越境
「それで、僕はどうすればいいんだろう」
部活を終え、帰り道だった。
自転車通学の戌居君は、僕を置いて先に帰ってしまった。僕の家は学校から歩いて十分の近所だから、自転車に乗る旨味はこれっぽっちも存在しない。残念ながら、これからも見送る側になるだろう。つまり僕は部活の後、毎回同じ相手と十分近く顔を突き合わせることになるわけだ。口下手な僕は相手にお伺いを立てることで何とか場を繋ごうとしていた。
僕の隣を雉畑が歩いている。
道着を仕舞った袋を肩に掛けて、彼女は頬を膨らませている。
「別に、何もしなくてもいいわよ」
「そうかなぁ。退屈じゃない?」
「別に刺激は求めてないし」
「そっか。やっしいね」
「……?」
彼女は首を傾げて、僕の解答を待っていた。
特別な意味なんてないのだけど。
「優しいね、を嚙み砕いてみた」
「くだらねー」
「はっはっは。いい反応だ」
雉畑は、素の態度が一番とっつきやすい。初対面の頃みたいに猫を被られても、僕には応対が難しくて相手がしづらかった。
さて、本当にどうしたものかな。
雉畑が僕の隣を歩いている。僕のことを嫌っている割には、特に距離を取る様子もない。それどころか、僕が話しかけるのを待っているようですらある。コンビニで出会ったこともあって、行動圏が近いのだろうなとは思っていた。だけど、こうして同じ方向を向いて帰ることになるとは思ってもみなかった。
彼女は喜慈の会のメンバーではないから、武術の裏の顔について話をすることはできない。空手の話題を振ると短い下校時間では不完全燃焼な会話になりそうだった。困った挙句、素朴な疑問をぶつけてみる。
「僕達って、中学、別々だよね」
「そうね。それが?」
「家、近いっぽいのに。不思議だと思って」
「学校区の違いでしょ。……あれ見て」
彼女が指差す先には、僕の家からも見える川が広がっていた。一級河川という大層な肩書のわりに、小学生でも泳いで渡れそうな細い川だ。ついでに汚い。毎年、夏になるとボランティア団体の人が清掃活動をしているのを思い出した。
「あんた、あの川の向こうでしょ」
「えっ、僕の家を知っているの」
「知らないけど分かるのよ。そこが校区の切れ目だから」
「へー、賢いね」
「バカにしてんの?」
拗ねたように眉尻を上げて、雉畑は僕を小突いてくる。雉畑は僕よりも物知りだった。素直に感心して、彼女への評価がぐっと上がる。僕はかなり単純な男だった。
気が付いたら、彼女と中学時代の話をしていた。どういう学校生活だったのかを、なんの気負いもなく喋る。奇妙な感覚だった。彼女とはそれほど親しくないつもりだったのに、気付けば戌居君よりも沢山の積もる話をしていた。十分にも満たない時間だが、一時間は喋っていた気もする。知り合いと友人の境界を、知らぬ間に踏み越えていたらしい。
件の川に掛かる橋に差し掛かったところで、雉畑が歩みを止める。
びっくりして、僕も立ち止まった。
「えっ。……あ、そっか」
「うん。私、こっちだから」
彼女は橋ではなく、川沿いに続く別の道を指差した。
この先の住宅街に彼女の家があるらしい。
「それじゃ、また明日」
ひらひらと手を振って、雉畑が歩き出す。
僕はその背中に、何と声を掛けていいか分からない。もう夏休みも目前だ。意識せずとも部活で顔を合わせるだろう。クラスだって同じだ。だけど僕は彼女に何かを伝えたい。伝えるべきだと思った。必死に回した頭とは裏腹に、声は出ない。喉の奥が潰れたように言葉が歯の裏側にぶつかって消える。
「雉畑」
やっとの思いで絞り出した言葉に、彼女が振り返る。
右手を大きく掲げて、彼女に手を振る。
「また明日、学校で」
「それだけ?」
「……それだけ」
「そう」
素っ気ない態度の彼女は、すぐにそっぽを向いて歩いて行ってしまう。
けれど、その横顔が。
一瞬だけでも笑っていた気がして、僕の胸は少し暖かくなるのだった。
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