サルタヒコ②

 ボーイッシュな少女が、戌居君へ向かって突撃していく。

 昼休み、弁当を食べていたときの話だ。


 彼女は僕を素通りして、戌居君へ向けてタックルを繰り出した。そこそこ勢いがあったけど、体格の良い戌居君が気合で踏みとどまった。呆気にとられる僕を余所に、少女は戌居君の肩を抱いて一方的に喋り始める。


 面白そうだから、黙って見物することにした。クラスメイト達の反応を見る限り、彼女が突撃してくることは稀にあるようだ。ひそひそと、物好き達が噂話を交わしている。


「土曜日の約束、忘れてないよな」

「あ、あぁ……」

「ん。用事はそれだけ。……の、つもりだったけど」


 わしわしと戌居君の頭を撫でて、格好良くて可愛い少女はご満悦の表情を浮かべている。戌居君はされるがままになっていた。少女の名前を知らないので、勝手に"柴犬さん"と呼ぶことにした。きっと、戌居君の彼女だろう。クラスメイト達がふたりに向ける視線から、僕はそう納得した。戌居君は文句を言いながらも満更でもなさそうだし、何も言わずにおくことにしよう。


 お幸せに、と僕は食べ終えた弁当をゴミ箱へと片付けた。


「おい、天童。こっち来いよ」

「えー、どうしようかな……」


 戌居君が少女を振り払って、僕に戻ってくるよう手招きしていた。どうしたものかと彼に抱き着く少女へと視線を向ける。彼女は僕の意見を汲んで首を横に振った。悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は可愛らしく、僕も素直に少女の願いを聞くことにした。


 具体的には、戌居君の元へは戻らずに自分の席へと帰った。まぁ、同級生が席を使っているのを思い出して、そのまま歯を磨きに行くことにした。食後の歯磨きは、とても大事だからね。


 うーん。

 それはさておき、って感じだな。

 カップルに教室を追い出された。なんてっこった。


「困った人だ……」

「残念ながら私も同意だわ」

「うわっ、雉畑」

「何よ。話しかけちゃマズいの?」

「いや、そんなことないけど」


 僕を蛇蝎のごとく嫌っている君から話しかけてくるんだもの、驚くなというのが無理な話だ。


 彼女も歯を磨きに行く途中らしい。手にはハブラシを握っていた。手洗い場につくと、少し水を流してから歯を磨き始めた。あまり気乗りはしないけど、彼女に聞いてみようかな。


「あの子、誰?」

「陸上部の子よ。同じ一年生」

「へー。名前は分かるの」

「猿田斐子あやこ。ピー子って呼ばれているわね」


 雉畑がボーイッシュ少女の名前を教えてくれた。なぜアヤコがピー子になったのかは不明だが、詳細は聞かないことにしよう。そこまで深入りする予定はないし、友人の彼女に興味を示すのも気が引けた。流石に名前だけは知っておかないと不便かなと思って聞いたけど、それ以外の情報はどうでもいいや。


「なんでも、放送禁止用語を平気で喋るらしいわ」

「雉畑と一緒だね」

「……ふぅ、踏みとどまった」

「じゃないと僕、死んでたかも」


 マジで殺す気だったろ。歯ブラシを加えた僕の顔面に張り手しようとしたからな、雉畑の奴。僕も迂闊なことを口走ったから、今のは両成敗の対象だろうけど。いやマジで今のは死ぬかと思った。


 左半分を磨き終えて、一旦口をゆすいだ。右半分も丁寧に磨きながら、もうちょっと猿田という少女について聞いてみる。必要はないけど、興味はあるからね。


「戌居君と彼女、仲いいんだね」

「中学からの同級生らしいわ」

「その情報、誰から聞いたのさ」

「戌居君。練習中にピー子に絡まれていたから、興味があったの」


 すげぇウザかったし、と雉畑は端的に感想を述べた。彼女にとって、武道場での稽古時間は神聖なものなんだろう。僕が"最強である"ことにもこだわっていたし、彼女なりに空手への思い入れは深いようだ。


 あまり考えたくないが、あの激甘空間を展開された横で真面目に正拳突きの練習をする気は起きないな。ひょっとして、と好奇心が疼く。歯を磨き終えて教室に戻ろうとした雉畑を呼び止める。口元を拭って、彼女に今日一番の爆弾を投げ込んでみる。爆発しても今度ばかりは文句が言えないぜ。


「雉畑って、戌居君みたいな奴が好み?」


 それは間接的に、戌居君のことが好きなのかを尋ねている。雉畑が猿田さんを嫌っている理由が横恋慕なのか否か、そこに僕の興味は集中していた。


「いや、私のタイプは普通にアンタみたいな……」

「…………」

「冗談よ。せめて驚いた顔くらいして」

「いや、君が冗談を言うとは思えなかったから」

「バカね。機嫌がいいときは冗談くらい言うわ」

「そう、なんだ」

「えぇ、私はそういう女だから」


 彼女は不敵な笑みを浮かべると、そそくさと教室に戻っていった。


 僕も戻るか迷って、猿田さんがいるか確認だけすることにした。彼女はまだ戌居君の側に陣取っている。僕が座っていたパイプ椅子は彼女の席になっていた。戌居君が珍しく穏やかな表情を浮かべているのを見て、なんだ、そんな顔も出来たのかと肩の力が抜けるようだった。恋人空間を邪魔しないように、僕は図書室へと時間を潰しに向かうのだった。

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