守るべきものたち
サルタヒコ
夏休み前、最後の学校。
サボっていた僕は授業に追いつくことすらままならなかった。
毎日のように積まれる課題の山を消化するだけで手一杯だ。勉強に疲れた脳が悲鳴を上げて、夢でも数式や英単語が躍っている。勉強の合間に体力を取り戻すための運動もしていた。その甲斐もあってか、最近は随分と体が軽く感じられるようになってきた。
心の怪我も順当に治っているようだ。左脚の傷が痛む頻度も減ってきた。医者からは傷跡も外見が酷いだけで機能としては問題ないとお墨付きをもらっている。喜慈の会の活動に参加することで心の傷が塞がれば、僕が真っ当な空手家に戻れる日も近いはずだ。
真っ当な空手家が何か、という問題はどけておこう。
今日も戌居君と、お昼ご飯を食べていた。
「それで天童。お前、休みの日は何してんの?」
「特に何も。ゴロゴロしているだけ」
「家でゲームとかしないのかよ」
「うん。趣味ないし」
「げー、マジかよ……」
廊下側にある僕の席から、窓際の戌居君の元へと馳せ参じている。椅子を持ってくるのは面倒で、教卓からパイプ椅子を拝借していた。僕が座っていた席はというと、サボりからの復帰初日にも見た女生徒が使っている。どうせ僕は昼休み中、戌居君の側にいる。持ち主の消えた席など、自由に使ってもらって構わなかった。僕だって、その程度の融通は利く男である。
「戌居君の趣味は?」
「ゲーム。あと、料理とか」
「作るのが好きなのか」
「いや、どっちかというと、片付けの時間がな……」
料理をするのは好きだけど、洗い物は苦手という人は多いと聞く。その点、彼は珍しい部類なのだろう。
戌居君は弁当を自分で作っているらしい。白飯だけ夜のうちに用意して、おかずは晩御飯の残りや冷凍食品で賄っているそうだ。僕はコンビニ弁当である。毎朝、昼夜合わせて二千円のご飯代がテーブルの上に置かれていた。愛は感じないけど、自由度は高いので不満はない。お小遣いとしては十分すぎるくらいだ。
ちなみに、雉畑は女子連中と一緒に卓を囲っている。僕よりも友達が多い。というか、僕には戌居君しか友達がいないのだった。なんとも寂しい青春だが、高校一年の前期を一ヶ月もフケていたのだ。今後も孤独を楽しむ気概がなければ、高校を卒業することは難しいだろう。いや、戌居君がいなかったら絶対に辞めていると思う。僕はそういう人間だった。
「んで、お前は夏休みどうすんの?」
「どうって……補習だらけだよ」
「そっか。暇なら喜慈の会へ遊びに来いよ」
「それはデートの誘い?」
「……はぁ……お前の冗談、無視していい?」
ご丁寧に聞いてくれるあたり、彼は本当に心優しい少年だ。
そして、僕らのジョークのセンスはやっぱり違っているらしい。残念だ。
「本当に遊びに行っていいの?」
「あぁ。この前、グループにも紹介しただろ」
僕が首を傾げていると、彼はスマホを取り出した。新しい機種だが、カバーが古かった。表面には無数の傷がついているが、機能的には問題ないらしい。彼が操作した画面を覗き込むと、確かに僕も知っているコミュニケーションアプリだった。
喜慈の会の面々が所属するグループにも入れてもらって、毎日流れてくる旨そうな晩飯情報を眺めている。いや、トレーニングとかの話も流れるんだけど、圧倒的に酒と飯の話が多かった。
あとは、おじさん達の下ネタだな。あれはキツい。嶋中先輩がたしなめれば止まるし、まだ理性の残っているおじさんが多いようで良かった。まぁ、僕は発言しないんだけど。
「実は使い方が分からないから、読み専なんだよ」
「気軽にやれ。適当に話に混ざって来い」
「ヤだよ。大人数で喋るの、苦手なんだ」
正直に告白すると、戌居君が渋い顔になった。僕に気を使ったのか、彼は話題を変えてくれる。彼が言うには、今度の日曜日に遊びに行かないか、ということだった。もちろん断る理由なんてない。二つ返事で了承した。
デートプラン(仮)は既に固まっているようで、飯を食べた後に映画をみて、適当にゲームセンターをぶらついてから解散の流れらしい。随分と有意義な休みになりそうだ。彼はよく映画を観に行くらしく、チョイスは任せることにした。アクション系が見たいと告げると、彼は素直に頷いてくれる。
日曜日が、俄然楽しみになってきた。
「そういえば天童、喜慈の会の……」
「よぉっす! 大地! いま、暇か?」
凛と透き通る声に振り返る。そこには日に焼けて褐色の肌をした、ボーイッシュな少女がいた。短髪も日焼けして、少し色が抜けている。彼女は人懐っこい笑みを浮かべ、ずんずんとこちらへ近づいてくる。
面白そうだな、と僕は少女の動向を見守ることにした。
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