教室の攻防

 一ヶ月もサボっていた高校の空気は最悪だった。

 いじめがあるわけでも、嫌いな相手に囲まれているわけでもない。

 ただ、僕の居場所がそこにないだけだ。同級生達から腫れ物に触れるような扱いを受けつつ、自分の席を探す。知らない男子が座っていた。話を聞けば、僕が高校をサボっている間に席替えが行われていたらしい。なるほどね、と一人で合点した。


「それで、僕の席は?」

「えっと……多分、あそこ」

「ありがとね」


 一番後ろの席から、廊下に近い教卓側の席に場所が移っているようだ。教えてもらった僕の席に向かうと、そこには名前も知らない女子が座っていた。友人と駄弁っていた彼女が振り返ると、その表情に影が差す。特別親しい相手ではないから、気まずい雰囲気になってしまった。


「おはよう。そこ、座ってもいいかな」

「う、うん。なんか、ごめんね……」

「気にしてないよ。ずっと休んでいたし」


 体調が悪いわけじゃない。いやまぁ、脚を怪我したことはあったけど、どうでもいいじゃん? 自分を騙すための嘘を内心で繰り返して、僕は張り付けたような笑みを浮かべる。ぎこちない空気を誤魔化したいのか、少女は僕に声を掛けてきた。健気な子だ。


「えっと……大丈夫?」

「うん。ありがとう」

「それじゃ、ね……」


 マジでぎこちない。彼女も無理してそうだ。

 少女と入れ替わって、僕は椅子に座った。彼女は去り際に、形式ばかりだが僕を心配する台詞を残して行ってくれた。まぁ、それはそれでありがたいことだ。人間扱いしてくれるのだから。机に鞄を置いて、椅子を引く。教室の中を見渡しても僕が通っていた頃と何も変わらない。みんな、それなりに楽しそうにやっていた。良いことだ、と腕を組んだまま頷いた。


 僕が高校をサボっていたのは、僕自身の問題に依るところが大きい。クラスメイト達には何の恨みもなく、ただの隣人でしかないのだった。ふと視線を感じて顔を上げると、窓際の列に座っている男が僕を見つめていた。見覚えのある、どこか陰鬱とした男だ。彼はこちらに向かって手招きをする。仕方なく立ち上がって、彼の元へ向かった。


「天童。久しぶりだな」

「どうも。どちら様でしょうか」

「なに、ただのクラスメイトだ。……これを渡しておく」

「痛み止め? 何に使うんだよ」


 名乗ることもなく、彼は黙って首を横に振った。果たして彼と僕に何の因縁があって、この痛み止めを渡すに至ったのかを考えてみる。三十秒思考の海を泳いだところで息切れして、それ以上の追及はしないことにした。彼も薬を渡した意味を説明する気がないらしく、視線は文庫本へと落ちている。題名から察するに、海外の小説らしい。勤勉家だな、と僕は些細な感想を抱いた。


「これ、本当に貰ってもいいの?」

「あぁ。やる。すぐ使うことになるから」

「ふーん。キミ、予知能力者?」

「んなわけないだろ。……ほれ、来たぞ」


 少年があごをしゃくった先には、更に見覚えのある顔がいた。

 席に戻った僕を待っていたのは、先日コンビニで会った少女。雉畑希林だった。雉畑は机に腰掛けて、僕と少年との会話が終わるのを待っていたらしい。登校したばかりなのか、荷物もすぐそばに置かれている。


 驚いたことに、彼女はクラスメイトから嫌われているようだ。周囲数マス分にいた生徒が離席して、彼女から距離を取っている。ここまで露骨に嫌われるものなんだな、などといじめに遭ったことがない僕は思うのだった。


「ごきげんよう、天童君。やっと出てきたわね」

「夏の陽気に誘われたんだ」


 六月の中旬に学校をサボり始めて、この夏休み直前の時期に戻ってきた。夏休みを一か月間延長したと思えば儲けものだが、実際には補習で夏休みが消えることになるだろう。優秀な兄と違って、僕は勉強が嫌いだ。補習も途中で嫌になってふけるだろうし、そうなれば自主退学を勧告されるかもしれない。そんなことを考えながら、僕は自分の席に座ろうと椅子の背もたれに手を伸ばす。


