馴染み初め

 一ヶ月サボっていた学校にもようやく馴染んできた。

 

 そう思っていたのに、気付けば夏休みだ。しばらくクラスメイトとも顔を合わせない日々が続く。毎日のやり取りをしている友人相手ならともかく、挨拶をする程度の微妙な関係だと長期休暇明けって声が掛けづらいんだよな。終業式を終えた学生達が次々に体育館を出ていく。


 教室に荷物を取りに行った後、僕は雉畑へと声を掛けに行った。あまり相手の容姿に触れるのはよくないけれど、彼女の黒くて長い髪は美しかった。空手の試合で邪魔にならないかとも思うけれど、切るよりも伸ばすことに信念があるのだろう。スポーツをやっているから短髪にしなくちゃいけない、なんて規則もないからね。


 と、それはさておき。


「ねぇ、雉畑。僕と練習しない?」

「……何を?」

「空手」


 それ以外に何があるというのだ、と僕は首を傾げた。彼女は三秒固まって、更に三秒考え込む。僕への返答を出すまでに、結局三十秒も費やした。


「いいけど。珍しいわね」

「最強の肩書を維持するには、日頃の努力が大切なんだ」


 もちろん、持って生まれた才覚も必要だけど。それを盛って他人よりも優れたものとして誇示するためには、怠けてばかりもいられないのだ。何よりも、喜慈の会の活動に参加するにあたって、裏技――相手に怪我を負わせるリスクが極めて高い技――ばかりを練習していたのでは、いつか僕も加害者の立場になりかねない。


 表の武術で技術を磨く。そして悪意ある人間に立ち向かうための力をつける。そのバランスを磨く必要があった。


「君にしか頼めないんだ」

「戌居君や、他の部員は連れ立って遊びに行ったから?」

「…………」

「そして女子部員には恥ずかしくて声も掛けられないけど、私相手なら既に言葉も拳も交わした経験があるから、行ける。そう踏んだのね」

「ご明察ありがとうございます」


 深々と頭を下げるよりも他になかった。だって頼れる相手なんていないし。彼女は肩を揺すって笑うと、僕の背を叩いて教室を出ていく。ダメなのかな、と落胆しかけたところで了承の返事をもらった。良かった、と僕は安堵に胸を撫でおろす。


「武道場は使えないけど、どうするの」

「僕にアテがあるんだ」

「へー。それじゃ任せるわ」


 僕の先導で、喜慈の会の拠点へと向かった。今日は空手部の活動は休みだ。それもあって、戌居君や他の空手部員たちは遊びに出掛けている。午前で終業式も終わったから、今日を夏休み初日とカウントする生徒もいるのだろう。半日とはいえ、学生が遊ぶには十分すぎる時間だ。


 空手部が休みだから、先生も帰っている。顧問や監督者がいなければ武道場の鍵は借りられない。怪我をした場合に責任を取れる大人がいないから、ということらしかった。喜慈の会に入れて貰えてよかったね。もし場所がなければ、広い街をランニングするくらいしか出来なかっただろうし。


「ここなんだけど」

「大丈夫なの? 非合法な感じするけど……」

「ハッパもケムリも取り扱ってないからね」


 喜慈の会のアジト、廃工場へとやって来た。相変わらず薄暗くて、やけに雰囲気のある空間だ。好奇心旺盛なチビっ子が迷い込めば、鉢合わせた屈強な男を見てビビり散らかすことだろう。


 工場の一角で嶋中カズオ――僕らの先輩にあたる人が、筋トレをしている。平日の昼過ぎだというのに、意外と遊びに来ている大人がいるようだ。僕が数えた限りで四人。武術で繋がった物好き達が、暇さえあればアジトへと顔を出しているのかもしれなかった。


 挨拶をして嶋中先輩へと近づいていく。戌居君は空手部の他の子と遊びに行ったから、今日は留守である。彼がいない状態で喜慈の会に顔を出すのは初めてだから、少しだけ緊張していた。


