斜征

 補習がない日は部活へ顔を出す。

 心身と頭脳の両方を鍛えてこそ、強い武術家と呼べるのだ。


 うちの学校の空手部は、全国的と比較しても強い部類だった。それでも練習は思っていたほど厳しくない。合計した運動時間が一時間半だろう。監督なりのこだわりがあるのかもしれない。基礎練習を終えただけで息を切らせる部員も少なくはない。一年生はほぼ全滅していて、三年生でも余力のありそうな人は七割程度だろうか。


 ひょっとすると、うちの学校の練習は死ぬほどキツいのかもしれない。拘束時間の短さと、過去の狂気じみた鍛錬のせいで感覚がマヒしていたようだ。


「戌居君と雉畑は余裕が残っている方だな」

「あ? なに、お前は余裕綽々って感じだな」

「うん。脚の痛みが消えたからね」


 通り魔につけられた傷跡こそ残っているが、痛みはほぼ完全に消えた。寝る前の夢うつつの時間に、僅かばかりの違和感を覚える程度だ。


 僕が真面目に部活に打ち込む姿を前に、意地の悪い先輩達も鳴りを潜めている。よくも悪くも実力主義なのか、と僕は若干ながら彼らへの印象も好転した。態度のデカい先輩に詰め寄られたとしても、僕には最強の冠がある。そして、それがメッキ仕立てでないことを、彼らもよく知っているのだ。


「それじゃ、休憩は終わりにするか」

「はえーよ戌居」

「先輩もだらしないっすよ。もう時間ですから」


 戌居君が腰を上げると、それに追随して他の部員たちも休憩から稽古へと戻る姿勢を見せる。本当に体力の限界を迎えているだろう部員もいて、そんな子は先輩達から休憩を"命令"されていた。案外、セーフティは機能しているようだ。


 次期主将候補の戌居君が、一年生ながらにこの部をよく取りまとめている。大柄な体躯と確かな技術で空手の強さを担保しつつ、冗談好きな性格で先輩達の懐へ潜り込んでいく。僕の前では苦労人という印象がぬぐえなかったが、彼も青春を楽しんでいるようだ。


 猿田さんとも仲良くやっているらしい。

 先日のファミレスで、色々と話を聞けて良かった。戌居君が猿田さんに対してダダ甘だという情報がどこかで役に立つ日は来るのだろうか。来ないんだろうなぁ、と思いつつ記憶の引き出しには大切に仕舞い込んでおこう。


 給水休憩を終えて、練習に戻る。


 空手部では基礎的な練習に重点を置いていた。天才的な技は重厚な基礎があってこそ生まれる。それが先生の考えらしい。僕も賛成だ。技や試合には勘が必要な場面も多いけど、それらは積み重ねた経験が見せてくれるヴィジョンなのだ。繰り返すことで身体に無意識レベルにしみ込ませた技こそが、必殺の一撃を生み出す。


 狂気にも似た祈り。

 度を超えた愛情。

 それが、最強の名には必要なのだ。


 円陣を組んだ僕らに向かって、先生が声を張った。

 それは休憩を命ぜられた部員にも聞こえるようにとの配慮があってのことだ。体力が戻れば、また練習に参加してもよい、との意思表示でもある。体育の見学よろしく、いつまでも道場の隅にいては苦しい気分になることもあるしね。


「よしっ、型稽古やるぞ。いつものグループに分かれろ」

「戌居、お前は俺らと組めよ」

「先輩とですか? いいっすけど」

「あと、里中。お前も来い」


 戌居君が先輩に連れられていく。二年生の、体格の良い先輩も連れていかれた。身体が大きい子を優先に集めた集団が出来上がって、傍目にも威圧感がある。彼らは自由な型稽古をする際、よく一緒に練習をしていた。自分と同等の体格をした相手と試合をする機会は少ないから、好んで組みたがっているようだ。


 型稽古では、ある程度同じレベルのグループ、つまりは帯の色や経験年数によって組を分けている。レベルの差がある相手と練習することで身に付く技術もあるのだけど、同じ程度の相手との練習でも全体のレベルってやつはじわじわと上がっていく。どちらが優れているかと問われれば難しいものがあるね。


 将来は指導者になりたいって子がいるなら、自分よりも弱い奴と練習しつつ、更に自分の技も高めなくちゃいけない。それが出来る人間は限られているから、高校の部活では同じ位の強さの相手と組んだ方が効率よくレベルがあげられるのだろう。


 身長や体格だけでない。性格による相性もグループ分けには付きまとうものだ。自然と組に分かれていく部員達を横目に、僕はその場に立ち尽くす。友達がいないわけじゃないよ。僕から声を掛ければ、男子部員達は意外と素直に組んでくれるし。


 おっと、話がそれた。

 僕がその場に立ち尽くす理由はただ一つ。

 僕の組み合わせ相手が、僕を見つけやすいようにするためだ。


「たまにはあなたから声を掛けてくれる?」

「雉畑の優しさに甘えたかったんだ」

「心にもないこと言うな」


 シュッ、とキレのある拳が僕の顎を狙ってきた。


 真っ直ぐな技だから避けるのは容易い、とはいえ僕以外の相手にその拳を向けて欲しくはなかった。彼女は、この部では相当の上位層だ。熱意だけなら今年が最後の三年生をも超えている。その熱意こそが、僕が焦がれてやまないものだった。最強ゆえに遊び相手が限られる僕にとっては、雉畑ほど適任の相手もいないのだから。


「本当に好戦的だね、雉畑は」

「あんたが相手だと、すごくヤル気になるのよ」

「もっと猫被ればいいのに」

 

 可愛いから。

 その方が初見の相手の油断も引き出せるだろう。


「お生憎様。私は嘘が苦手なの」

「奇遇だね。僕もだ」

「それ、純度100%の嘘じゃない。呆れるわ」


 肩をすくめた雉畑について、道場の西側、いつものスペースへと足を運んだ。型稽古をする生徒達とやや距離を取る。僕らがやるのは、ただの型の稽古ではない。それを了承して、他の部員達も少し空間を譲ってくれる。先生や先輩すら、僕らのやや自由な練習を黙認してくれていた。


「それじゃ、やろうか」


 上段に構えて、雉畑の反応を窺う。

 彼女は大きく頷いて、僕と同じ構えを取るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る