宵闇カラテ
倉石ティア
出会って2秒の死闘
宵闇カラテ
高校に行かなくなって一ヶ月が経過した。両親には連絡が入っているはずなのに、小言のひとつも漏れ聞こえてこない。有望な兄にすべてを託して、不出来な僕は放置することを決めたようだ。無関心な両親に甘えるように、僕は夜間外出を繰り返すようになった。静かな夜道を目的もなく歩いて、今日も怠惰に時間を潰す。そして、いつものコンビニでペットボトルの水を買っていたときだった。
突然、店内から悲鳴が上がったのだ。
何事だと振り返ると、レジの前には強盗らしき男が立っていた。黒いマスクとサングラスをしているせいで表情はよく分からないけれど、体格の良い男だというのは遠目にも理解できた。
この機に乗じて万引きをしてもバレないだろうな、などと不埒なことを考えつつも騒ぎから距離を取る。手にペットボトルを構えて、静かに待った。怯えた店員がレジから金を引き出して、男に手渡す。男はナイフをギラつかせて掴んだ現金をポケットに仕舞い込む。
「いいか、追いかけて来るんじゃねぇぞ」
威勢がいい奴だ。
ナイフをこれ見よがしに振り回すと、店員は青ざめたまま動けない。
男が意気揚々と店を出た瞬間、僕は走り出した。ご機嫌に走り去る男の後頭部へめがけて、手にしていたペットボトルを思いきり投げつける。綺麗な放物線を描いたペットボトルは見事に命中して、男の身体が大きく揺れる。驚いた様子で振り向く男に対して、僕は指を立てた。
「来いよ! 遊んでやるぜ!」
我ながらバカげている、と思った。誰も傷つく必要のない事件だ。犯人も放っておけば、どこかへ逃げていくだろう。危険人物が同じ場所へ長時間留まることになれば、それだけ怪我人が出るリスクも高まると言うのに、僕は何をやっているのか。
その答えは単純だ。行き場を失った若さを散らせる場所を求めて、ただ遊んでいるだけだった。逃走中だったはずの犯人が僕へ向かってくる。どうやら僕の遊びに付き合ってくれるようだ。ただ、すっかり失念していたけど相手はナイフを持っているんだよな。
「僕のバカ。せめて木刀くらい常備しとけよ」
日常的に持ち歩けるはずもないのに、阿呆な自分に向かって愚痴を垂れる。とにもかくにも、襲われても困るから全力で逃げることにした。しかし、これが悪手だった。走ろうと腕を振れば、ズキズキと骨の髄が痛む。
「おい、マジかよ」
しかも、思っていたよりも犯人の脚は速い。僕が家に引きこもりがちだったのも影響した。すぐに息切れを起こしてしまい、逃げる足を止めてしまう。当然のように追いつかれてしまった。背中越しに伝わる衝撃と共に、天地が逆転する。背後から蹴り飛ばされて、硬いアスファルトの上へと倒れ込んでしまった。肺から空気が抜ける音がして、男が僕に覆い被さってくる。
――殺される? そう思ったときだった。
男の後ろに、”もう一人いる”。制服を着た少女が僕に向かって走ってきて、そのまま体当たりするように男を突き飛ばした。不意打ちを受けた男は体勢を大きく崩し、尻餅をつくようにして倒れた。男が立ち上がろうともがく前に、少女が素早い蹴りを放つ。
顎を打ち抜かれて失神した男は、そのまま伸びて動かなくなった。
「……えっと。ありがとう」
「どういたしまして、天童君」
立ち上がる僕を、名前も知らない少女が助け起こす。黒い長髪の、綺麗な少女だ。なぜ名前を知っているのか、と首を傾げた僕に彼女は呆れたように溜め息を吐いた。
「ひょっとして、クラスメイトの名前も覚えていないの?」
「あぁ、そういう関係か」
「雉畑希林。自分では有名人だと思っていたけど」
「……僕は天童欣士。よろしく」
差し出された手を握り返すと、意外にも強い力で握り返された。雉畑に手を引かれて、倒れていた男から離れる。男は気絶したまま動かないけれど、もし目を覚ませば面倒なことになるだろう。警察が来るまで大人しくしていることにした。どこから取り出したのか、雉畑は男の手をビニール紐でぐるぐると縛り上げてしまった。手馴れた動作に妙なバイトでもやっているのかと好奇心が疼いたけれど、僕は何も聞かないことにした。
僕の元へ戻ってきた雉畑が携帯を取り出す。
何をするのかとみていたら、どこかへ電話を掛けるようだ。
「それじゃ、連絡だけ入れておきましょう」
「誰に?」
「警察。まだ呼んでないもの」
「えっ。そうなの?」
とっくにコンビニの店員が呼んでいるものとばかり思っていた。それに、確かにサイレンの音が聞こえるのだ。携帯を取り出してコールを掛けた彼女の肩をつつく。夜風に乗って聞こえてくるサイレンの方角を指差すと、彼女は不思議そうに首を傾げた。まぁ、別件での出動かもしれないし、と待っていたらコンビニの駐車場へとパトカーが乗り込んできた。駐車場に倒れている男と僕らを見て、一瞬固まった後に歩み寄ってくる。
「えっと……その男性は無事なのかい?」
「はい。あぁ、詳細は店員に聞いてください」
「そうか。分かった。少し待っていてくれ」
僕達は参考人扱いになるようだ。警察を呼び出したコンビニの店員を呼びに、一人の警官が店内へと入っていく。冷たいコンクリートに倒れて動かない男に近寄って、もう一人の警官が何やら調査を開始していた。
携帯を仕舞った雉畑が、僕を肘でつついた。
「あなた、耳がいいわね」
「どうも。神経質なんだよ、僕は」
説明になっているのか、いないのか。あまり定かではない。
意識を取り戻した男と、被害に遭ったコンビニの店員とが何やら話している。事情を説明するのが面倒なのか、雉畑はそっと逃げるようにして駐車場を離れようとしていた。一応、説明だけなら僕だけでも十分に間に合う。逃走していく強盗を取り押さえました、と嘘偽りなく話せばいいだけだ。
「それじゃ、明日。学校で」
「……バイバイ」
手を振って雉畑を見送ると、懐かしい挨拶が聞こえてきた。
学校か。久しぶりに行ってみようかな、と僕は少しだけ考えるのだった。
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