映画デート

 戌居君とのデートの時間だ。


「いや違うから」

「照れるなよ、アッハハハ」

「天童。あんまり俺をからかうなよ」


 戌居君の困り顔を見るのが面白くて、ついからかってしまった。


 夏休み最初の日曜日だ。彼は昨日、空手部で午前の活動を終えた後に猿田さんとデートをしていた。噂に聞く限りでは、ふたりで映画を観に行ったそうだ。今日、僕らが観に行く映画館とは違う場所へ足を運んだらしい。タイトルだけなら僕も聞いたことがある、香港で撮影されたアクション映画だった。


「楽しかった?」

「そこそこ」

「映画よりも猿田さんとの時間が楽しかったのかな」

「うるせぇ」


 不機嫌な態度で誤魔化しているが、やはり猿田さんとの時間は彼にとって楽しいようだ。根掘り葉掘り尋ねるつもりもないけれど、彼が感じた楽しさをお裾分けしてもらいたい気分ではある。いいなぁ、羨ましいなぁと彼に話を聞くのだった。


「で? 俺達は何の映画を観るんだ」

「決めてないよね。テキトーで良くない?」

「お前、たまに面倒な彼女みたいな口振りになるよな」

「えへへ。そうかな」

「誰も褒めてねぇよ、ったく」


 珍しくジョークが通じたらしい。戌居君が笑ってくれて、僕は少し嬉しくなった。


 集合場所の駅前から、徒歩十分。目的の映画館へ到着すると、戌井君は券売機の前で立ち止まった。僕に見たい映画を尋ねて来る。個人的な趣味としては恋愛映画が観たいのだけど、それを友人相手に説明するのは恥ずかしい。はて、どうしたものかなとふたりで悩む。


 思っていたよりもお客さんの数が少なくて、僕らの後ろで券売機が空くのを待っている人もいない。急かされることもなくて、悩みの種をどう潰すか考えてしまう。うーん。半端に田舎町だからな。


 券売機の前で唸っていた戌居君が、観念したように言った。


「俺、観たい映画があるんだけど」

「うん」

「これなんだけど」


 彼が指差したのは、僕が観たいと思っていた恋愛映画だ。ジョークのセンスは違うけど、好みのジャンルは一緒らしい。それにしても、まさか彼から提案されると思わなかったので驚いた。内心でほくそ笑みながら、戌居君の案内に従ってチケットを買う。時間帯の影響か、それとも人気のない映画なのか。自由に席を選べたから、真ん中より少し前の列を選んだ。


「猿田さんとのデートはどうだった?」

「……いや、デートじゃないよ」

「嘘だぁ」

「マジだって。映画観に行った後も、勉強会をやったし」

「どこで?」

「……あいつの家で」


 どう考えてもデートでは?

 恋愛経験のない僕は訝しんだ。


 上映までの時間は適当に喋って潰した。何せ、知り合って間もないのだ。話したいことは山ほどあった。上映開始時間に合わせて入場すると、やはり客の姿は疎らだった。長い広告を横目に、僕らはまだ話を続けた。声のトーンを落として喋ると、戌居君が顔をしかめた。気になって尋ねると、彼はそっぽを向いて答える。


「なんか、お前の声、くすぐったい」

「……うえ」

「おい。それは俺の台詞だ」

「戌居君、浮気相手に僕を選ばないでね」

「あのなぁ、天童。俺にそっちの趣味はねぇの。猿田のやつも――」


 何かを言い掛けて、戌居君が口を噤む。彼なりに悩んでいることもあるようで、僕は黙っておくことにした。友人を怒らせても、一文の得にもなりはしないからね。


 最後の広告が終わると同時に、館内の照明が落ちていく。楽しみにしていた映画が始まる瞬間。それは期待と落胆の狭間に揺れる、とても怖い時間だった。映画は思っていたよりも賑やかな滑り出しを見せた。名前も知らない俳優が、自然体の演技を披露している。一瞬、ドキュメント作品なのかと姿勢を正したほどだ。


 内容は平凡だった。些細な出会いを契機に親交を深めた男女が、すれ違いを乗り越えて愛を知る。簡単にまとめれば、そんな一行に濃縮されてしまうほどに普通の作品だ。特別褒め称える点もなく、しかし批判すべき欠点も見当たらない。及第点という言葉がよく似合う映画である。


 映画が終わって照明が戻ると、僕は横の席で腕を組む友人へと話し掛ける。


「感想は? 戌居君」

「フツーだな」


 ジョークのセンスは違うのに……と映画の感想を共有した僕は頬を膨らませた。


 不思議なことに、彼は映画が平凡な出来であることを知っていたように見える。それでいて満足気な表情を浮かべているのが不思議で、もうひとつ質問を重ねてみることにした。


「この映画を選んだ理由は?」

「なんだ。天童にはつまらん映画だったか」

「そうでもないけど。少し気になって」


 ただ面白い映画を観たいだけなら、他の選択肢もあっただろう。恋愛映画に絞ってみても、他にふたつ、作品の選択肢があった。それをあえてこの平々凡々な作品にしたということは、何らかの意図があるに違いないのだ。細い糸を辿るように、言葉を重ねて戌居君に迫る。彼はいくつかの質問のあと、観念して答えてくれた。


「好みの女優がいたから」

「ふーん。戌居君もそういうこというのか」

「ンだよ。悪いのか」

「硬派な男だと思っていたから……」


 猿田さん相手には軟派だけど、基本的に彼は硬派な男だ。教室でも空手部でも仏頂面だし、疲れた顔で溜め息ばかり吐いている印象があった。その彼が、好みの女優がいるから、などという理由で映画をみる人だったとは。猿田さんと一緒には見なかった理由も、これで理解できた。


 興味本位に、更に質問を加えた。


「んで、誰が好みのタイプ?」

「言わねぇ」

「いいじゃん。教えてよ」

「絶対に言わねぇから」

「んじゃ勝手に想像するよ」


 映画の公式サイトを開いて、主要人物の画像を眺めていく。ふと、ショートカットの女性が目に留まった。朗らかに笑う、サブヒロインの立ち位置を演じていた女性だ。この雰囲気には見覚えがある。誰だっけな……と考えていると、僕のスマホを奪い取るようにして彼は肩を抱いてきた。


 どさくさに紛れて、スマホの電源を消されてしまう。


「誰だっていいじゃん。メシ行こうぜ、な?」

「露骨に話題を変えてくるじゃん」

「……俺の奢りでいいから」

「行きまーす。もう詮索もしませーん」


 現金すぎだろ、と彼は苦笑を隠さない。


 そして僕も、おごられるからに余計なことを言うつもりもなかった。まさか、猿田さんに似た雰囲気の女優を好みと宣言するなんて、いかに戌居君だろうとそこまで大胆なことはしないだろう。いや、案外僕が観ていない場所では彼女を口説きに掛かっているのかもしれない。羞恥心に耐えかねた彼女に怒られて、仕方なく僕と一緒にあの映画を観たのかも……。


 色々なことを考えて立ち止まった僕に、振り返った戌居君が言う。


「あ、そうだ。水曜日に会合やるから、空けとけよ」

「急だなぁ」

「どうせ暇だろうがよ」

「まぁね」


 居場所が与えられるなら、僕はどこでも良かったのかもしれない。……いや、それはないか。へらへらと笑って、僕は彼の後ろについていく。少し遅めのお昼ご飯だ。彼のお気に入りだと言う定食屋は、かなり量の多い店で大変な目に遭うのだが、それはまた、別の機会に。

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