初めまして(嘘)

「俺は戌居大地。お前と同じ空手家だ」

「どうもー。初めましてー」

「いや、初めましてじゃないから」


 渋い顔で、戌居君は僕が差し出した手を握る。その隣には、雉畑が更に渋い顔をして座っていた。放課後、僕はこの二人に連れられてハンバーガーを食べに来ている。学校近くの大通りにあるチェーン店で、お値段は学生のお財布にも優しい。親の脛を齧って生きている僕には、なおのこと優しかった。本当か?


「それで、雉畑が僕を襲った理由は?」

「……心当たりくらいあるでしょう」

「ないよ。ないから質問するんだよ」

「こ……ん、くっ」


 今、殺すって言い掛けたな。

 教室で襲われたのは事実だけど、その前に、コンビニで強盗から助けてくれたんだよな。善悪のどちらに振れているか不明の少女に向けて、僕は質問を投げかける。


 雉畑はむすっとした顔で頬杖をついた。どうやら質問には答えてくれないようだ。想像していた通りの反応に、かえって僕は嬉しくなった。注文を終えて、商品が来るまでは雑談の時間である。未だ回答を用意してくれない雉畑に代わって戌居君が答えてくれた。痛み止めを用意してくれた点も含めて、意外と彼は面倒見がいい質なのかもしれない。まぁ、だったら雉畑を止めてくれよという話だけど。


 彼は咳払いをして、僕を正面から見据える。

 随分と、おっかない顔をしていた。


「お前、どうして空手部を辞めたんだよ」

「……いやぁ。まだ退部届は出してないよ」

「バカか。一ヶ月も学校に来てない癖によ」


 彼が鼻を鳴らすと、テーブルに置かれていた呼び出しベルが震える。彼が席を立って僕も続く。雉畑も付いてこようとしたので、手で制して席に留めた。


 場所取り要員だ、などと理解したら彼女も怒るだろうか。レジに向かって、店員に呼び出しベルを返却すると同時に商品を受け取った。当然のようにふたり分の、雉畑の分もトレイを運ぶ戌居君は真面目ていい奴だった。僕は自分の分しか持たないのにね、と社会性の低さを嘆いてみる。流石に嘘だけど。


 さて。


「お前が部活を辞めてから、大変だったんだぞ」

「どうして? 僕は平部員だよ」

「だとしても、直前の行動が問題だ」

「……何かやったっけ」

「あのね。それ以上すっとぼけたら、――」


 戌居君を差し置いて、雉畑が何かを言い掛ける。流石の彼女も口をつぐんだ。二度も飲み込んだ言葉の味に、飽きる日は来るかな?


 好戦的な子だ。喧嘩を始められても困るから、彼女の発言は気にしないことにしよう。僕は戌居君の話を聞きながら、ハンバーガーの包み紙を手に取った。実を言うと小学生以来だ。親の几帳面な教育の賜物だったら感動的な話だけど、生憎と僕の場合は子供の頃に親と遊んだ記憶がないだけである。確か、以前に食べたのは……。


「あ、全国大会の帰り道だ」

「は? 急にどうした」

「ハンバーガーを食べるの、全国を初優勝した時以来だ」

「それじゃ八年振りね」

「……うわ、何。僕のフォロワーなの?」


 僕が一年生にして初優勝を飾ったことを、彼女は知っているらしい。僕たちは今、高校一年生だ。七歳から始めて、十五歳になっても空手を続けている。つまり、彼女の空手歴も随分と長大なものだということだ。戌居君も驚いた様子で目を丸くしている。


 そういえば、全国大会で優勝した後、僕を追いかけてきた子がいた気がする。学年別、男女別に区切られた大会だったから、彼女と対戦した覚えはない。でも、それが雉畑だったのだとしたら、僕への執着も分かるような……。


「いや、流石に怖すぎる」

 首を振って、僕を大好きすぎる少女のことは忘れることにした。


「それで、何が大変だったの?」

「まず、団体戦で惜敗した」

「それは君達の実力が不足していたからだよ」

「このッ――」

「俺も同意見だ。だが、お前がいれば勝てた試合もあるだろう」


 戌居君が、いきり立つ雉畑を取り押さえながら喋る。淡々と語ってはいるけれど、彼も内心で僕への恨みを抱いているのかもしれない。瞳の奥に揺らぐ勝利への渇望は、彼も雉畑に負けないくらいに強かった。戌居君は続ける。


「個人戦でも、俺達はパっとしなかったんだ」

「……ウチの高校、去年は全国優勝したのにね」

「あぁ。だから、随分と叩かれたよ」


 優勝を逃したこと。そんな”些細なこと”で、気に病む武術家もいるらしい。僕がいなくなってから、部の空気がおかしくなったのだ。性格には間違いなく難があっただろうけど、それでも僕は実力のある選手だった。そして、僕と切磋琢磨することを支えに日々の鍛錬を重ねてきた仲間がいたらしい。――だが、本当に残念なことながら、僕はそんな仲間達の顔すら覚えていない薄情者だった。雉畑が僕に憧れていたのだとしたら、彼女の怒りも理解できる。


 強盗から逃げることすら出来ずに無様な姿を晒した僕は、彼女が憧れた強い「天童欣士」ではなくなっていたのだ。怒りを飲み込めず、口が開けない雉畑に代わって戌居君が喋り続ける。


「天童。お前は、もう空手部に戻らないのか」


 僕が答えるよりも速く、雉畑がテーブルをバンと叩く。トレーが揺れて飲み物がこぼれそうになった。慌ててカップを手に取った戌居君をよそに、彼女は怒った顔のまま続けた。


「私と試合しろ。ぎったぎたにしてやる!」

「……きみ、初対面と印象が違わない?」

「は?」


 コンビニで会ったときは、微かな希望を抱いて猫を被っていたんだろうなぁ、と彼女の努力に涙ぐむ。そんな無駄なことをしなくても、と言葉尻を濁した。


 僕はハンバーガーを口に運ぶ。咀しゃくして飲み込んでから、記憶よりも随分と味の悪い食べ物だなと飲み込むのに躊躇する。口の中が乾燥していた。


「試合をするメリットは?」

「あんたが最強じゃない、って証明になる」

「……ふぅ」


 くしゃくしゃにした包み紙をトレーに転がす。

 ジュースを飲むと、氷が溶けはじめていたのか味が薄くなっていた。


「二度と空手が出来なくなっても?」

「…………うん。やる」

「分かった。それじゃ、きみと試合をしよう」


 僕を睨む雉畑と、溜め息をついてそっぽを向く戌居君。

 ふたりのために、僕はもう一度だけ、道着を着てあげることにした。

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