「嶋中先輩、仕事お休みですか」

「社休日だ。ウチんとこはホワイトだから」

「ウソこけ、仕事がなくて休みになったんだと」


 がはは、と嶋中先輩の隣にいた男が大口を開けて笑う。先輩もそれを否定せず、黙々と鉄アレイを上下させていた。


「大丈夫なんですか、それ」

「まぁ、潰れはしないだろう」

「うーん。ま、それならいいですけど」


 僕が心配することじゃないしな。


 先輩達に雉畑を紹介して、廃工場の隅のスペースを使わせてもらうことになった。以前の山狩りにも参加している彼女のことを覚えている人もいて、話はスムーズに進んだ。なるほど、こういう点でも人付き合いというものはしておくべきだと実感する。高校を休んでいた一ヶ月も勿体なかったな、と少し後悔した。


 借りたスペースに腰を下ろして、色々と準備をする。

 軽く型を稽古するだけなら、制服のままでもいいか。

 雉畑は体操服を手に周囲を見渡している。


「着替えたいんだけど」

「……あー、場所は」

「適当に探す。覗いたら殺す」


 躊躇なく言い切って、彼女は物陰へと消えていった。

 様子を見ていた大人達が、なぜか僕の方へと近づいてくる。


「あの子、お前の彼女?」

「ではないですが」

「チラッと噂は聞いたけど、強いのか?」

「僕ほどじゃないですが」


 直接話したことのないおじさん達に囲まれて、少しビビる。


 でもSNSでのやり取りをしたことはある。戌居君に言われて、少しずつだが会話に参加するようになった結果が、彼らとのこの距離感なのだろう。適当に喋りながら、雉畑の帰りを待つ。筋トレをしていた嶋中先輩も寄ってきて、雑談の花を咲かせた。もしも会話に色があったなら、雑多だが華やかな色をしていることだろう。


「で、天童よ。聞きたいんだけど」

「はい。なんでしょう」

「お前はあの子のこと、どう思うんだ?」

「えぇ……別に……」


 すごく嫌われている相手だし、刺激しないように立ち回れればいいなと思っている程度だ。ただ、彼女が強い空手家であることは間違いない。僕が彼女に勝っているのは、あくまでも圧倒的な才能の差によるものだ。今後十年、僕らが同じ道を歩んだとしよう。その時、僕よりも遥かに高い熱量を持つ彼女が僕に追いつかないはずがない。彼女と同じだけの強さへの渇望は僕にはなく、僕にあるのは武術を正しく扱いたいという感情だけだ。


 料理が上手になりたい人が、雉畑。

 包丁捌きを磨きたい人が、僕。


 どちらの料理が美味しいのかは、考えるまでもないだろう。ちなみに武術を他人を傷つけるために使うのは、包丁を人様に向けるのと同じ行為だ。本来の目的から逸脱した、残念極まりない行為である。


「お前、色気がないんだなぁ」

「色気? 色恋は興味ありませんよ」


 僕とは無縁の話だろうし。

 そうこうしているうちに、雉畑が戻ってきた。


「お待たせ。天童君、何からやるの」

「ウォーミングアップに、運足からやろうか」

「基礎じゃない」

「基本が一番大事なんだよ」

「……天才様が言うなら、そうなんでしょうね」


 口では文句を言いつつも、彼女は僕と一緒に稽古をしてくれるようだ。運足、いわゆる型の足運びから始めて、技そのものの稽古へと順番に進んでいく。僕には特定の流派がない。学校の空手部で教わるような、基本中の基本程度の型を覚えてフルコンタクトの空手を始めた。それはもう、ものすごい失敗の数々を経験したけれど、その甲斐あって最強の称号を頂くことになったのだ。


「ちょっと待って、休憩」

「まだ序の口だよ」

「嘘よ、だって、普通は」


 泣き言だと気付いたのか、雉畑が唇を結んで言葉を耐えた。


 心の傷が塞がったら、左脚の痛みも嘘のように消えた。痛みがなければ身体は精神の思うままに動き、自由に羽を伸ばせるのだ。コンビニ強盗からも逃げきれずに雉畑から助けてもらった頃の僕とは打って変わって、今や額に汗を滲ませる雉畑を余裕で眺めていられる程度には体力を回復していた。


「それじゃ、次行こうか」

「……っ、いつか、いつか超えてやる」

「ふはっ、いいね。楽しみだ」


 彼女の瞳に燃える執着の炎が美しい。

 そんなことを考えながら、僕は拳を振るうのだった。

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