頭を下げる。
「事前の計画通りに、まずは自由主義者に接触します」
「頼んだ。並行して労働組合にも粉をかけるのを忘れずにな」
「かしこまりました」
顔をあげたアスタロトは踵を返して部屋を出ていく。後に残されたのはソフィアとけたたましい機械音だけ。
そんな孤独の中、ソフィアはまた机の上に向かう。そして、机の上に広がった一部の本をどけ、アスタロトからは見えないように隠されていた、とある物の設計図を表に出す。
涙滴形状の外縁部だけが描かれた設計図。コンピュータに計算させている数式はこの形状に関する物で、ソフィアはその設計図の線を指先でなぞりながら、結果を待つ。
(万国博覧会が勝負どころとなるだろう。多くの下準備は終わらせていはいるが、いくつかの重要なものは未だ終わっていない。
自由主義者共の扇動は間に合う、これも間に合わせたいが、ギリギリか?)
ロンディニウムで行われる万国博覧会の日取りが正式に決まり、その日時が霧の都のマギ本編のものと一致したことで、ソフィアはわずかな焦りを感じていた。
(問題ない。計画は順調だ)
ソフィアが一人これからのスケジュールを勘案していると、やがて部屋を埋め尽くしていた機械音が鳴りやむ。計算結果の出力が終了したのだ。そのタイミングでソフィアが物思いから帰ってくると、部屋の扉がまたもノックされる。
そのノックオンはココンココンと小気味が良いもので、アスタロトの物と違って不作法なものだった。
「入りなさい」
ソフィアが先ほどまで隠していた設計図を改めて隠し直さずに入出の許可を出すと、入ってきたのはハンチング帽を被った小柄な金髪の女性だった。垂れ目がちな彼女はソフィアのことを見ると、にへらと気の抜ける笑顔を見せる。
「だだいまー、姉ちゃん」
「はいはい、お帰り。クレア」
成長したクレアだった。彼女はロンディニウムで記者として働いていて、時々こうしてソールズベリーの家に帰ってきては姉であるソフィアの元にやってくるのだ。
「姉ちゃんったらまた籠りきりじゃないの?もっと外に出たら?エマみたいにしてるとカビが生えちゃうよ」
クレアはそう言いながら適当に机の上の資料をどけて机に腰かけ、ソフィアはそんな彼女に対して呆れた顔でため息をついてしまう。そして、頭痛がすると言わんばかりにこめかみに指を当てながら抗弁した。
「私は大学での授業もあるし、外に出てはいる」
「それって、外に出るとは言わないんじゃない?家と職場の往復なんて」
「……」
ソフィアはクレアの言葉に何も言い返せずに閉口してしまう。一方のクレアは言いくるめられたことに嬉しそうにすると、机に座ったことで浮いている足を前後に振りながらポケットから手帳を取り出す。
「そんな姉ちゃんのために、クレアちゃんが情勢を教えてあげますよ」
「いつもながら、本当に生意気に育ったな」
ソフィアは呆れた表情で椅子に座ると、話を聞くためにクレアのことを見上げる。そして、クレアは手帳をめくりながら真面目な顔で最近のロンディニウムについて語り始めた。
「最近のロンディニウムでは自転車事故が減少傾向、交通法がようやく周知されてきたね。
後、相変わらず娼婦のトラブルが多くて、大規模検挙に乗り出すかも。
イーストエンドでは、凄惨な殺人事件。
アイル・オブ・ドッグスでは荷崩れ事故が多発。人も亡くなった。
まあ、こんな所かな」
「凄惨な殺人事件?」
ソフィアが気になったことを問いかければ、クレアは手帳を閉じてそれを顎に当てながら語る。
「曰く、人の頭が左右に裂けたように殺されてたんだってさ」
ビーッと言いながらクレアが手帳の角を顎から頭の先までスッと動かす。そして、それを聞いたソフィアは眉を顰め、嫌悪感を露わにした。
(注目すべきは殺人事件だな。これは霧の都のマギの第一の事件と酷似している。アランが逝った以上、本編が開始したとみていいだろう。
名も無き一般人を探し出すのは面倒くさいからな、もうしばらく殺人は続けてもらうか)
