補習時間
不審者の侵入があって、補習の開始は遅れている。
いっそ中止にすればいいのに、と愚痴を漏らした。
僕が警察へ通報し、警察から教師へと連絡が行ったらしい。犯人の少女を拘束する僕の元へ現れたのは、生真面目な性格で有名な女性教諭だった。彼女と一緒に警察が来るまで待ってから、僕は教室を離れた。最後までデートの誘いに対して快い返事を貰えなかったのが残念だ。
学生達に詳細な事実は伝えられていないはずだが、既に噂話のレベルで話が広がっている。補習クラスへ向かうと、生徒達は野次馬根性を剥き出しにしていた。窓にスマホを向けて、校門に到着したパトカーに興味津々だった。当事者の僕が火消しを頼んだこともあって、騒ぎは下火のままに鎮火していくだろう。
努めて平静に、知らない男子生徒に話し掛けた。
「配布プリントはどこ?」
「そこの机の上だよ。お前、パトカー来たの知ってる?」
「いや、知らない。何の話?」
「それがさ、ついさっきなんだけど……」
初対面のはずだが、彼は滅多にない経験を誰かと共有したくてたまらないようだ。聞いてもいないことをペラペラと喋ってくれる。止まることのないマシンガントークに、喋りが苦手な僕は素直な感嘆を覚えた。舌の根が乾かないのも、なんだか羨ましいものだ。
警察が出動するほどの非常事態が起きているのなら、素直に逃げた方がいいと思うけど。まぁ、犯人は既に捕まっているし、大騒ぎにしないために館内放送も掛かっていない。それでもパトカーに目聡く気付く生徒がいたのはすごいけど。
遅れてきたのを気にしている風を装って、僕は教室を見渡す。補習クラスには十人程度の学生がいた。誰も僕には注視していないようだ。スマホを窓の外に向ける子、ゲームに夢中な子に混じって、机に突っ伏している子がいた。そっと近づいて彼女の名前を呼んでみる。
「あの……猿田さん?」
「んあ。あれ。大地の友達じゃん」
「どうも。覚えてくれて光栄です」
「名前も分かるよ。テンドー君でしょ」
彼女がにっかりと笑うと、日差しが強くなった気がして視線を逸らす。窓際から差し込む陽光に、僕の瞳は耐えられないようだ。眩しいものは苦手なのだ。そこには、人間性も含まれる。ふはは、根が暗い人間なのだ、とか言ってみる。声を掛けたのは僕だけど、それ以上に話すことも思いつかない。僕は軽く手を上げて挨拶して、すぐに踵を返した。
後ろ髪を引かれるような思いがするのは何故だろう。
適当な席に座ると、肩を叩かれた。
振り返ると、そこには猿田さんがいる。
どうやら、話し相手がいないから寝ていただけらしい。
「ねー。お喋りしよー」
「持ちネタは戌居君の秘密しかないよ」
「なんで大地が出てくんのさ」
「ん? まぁ、色々と思うことがあるんでね」
退屈を持て余しているのか、彼女は僕に絡んでくる。僕に出来る話題といえば武術と戌居君の話くらいだ。世間話は難しい。まず、僕と彼女に共通する話題がどこにあるのかを探すのが……いや。今回に限って言えば、共通項を探すのは簡単だな。ぐでっと机に伏した彼女に質問を投げかける。
「どうして猿田さんは補習を受けることになったの」
「テストの成績がヤバかったから」
「……授業はちゃんと受けていたんだろ?」
「うわー、大地とおんなじこと言うね」
授業を聞いても、分からないものは分からない。テスト期間に必死こいて勉強しても、埋まらない溝を眺めながらテスト結果を受け取るしかない人間もいるらしい。僕は一ヶ月も学校をサボっていたけれど、戌居君に頼み込んで勉強を教えてもらった。彼女も戌居君と付き合いの深い子だし、当然、彼の薫陶は受けているはずなのに。
「戌居君に教わってないの?」
「だって、大地に聞いても分からんもん」
「あ、一応は教わっているのね」
「うん。超仲良しだし。大地は頼り甲斐もあるしねー」
その一言だけで、僕は救われた気分になる。いいなぁ、羨ましいなぁと繰り返す言葉は僕に希望をくれた。悪意を舐めたことのある僕には、彼女と戌居君の平々凡々な友情が堪らないご馳走にすら思えるのだ。
あの授業が難しい、あの先生の説明が分からないと勉強が出来ない僕らなりの"あるある"を繰り返す。意外と楽しい時間だった。彼女が聞き上手なのか、喋りが下手な僕でも会話が続く。少なくとも、この補習クラスの時間だけは彼女と仲良くなれそうだ。
チャイムが鳴って十分が経過しても、先生は現れない。流石は補習クラスの生徒と言うべきか、荷物をまとめて帰る準備を始める子が出始めた。わずか十人ばかりのクラスだ。一人が帰れば、また一人が帰り支度を始める。やがて、誰が言葉にしたわけでもないのに全員が帰る意志を固めていた。
あ、いや。
僕は補習を受けていくよ?
「センセが来ればの話だけど」
「やー、来ないでしょ」
「だよなぁ」
遅刻しても許してくれる優しい先生だ。早退しても、先生が来なかったので日程を間違えたと思ったんです! と全員で言い訳すれば許してくれるだろう。次回の補講は明日だけど、果たして何人が集まるかな? こういうの、初回が大切なんだけど。
「んじゃ、帰りますか」
猿田さんは自身の鞄をひっつかむと、僕を誘ってくる。このままフケちまおうぜ、とその悪戯めいた表情が語っている。僕は欠席日数が多く、穴埋めのチャンスを放り出して遊べるほどの余裕もない。ないのだが、教師が来る気配もないし。先生が遅刻するんだ、生徒が早退しても御相子様だよねと席を立った。
「よっし。君も今日からフレンド確定ね」
「悪い奴は大体友達ってこと?」
「やはー。楽しい相手は誰でも友達だよ」
ピースサインを向けてくれた彼女に、僕もピースサインを返す。
そして僕らは、退屈な時間を潰すためにファミレスへと向かうのだった。
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