「隙だらけね」

「は?」


 素早い手刀だった。

 正確に僕の鎖骨を狙っていた一撃を、間一髪で躱す。


 反射的に伸ばした腕が、彼女の胸を叩いた。男とは明確に違う感触に一瞬、手が止まる。深く打ち込む前に彼女が体勢を変え、僕へと反撃の拳を打ち込んでくる。胴を執拗に狙って、無限とも思える拳の連打を繰り出してきた。精一杯に捌く僕に、彼女は渾身の力を込めて攻撃を続ける。


「あんたがいなくなって、空手部は大変だったんだから」

「……それは、僕に関係ないだろ」

「それは本気? それとも喧嘩腰?」

「君が、先に、手を出したんだぞ」


 ヤバい、と素直に思った。

 彼女の空手術が、ではない。元空手部員として、同じ部活に所属していたはずの相手を全く覚えていないというのはかなりまずい。ひょっとすると、痛み止めをくれた少年も空手部だったのかもしれない。クラスメイトな上に、部活まで同じだったのか。


「僕がアホってことがバレてしまうな……」

「煩い。黙ってなさい」

「いやぁ、ほら。別に喋っていても空手の質は落ちないし」


 嘘だけど。


 試合中にお喋りをする余裕などない。だけど、こうして野良で拳を打ち合うなら話は別だ。相手の油断を引き出して、そこに拳を打ち込む。それが正しい「戦い方」というものである。


「貰った!」


 彼女が腕をひいたタイミングを狙って胴へと正拳を打った。こひゅ、と彼女の喉奥から空気が漏れた。どうしても女子相手に胸元を殴るのは気が引けて、腹ばかりを狙う。彼女は苛立ちに青筋を浮かべ、太腿を上げて守りを固めてくる。どういうわけか、クラスメイト達は雉畑が僕を襲うと分かっていたらしい。


 果たして武術の心得がある人間はいるのだろうか、と考えて思い当たる姿があった。痛み止めをくれた少年だ。多分、空手部だし。ここは安いプライドよりも数の利を取ることにした。


「なぁ、おい。助けてくれよ」

「はぁ……まったく。どうして俺が……」

「事情の説明も欲しいんだけど」

「……雉畑に聞け。元はと言えば、天童が撒いた種なんだから」


 文句を言いながらも、痛み止めをくれた少年が席を立った。どうやら僕を助けてくれるらしい。しかし、彼は僕を助けると同時に厄介ごとを押しつけるつもりのようだ。主に、怒り心頭になった雉畑の後始末だ。


 実力はあるのだろうが、決して雉畑は最強の空手家ではない。僕が適当に時間を稼ぐと、少年が雉畑の左腕を掴んだ。右腕を掴んだ僕が、なおも蹴りで攻撃してこうとする雉畑へと抱き着いた。


 抱き着いた。

 ぎゅっと、親愛を示すかのようにハグをする。予想していなかったのか、雉畑は動きを止めた。


「……な、何をするの」

「あれ、試合でもやらない? こういうの」

「するわけ……いや、するけど」


 審判に止められるもんね。うん、分かってますとも。

 膝蹴りを敢行しようとしてきたので、膝裏に手を差し入れて動けないようにした。流石に片足立ちになった雉畑はそれ以上の攻撃をすることも出来ず、僕に抱かれたまま荒い息を吐いている。さあて、何から聞こうかと雉畑の左腕を掴む少年へと視線を送る。が、僕が喋るよりも早く担任の教師が教室の扉を開いて入ってきた。彼は抱き合っている僕と雉畑をみて、言葉を失ってしまった。


「感動の再会中です」

「……そうか。面倒ごとは起こすなよ」


 呆れた様子で言い捨てると、担任教師は教卓へ向かう。雉畑も興奮が醒めたのか、僕を突き飛ばして距離を取った。なるほど、こうして彼女から攻撃を受けるなら、あの少年が僕に痛み止めをくれた理由も分かる。でも、どうして彼女がこんなにも怒っているのか。それが分からないまま、僕らは席に散開していく。そういえば、あの少年にも名前を聞いていないと気付いたのはホームルームが始まった後だった。

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