部活のトモダチ
放課後だ。
授業から解放されて自由を得る時間だ。
まず、放課後という響きがいい。空手に精を出していた頃は練習が出来ることに喜んでいた。喜慈の会の活動で精神を持ち直した今なら、普通の空手も楽しくやれそうだった。だが、それはそれとしてサボり続けていた部活である。復帰初日にも雉畑をボコボコにして、多分めちゃくちゃ嫌なヤツとして認識されているに違いない。
「やーだー……」
「天童。今日こそ空手部に顔出せよ」
「先生に殴られない?」
「事情は説明してある。大丈夫だろう」
「私からも口添えしておいたから」
雉畑にすら助け船を出されていた。道着も持ってきてないし、と逃げる用意をしたが武道場には新入部員向けの洗濯を済ませた道着が準備してある。掃除を終えて帰宅する生徒達の喧騒を聞きつつ、僕らは武道場へと足を運んだ。
武道場の入り口で深呼吸をして、いざ尋常にと踏み込もうとした瞬間、背後から戌居君を呼ぶ声がした。彼と一緒になって振り返ると、体操服姿の猿田さんがいた。手に持っている華やかな色のバトンは陸上部の備品だろうか。彼女は戌居君へ向けて腕を振っていた。
「部活、頑張れよー」
「おう。お前もな」
「ん。テンドーくん? だっけ。大地をよろしくね」
それじゃ! とボーイッシュな日焼け少女は元気よく離れていく。僕の背に隠れるようにして、雉畑は猿田さんを避けていた。真面目を絵に描いたような彼女は、猿田さんのように自由奔放な子が苦手らしい。へー、ほー、ふーんと興味がないので適当に流した。明日になったら忘れているだろう。
武道場には一足早く練習を始めている上級生の姿があった。僕を睨む人も多いけれど、誰も何も言わない。実力至上主義だから何も言えないのかも、と思ってみた。更衣室で着替えを済ませると、戌居君が気難しい顔をして正座していた。彼を囲っていた上級生たちは僕の姿を確認すると、舌打ちと共に離れていく。これは事情を確認しておこう。
「イジメ問題?」
「なわけあるか」
「んじゃ、説明してよ」
戌居君は立ち上がり、僕を見下ろした。流石に上背では負けている。筋力量でも負けている。でも、畳の上で行われる空手の試合では彼に負ける気がしなかった。それこそが僕の才能で、彼が持っていなものだった。
「お前が戻ってくるのか、聞かれただけだ」
「なんて答えたの?」
「帰ってきましたよ。当たり前です」
「カッケー」
戌居君の説明によると、僕は先輩たちから嫉妬されているらしい。理由は単純明快。僕が頭一つ抜けて強いからだ。怪我で部活を離れていたけれど、最強のクセに怪我をしたのか――と難癖をつけている人もいるのだろう。雉畑もそうだし、僕自身もそう思う。畳の上だけじゃ、綺麗で正しいだけの武術じゃ守れないものもあるんだよなぁ。
特に否定するつもりもないので、平然と練習に参加した。
「天童、お前ってすげぇ度胸あるな」
「誘ったのは戌居君じゃん」
「まぁ……そうなんだけど……」
部活の開始時間になって、空手部の面々が円陣を組む。コーチの先生が話をするのを黙って聞いていた。話が終わればランニングだ。といっても外周を延々と走るような真似はしない。身体の筋肉を温め、関節が動く程度の軽い運動でいい。体力をつけたい奴は個人で勝手にやれ、というのが先生の方針だった。
武道場の内側を軽く走って、準備運動を済ませる。全体で受け身の練習をした後、学年毎に分かれて個別の稽古に映ることになった。
「よし、一年。集合」
先生の号令に合わせて、一年生全員が集合する。雉畑と戌居君が前に出て、他の一年生達が後に続いた。あのふたりが、空手部の一年生では中心となっているようだ。部活は男女に分かれていないけど、試合の際は男女と学年が別になる。リーダー格がふたりいて、困ることはなかった。
「先の大会は、残念だったな。だが、天童が帰ってきてくれた」
「……」
「次の大会は上位入賞を目指していくぞ」
なんてことはない激励の言葉だ。
適当にスルーして、明日になって忘れていてもいい。その程度の言葉だというのは重々承知している。だけど、僕は一言挟んでおきたかった。挟んでおかなくちゃいけない、と思った。手を挙げて、練習に戻っていく一年生達の注目を集める。そして、思いを素直に告げることにした。
「あの、先生」
「ん、どうした天童」
咳払いをひとつ。
それから、深呼吸をして。
「僕がいなくても勝てるようなチームこそ、強いチームだと思いませんか」
団体戦でも。
個人戦でも。
僕を乗り越えて、最強になろうとする奴がいてくれなくちゃ困るのだ。僕には空手しかなかった。全国大会で優勝するほどの実力を持っていても、家族は僕に見向きもしない。それでも空手に縋りつくのは、そこに居場所があると信じているからだ。空手をやっていたから雉畑と出会い、戌居君と繋がり、喜慈の会での活動に参加する次第となった。僕の居場所は、きっと、空手でしか見つけられない。
だから、もっと強い相手と出会いたい。僕の空手が更なる高みに行けば、僕の居場所も広く、深くなる気がした。
「みんなと組手がしたいです」
「いや、お前強いし……」
「だからいいんじゃないですか」
先生は渋い顔をしている。僕が他の部員たちと距離のあることを知っているのだろう。戌居君も似たような顔だ。一年生達は互いの顔色を窺い、どうしたものかと途方に暮れていた。たったひとり、僕への執着が深い女の子を除いては。
「ッしゃ、来い!」
「雉畑、たまに最高だよね」
「キモいこと言わないでよ」
「えー。褒めたのに」
上段に構えて、誰かに止められる前に試合を始めてしまった。先生が止めようかと踏み出したのを、戌居君がそっと手で制している。僕と雉畑は、それぞれにレベルが高い。思春期の男女の体格差など、埋めがたいものも多いけれど彼女の技術は本物だ。フェイントを織り交ぜ、丁寧に僕の胸を殴ってくる。僕は専らカウンター狙いだが、彼女もそれを分かって攻め手を小刻みに変えてきていた。
同級生達に見せつけるような試合だ。
それは以前の、僕が一方的に勝った戦いとは別物だ。
互いの力量を知り、空手を楽しむための試合だった。
「分かり合うには、これが早いよね」
回転蹴りを放って、雉畑の頭を狙う。
彼女のガードは硬かったが、高威力の技に体勢を崩して尻餅をついた。肩で息をして立ち上がれない雉畑に背を向けて、同級生達に拳を向ける。
「んじゃ、まずはここまで。次の人、やろうぜ」
こうして僕は、友達を少しずつ増やしていった。空手が心底楽しいと思えて、僕は安堵の気持ちを押さえられなかった。
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