反抗する僕ら
ラヴレター?
少しだけ、ウキウキしている。
人生初のラブレターを貰ったからだ。
夏休みの学校に呼び出された僕は、自分の教室へと足を運んでいた。呼び出しを受けた、と言ってもトラブルに巻き込まれたわけじゃない。通り魔に襲われてから一ヶ月、サボっていた期間の穴埋めをするために学校へ来ているのだ。
補習を受けるため、眠い目を擦りながら登校した。学生すら文句を言いたくなるのだ、余分な仕事を増やされたと思っている先生方の心労もそれなりのものだろう。まぁ、それが仕事なんだ。諦めてくれと同情をゴミ箱に捨てる。
一応、これでも青春真っ只中の高校生をやっているつもりだ。補修のために学校へ来たとはいえ、下駄箱にラブレターが突っ込まれていては無視するわけにもいかなかった。幸いにも補習の開始まで十五分ほどあるし、最悪、遅刻しても誠心誠意の謝罪をすれば許してくれる先生だ。気楽に行こう。
「……緊張してきたな」
生まれて初めてラブレターを貰った。
真っ白な便箋にハートのシール。文章は簡潔に、待っている教室と、時間とが書かれていた。僕が補習を受けることを知らなければ、まず投書すらしないだろう。だって夏休みだし。僕が補習をサボっていたら差出人の熱意が無駄になるという点も含めて、味わい深いものがあった。
さて、誰が来るのかな。
教室の扉が開いて、一人の少女が顔を覗かせた。
小柄で、可愛い子だ。短めの髪は薄く茶色に染めている。彼女は僕の姿を認めると、手に持っていた写真と見比べる。そして、安心したように声をかけてきた。
「やっほ。君が天童君だね」
「名前も知らない相手にラブレターを?」
「あはは。それが仕事だから」
初対面の少女は朗らかに笑って近づいてくる。変わった子がいるものだなぁ、とぼやきながら僕は彼女が歩いてくるのを待った。挨拶ぐらいはしておくか、と片手を挙げて初対面の相手に向けて気の利いた言葉を考える。文芸賞が貰えるほどの素晴らしい挨拶を考え付いたけど、それが台詞になって口から出ることはなかった。
少女の刺突を避ける必要があったからだ。
「あ、今の避けられるんだ」
「天才だからね」
「うわー。噂に違わず嫌味な人ですねぇ」
「心外だなぁ。不審者相手にもフラットな態度の聖人なのに」
報告書を読み上げるみたいに、僕らは淡々と言葉を交わす。
少女の右手にはナイフが握られていた。それを、彼女は僕へと突き出してきたのだ。刃渡り十センチにも満たない小型のナイフだった。人間を傷つけるには些か不向きにも見えるが、携帯するには便利な刃物だった。ギラつく銀色の刃をかざして、少女は他愛もない笑みを崩さない。
この子も、道を踏み外した一人のようだ。
喜慈の会の人間として、彼女を社会の枠組みに戻してあげよう。
ま、それはそれとして。
「僕が勝ったらデートしてくれる?」
「……あのー、状況を理解できてますか?」
「超可愛い子に襲われている。以上」
「うーん……。これは、舐められてますな」
美少女が微妙に渋い顔をした。
流石に襲撃対象から求愛されるとは思っていなかったらしい。これはこれで興奮するものがあって、僕もズボンの位置を調整した。補修のために学校へ出向いたのに、微塵も関係ない相手に襲われているのだ。その理由とか、そもそもどこのどなたですか? みたいな質問を省いて彼女の襲撃を受け止めてあげているのだ。
この程度の我儘、聞いてもらわなければ損である。
「それで、デートはしてくれるのかい?」
「私が勝ったら、命を貰うよ」
「ははっ、それじゃ交渉成立ってことで」
一方的に言い切って、僕は構えを取った。
ちなみに、デートの場所はもう決めてある。
留置所だ。
少女は刃渡りの短いナイフ以外の武器は持っていないようだ。いや、訂正する。ローティーンモデルみたいな容姿も彼女の武器だ。まぁ別に可愛いから武術的な強みがあるかと言われれば無いし。僕は躊躇も容赦もなく急所を狙わせてもらうけど。
突き出しに合わせてスウェーバックした。少女は武術を習ってはいないようだ。冷静に心臓や眼球を狙ってくる点を除けば、素人と大差ない。彼女のナイフを捌くのは難しくなかった。素直に顔面を狙ったら、少女がぎょっとした顔をする。判断も早いし、素養はあるのだろう。紙一重に避けられて、返しの刃が僕の制服を撫でた。カッターシャツの胸元が破けて、中に着込んでいたワイシャツが覗いている。
「……本気出すかぁ」
「ん。そうしたまへ」
小柄な少女は、にこやかな笑みを浮かべたまま僕へと攻撃を繰り返す。
勘の鋭い子だ。保つ距離が絶妙だった。彼女が小柄なことも手伝って、僕の方が優位なはずなのに。それを、机が並ぶ教室というステージで補っている。蹴りを繰り出そうにも机が邪魔だし、掴みに行けばナイフが煌く。学校で僕を襲撃するなら、この子が確かに適任だろう。
全身が総毛立つ感覚とは裏腹に、僕は笑みを浮かべていた。机から出た椅子を蹴って距離を稼ぎながら、少女に向けて話しかける。
「君はなぜ僕を襲うの?」
「お金がもらえるからです」
「わー、単純。その報酬の二倍出すから止めてと言ったら?」
「悩んだ振りして無視する。信用第一なので」
「そりゃそうか」
淡々としたやり取りも僕好みだ。
雉畑もこれくらいサバサバしていれば……と思わなくもなかった。彼女はもっと……言葉を選ばなければ、陰湿って感じだし。根暗ともいうね。そんなことを考えている間に、少女のナイフを手刀で叩き落とした。そのまま少女の顔面を狙う。当然、空手の試合では反則だ。でもしょうがないだろう? 蹴りが届かず、他にも武器を隠している可能性はあるのだから。
顎に拳が直撃した少女は、身体の制御を失ってその場へへたり込む。彼女の背後にまわって、僕は腕を絡め取った。まるで抱きしめるような姿勢のまま、少女の耳もとに囁く。
「君の名前は?」
彼女は答えない。
「どこの所属?」
彼女は答えない。
「襲撃の目的は?」
彼女は答えない。
「報酬ってどのくらい?」
彼女は答えない。
「デートしようよ」
「嫌ですけど」
そこは答えるのかよ。
抵抗の意志が衰えない少女の手を、腰から外したベルトで縛り上げる。この状況で大声を上げられたら僕の方が捕まりそうだよなぁ、と思いつつも彼女が静かにしているのを眺めていた。仲間がいれば声を上げるだろうから、単独犯であることに疑いはない。まぁ、万が一彼女が大声を張り上げたところで素人が束になっても僕に敵うはずもない。
携帯を操作して警察を呼んだ。
遂に少女も観念したのか、依頼主の名を明かしてくれる。
「私はキジの会の依頼で来ました」
「は?」
キジノカイ。音だけを拾えば、喜慈の会。僕が所属する組織だ。
彼女は僕の疑念を汲み取って、少し丁寧に説明してくれた。
「鬼児の会。武術の在り方を模索する組織ですよ」
「……へぇー……」
喜慈の会は武術で人を救う。
鬼児の会とやらが武術で何をしようとしているのか。
何やら怪しい雲行きを感じて、僕は戌居君に連絡を入れることにした。
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