先輩の有志
喜慈の会の集まりに参加していた。地域のボランティア団体として、市の行事等々に参加を要請されているらしい。入って日の浅い僕は、先達の話を黙って聞いていた。一時間近い話し合いを経て、ようやく自由になった会員たちが思い思いに身体を解し始める。
会合の後は、手合わせをするのが慣例らしい。
戌居君の説明を聞いて、僕は満面の笑みを浮かべた。
「最高だね」
「バトルジャンキーかよ」
「いや、観戦するのが好きだからさ」
強い相手と試合をするだけが武術の愉しみではない。より広く見聞を得るためにも、様々な試合をみて技や精神を吸収するのが大切なのだ。特に喜慈の会の面々には空手以外の武術を会得、修練している人が多い。知らない技を知ることは、単純に知識欲を満たしてくれる。大変に面白かった。
「まぁ、怪我はしないように」
「そして、させないように、だね」
僕の言葉に戌居君が頷く。
僕らの視線は、嶋中先輩と四十代程度のおじさんの戦いに向けられていた。嶋中先輩は柔道着を身に纏っていた。年季の入った柔道着だ。先輩が手を前に構えれば、自然と手首が露出する。相手に掴まれないよう、袖口をあえて短くしているようだ。
対する男はどんな武術を使うのか、僕にも皆目見当がつかない。白髪混じりの短髪をオールバックにし、作務衣を身に付けていた。徒手であるからには、空手か、柔術か、それとも大陸の拳法か。
稽古場として使われる廃工場に、試合のための区画が設けられている。仕切られた空間にふたりが立ち、互いに礼をした。泰然自若の構えを見せた嶋中先輩に対して、中年男性が勢いよく駆けていく。頭部めがけて繰り出した蹴りに先輩が防御の姿勢を取った、同時に相手の足頸を掴んで攻守を逆転させようと目論んでいるらしい。
バチッと空気の爆ぜる音がして、嶋中先輩が手を引く。
白髪交じりの男性は、不敵な笑みを浮かべたままステップを踏んでいた。
「惜しい、掴み損ねた」
「蹴りを掴むのは難しいからな」
「握力がないと難しいよね」
「タイミングも必要だしな」
僕が戌居君と喋っている間に、先輩の試合は進んでいく。
相手が武器を持っていないことを想定した試合だ。嶋中先輩は機を窺ってじわじわと距離を詰めていく戦法のようだ。相手の男性は積極的な攻撃を繰り出していた。攻撃が最大の防御だと言外に語っている。ある意味で清々しく、僕は彼のことも応援したくなった。
「我流だね、あのおじさん」
「喧嘩殺法だからな」
「あー、納得かも」
顔や腹ばかりを集中的に狙い、隙あらば蹴りを入れ込む。その戦い方は喧嘩に近かった。派手な大振りのパンチに蹴りを織り交ぜて、相手の気力を削ぐことに特化した戦法だ。急所しか狙わない。故にすべての攻撃が必殺になり得る技となるのだ。時折、嶋中先輩が伸ばした腕が男の身体を弾く。ダメージはほとんどないように見えた。
「戌居君、どっちが勝つか賭けようぜ」
「賭博は違法だぞ」
「ジュース一本でいいからさ」
「……まぁ、それなら」
せーの、で本人たちに気付かれないように指を向ける。ふたりとも同じ相手に指差しをしていて、納得とも失望ともとれる溜め息が漏れる。まぁ、この場合において他の選択肢はないからね。ともに指差した相手へと視線を向ける。嶋中先輩が、ようやく本領を発揮してきたところだ。
攻めてきた男の腕へと手を伸ばす。野性的な本能と、相手を知る理性の両方が働いて男が嶋中先輩から距離を取る。
試合開始から五分。
息を切らせた男の前には、鉄の壁みたいに立ちはだかる嶋中先輩がいた。
「体力あるねぇ」
僕の口を滑り出たのは、素直な賞賛だ。
動きが鈍くなっていく男に先輩が迫っていく。蹴りで距離を保とうと奮闘するおじさんも、ついには蜘蛛の糸に絡めとられた蝶々みたいに足がもつれた。彼が倒れるより早く袖を、襟元を、嶋中先輩が掴む。目にもつかない早業で、彼は男性を地面へと抑え込んだ。調子の良い喜慈の会の面々がテンカウントを始める。
真っ赤な顔をして奮起したおじさんが全身に力を込めても、技を返すことは出来ない。勝負は既に決していた。
カウントを終え、力尽きたおじさんから嶋中先輩が離れた。周囲からの拍手に頭を下げ、先輩はこちらへ向かって歩いてくる。額に浮かんだ汗を、袖口で拭っていた。
「お疲れ様です」
「……で、どっちがジュースを奢ってくれるんだ」
「うわ、聞いていたんですか」
「地獄耳だからな」
天童。
戌居。
先輩に短く名前を呼ばれ、僕達は自然と背筋を伸ばした。
「しょうがねぇから、奢ってやるよ」
ニカっと歯を見せて笑った先輩に、僕らは顔を見合わせる。
「いいんですか?」
「どうせお前等、俺が勝つ方に賭けていたんだろ?」
「……まぁ、そうですけど」
失礼な奴めと怒られるものだとばかり思っていた。むしろ褒められてしまっては、僕らはどうすればいいのか分からなくなる。言葉に窮していると、先輩は一層、楽しそうに笑う。この人がこれだけ笑うのも、滅多にないことだった。
「先輩、何かあったんですか?」
「いや、何。後輩に慕われるのは気分がいいからな」
「……そういうもんですかね」
「お前もハタチ超えたら分かるよ」
渋い顔をした戌居君に、嶋中先輩は朗らかに答える。
成人した後の楽しみがひとつ増えて、なぜだか僕も嬉しい気分になるのだった。
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