ソフィアが内心血も涙もないことを考えていると、クレアが彼女のことを手招きする。
「ああ、あと、姉ちゃん。耳貸して」
「はいはい」
ソフィアは椅子から立ち上がって、腰を曲げてクレアの顔に自分の耳を傾ける。わざわざ内緒話をしなくともこの部屋は防音なのだが、クレアはソフィアの耳元で小声で囁き始め、その顔は実に真剣なものであった。
「一部の議員に清と開戦するための根回しが始まったよ」
「……そそのかした人間は分かるか?」
「駄目だね。ジェントルマンズ・クラブには私じゃ入れない」
「そうか」
ジェントルマンズ・クラブとは、上流階級の男たちが特定の目的の元に集まる会員制の倶楽部である。もちろん女人禁制であり、男であっても規定をクリアしていなければ入ることはできない。
女性であるクレアはそこから漏れ出てきた情報を仕入れることはできても、その源流をたどることはできない。ソフィアだってそうだし、侯爵であるジョージとておいそれと探りを入れることは難しいだろう。
もちろんソフィアは知識として、どこの悪魔崇拝者が清との戦争――アヘン戦争――を画策しているかは知っている。だが、知っていてもどうにもならないのだ。
証拠が無ければただの言いがかりであるし、そもそも証拠をそろえたとて悪魔などは信じてもらえない。その上、同じ悪魔を使役している人間であるため、アスタロトを始め悪魔をけしかけることも避けたいことだった。
「新聞社に有望な男はいるのか?」
「うーん……。いるにはいるけど」
「名前は?」
「アシュトン・ブレイク。赤毛のアシュトンって言われてるけど、かなり気難しいし、貴族嫌い」
「なるほど」
ソフィアはその名前に聞き覚えがあった。彼もまた霧の都のマギの登場人物で、劇中では情報屋だった男だ。ソフィアはますますゲーム本編の開始が差し迫っていることを自覚する。
イーストエンドでの無残な殺人事件、清への開戦準備、万国博覧会、その他諸々。
ソフィアは頭の中で重要な事柄をピックアップして整理していき、やがてクレアに寄せていた顔を放し、椅子に座りながら頷く。
「ふむ。すべて世は事も無し」
その言葉に、口をへの字に曲げ、眉間にしわを寄せるクレア。彼女は「どこがだよ」と言いたくなったが、目の前のこの姉は見ている物や考えていることが突飛すぎてついていけないことを知っていたので、何も言わずに表情だけで自分の感情を表すことにした。
「クレア。せっかくの綺麗な顔が台無しだぞ」
「そうですか。お姉様」
変な表情を指摘したソフィアはつっけんどんに返してくるクレアに首を傾げ、首を傾げられたクレアは、人間味が無いようで有り、有るようで無い姉に大きなため息をついた。
「……少しは私達に話してくださいな。アリスなんて割と拗ねっぱなしだよ」
「アリスは……、まあ、軽い反抗期みたいなもんだろ」
クレアはまたもや大きなため息をつき、机から飛び降りる。その時に浮いた帽子を元に戻していると、彼女が帰ることを察したソフィアがあらかじめ用意していた封筒を机の上の本の中から取り出す。
「はい、クレア。これをジョージに渡しておいて」
「……」
クレアはソフィアに手渡された封筒の中から紙を取り出して中身を見る。内容は暗号化されていたため、一見して読むことは不可能だった。ただ、彼女はその暗号文を上から下まで見てから、また封筒に暗号文を戻す。
「はいはい。分かりましたよっと」
そして、クレアはそう言いながら封筒を懐にしまい込み、踵を返した。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
そう言ってクレアが手を挙げながら部屋を出ていくと、ソフィアは手を振って彼女のことを見送る。そして、一人残された静かな部屋で、ソフィアは腕を上にあげながら伸びをして、一つ呟くのだった。
「もうひと頑張り、もうひと頑張り」
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