悪巧み

 少女の襲撃を受けてから、まだ一週間も経過していない。

 僕は戌居君、そして雉畑と一緒に学校の空き教室で駄弁っていた。空手部の練習を終えた後、一緒にお昼を食べた帰りだ。夏休みの課題を一緒にやろうと提案したら、学校に戻って空いている教室を探すことになった。


 ここで誰かの家に遊びに行くという発想が出来ないのは、それぞれに家庭の事情を抱えているからである。雉畑家に遊びに行くのは何とはなく遠慮があるし、僕は家族との関係が冷え切っている。戌居君は自分の部屋というものがないらしく、家に行くのはご家族の迷惑になりそうだから取りやめた。


 うーん、青春ごっこをするにも、下地が必要ってのは面倒だね。


 課題を机に広げながら、先日の襲撃の一件の話題を出していた。僕が教室で襲撃を受けたことを知っているのは、警察等の関係者を除いては喜慈の会のメンバーと雉畑のみである。これは僕が同級生達から不要な追及を受けたり、好奇心の的にされることがないようにとの配慮だった。今更だけど、彼らはとても優しい。


 そんな彼らに甘えることで、僕は平穏を手に入れていた。

 僕が少女から得た情報を彼らに流すのも、ごく当然の話だ。

 仔細については聞いていなかった雉畑が、初出の単語を反芻する。


「鬼児の会?」

「うん。そこから依頼されたんだって」

「……っていうか、その子は何者なの」

「さぁ?」


 報酬目的で僕を襲撃したらしいから、初犯でないことは確定だろう。素人でも刃物を持ち出せば、徒手空拳の達人を打ち負かせてしまう。正しい武術を学んだプロであればあるほどに、その危険は高まっていくと言ってもいい。僕は、自身の経験からそれを察していた。


「残念な話ね」

「まったくだ」

「天童君、あなたに情報収集能力がないことを言っているのよ」

「手厳しいね。でもそれは警察の領分だから」

「まぁ……そうだけど」


 人を傷つける趣味の持ち主がいることは、喜慈の会にとって周知の事実である。あまり気持ちの良い話ではないね。そして、僕を襲撃した少女の言い分が正しければ、僕らを目の敵にしている相手がいるようだ。彼らは末端の構成員、それも僕のようにごく最近になって入会した人間の情報すら把握している。めちゃくちゃマズい状況だと思うんだけど、対策の練り方も分からなかった。大人達にも相談してみたが、果たして結論の出る話題なのだろうか。


 順調に課題を解き進みながら、僕は端的な感想を呟く。


「ヤバくね?」

「天童に同意だな。内部に裏切り者がいる」

「いや、そうでもないでしょ」


 真剣な顔をしている戌居君に、雉畑が釘を刺した。

 その切っ先は鋭くて、僕らは喉を詰まらせる。


「セキュリティが甘いんだから、当然じゃない?」

「……開かれた組織だしな」

「名目上は安全パトロールだし、秘密裏には動けないんだよね」

「警察と協力する関係上、制約も多いし……」

「代わりに貰える権限と自由もあるからねぇ」


 少女の襲撃を受けてから、まだ一週間も経過していない。取れる対策は不用意に出歩かないこと、複数人で集まって裏切り者による被害を減らすことだ。多人数で集まることによって、情報が漏れた際の特定は難しくなる。しかし物理的な攻撃を受けなれば、いずれは籠城戦をしている側が勝つだろう、というのが大人達の意見である。


 鬼児の会の所在が不明な以上は攻め込むことも不可能だ。

 守りを固めるというのは間違っていないだろう。


「俺達は向こうの会員を、ふたり捕えているわけか」

「多分、戌居君の言う通りだね。山狩りで倒した奴だよ」

「あぁ。ロープ男とナイフ男か。……強かったの?」


 恐怖よりは興味が勝っている表情で雉畑が尋ねてくる。


 武術的な観点で言えば、あの男達の方が上手だった。けれど地形を利用する作戦も加味すれば、今回の女生徒の方が強かったと思う。だから僕の答えはノーだ。首を横に振ると、彼女は肩の力を抜いてふぅー、と息を吐いた。安心したのか、落胆したのかは定かではない。戌居君が口を開く。


 それは何かを決意したような口調だった。


「俺達にも出来るのことはないのか?」

「随分と熱いのね」

「だって、そうだろ。悪意ある人間が、この世には多すぎる……」


 彼は拳を握りしめると、視線を宙に彷徨わせる。

 それから真っ直ぐに僕を見つめた。


 彼は善良な一市民である。ただ武術の才能を僅かばかりに持ち合わせている程度だ。偶然にも誰かを助けられるかもしれない環境と、それを手助けしてくれる組織の存在を知っているから所属しているだけだ。繰り返すけれど、彼は、ただの一市民に過ぎないのだ。


「戌居君は何をするつもりなの?」

「それは、勿論――」

「鬼児の会に潜入でもするつもり?」


 彼は言葉を詰まらせる。


 僕はその沈黙を肯定として受け取った。戌居君が考えていることは手に取るように理解できた。彼は正義感が強く、守るべき相手もいる。正確には、傍にいれば誰だろうと守ってしまうほどのお人好しだ。マジの苦労人だね。彼にとっては悪意ある人間が街を闊歩しているという事実ですら耐えがたいものがあるのだろう。


「どうやって接触するつもりだい」

「あ? そりゃ、こう……」


 具体的なビジョンは持っていないようだ。彼はろくろを回すにとどまった。雉畑も呆れた、と小さく呟いて勉強に戻る。僕らは小市民、それも未成年の高校生だ。まだ投票券すら持ち合わせてない子供である。そんな僕らが街に蔓延る悪の芽を摘むなど難易度が高すぎる。それに、無理して超える壁でもないし。大人達に任せていればいつか解決する、その自信があった。


 だけど僕は、戌居君の友人だ。

 彼の熱意に焚きつけられて、ひとつの提案をしてしまう。


「僕にいい考えがあるんだ」


 暗闇でカラテを振るうのは、悪人であってはならない。

 ただ武術が好きな物好きが、趣味で遊ぶ程度でなくっちゃね。


「僕を襲った少女に会いに行こう」


 僕の提案に、戌居君と雉畑はポカンと口を開ける。

 そしてすぐに、納得したように頷くのだった。

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