実践と実戦

 喜慈の会に入って最初の仕事に同行した。

 これは一種の山狩りだ。


「ちょっと不安なんだけど……」

「天童、意外と臆病なんだな」

「夜道が好きなのは安全だからだよ」

「夜道? 天童は散歩が趣味なのか?」


 適当な台詞を返したのに、戌居君は真面目に受け答えをしてくれた。彼は学校をサボっていた期間の僕が、夜道の散歩を日課代わりにしていたことを知らない。当然の反応だったけれど、別に説明するような内容でもないだろう。笑ってごまかすと、彼は肩をすくめた。つくづく、苦労人っぽい動作の似合う男だ。


 夏休み直前の週末に、僕らは亀茲山を訪れていた。地元警察との合同作戦は、登山客の安全確保をお題目にしている。危険区域の見回りを行いながら、不審者や危険な野生動物がいないかを確認するのだ。イノシシやクマと遭遇して、危ない目に遭う可能性もゼロではないらしい。


 僕らが注意すべきは不審者だけではないのか、と鬱蒼とした森を前に嘆息した。戌居君の話では、夏休み前のこの時期は自殺を目的に山を訪れる人も少ないらしい。大半が登山者か、野生動物のようだ。ゆえに油断をしていた喜慈の会のメンバーがひとり、不審者を相手に後れを取ったらしい。


「不審者と登山者の見分け方は?」

「装備が違う。簡単に分かるぜ」

「具体的に説明してよ。包丁を振り回していたら?」

「どう見ても不審者だろ」

「キャンプで料理をしている人かもしれないよ」

「たわけ。見て判断しろ」


 戌居君とは、ジョークのセンスが合わないようだ。適当に身体を解してから、山へと踏み込んでいく。山菜採りといえば春のイメージが強かったけど、夏場にも採れる山菜があるそうだ。喜慈の会の面々で山菜採りに来ることもあるらしく、彼らは亀茲山そのものに詳しかった。


 いくつかのグループに分かれて、僕たちは山を歩いて回る。僕が同行するのは戌居君と、彼の先輩である男性がひとり、そして。


「どうして雉畑がいるんだ?」

「……捕まったんだよ、俺が」

「それはご愁傷様」

「お前のせいだからな」

「いやぁ……ごめんね、戌居君」


 僕の謝罪に、戌居君が頬を膨らませる。その横で、雉畑が僕を睨んでいた。


 どうやら雉畑は、まだ僕の動向に興味があるようだ。喜慈の会の活動を見学する、という名目でついてきたらしい。といっても、まだ彼女とは話もしていない。朝に集合場所で出会った際にぎこちない挨拶を交わした程度で、僕らは決して仲が良いとは言えなかった。


「ま、軽く散策するだけだ。昼には戻るぞ」

「やっぱり、午前中の方が多いのかい?」

「暗いと探しにくいし、ミイラ取りがミイラになってもな」

「なるほどね」


 完全に理解した、と僕は腕を組んで頷く。

 木の枝を蹴り躓いた僕を、雉畑が冷ややかな目で睨みつけてくる。戌居君は苦労人だ。僕と雉畑の関係が冷え込んでいることを知っていながら、彼女の要望を断ることができなかったらしい。僕達の間を取り持つように、絶え間なくしゃべり続けている。一緒に居た先輩は僕らの不穏な空気に気付いているのか、黙って歩き続けていた。


 何とはなしに、雉畑を見る。彼女は僕の視線に勘付くと、舌打ちをして早歩きになった。分かりやすく嫌われている。好きでもない相手に嫌われても傷つくのだから、僕は随分と繊細な男だったらしい。そんなことを考えて歩き続ける。


 ふと、水の音が聞こえた。


「止まれ」


 戌居君の先輩に言われて、僕らは脚を止める。

 彼の視線の先には一人の女性がいた。帽子をかぶって、小さなリュックを背負っている。手にはビニール袋を持っていた。戌居君の表情から察するに、彼女はシロだ。目を凝らせば手に持ったビニール袋には山菜と思しき緑色の影がある。彼女のような相手には、それほど警戒する必要もないらしい。逆に、集団行動をしている僕らの方が怪しまれているようだ。

 

 戌居君の先輩が僕らに先んじて女性に近付いていく。

 数秒前の無表情から、人当たりの良い青年にジョブチェンジしていた。


「ども。喜慈の会です」

「……えっと?」

「いえ。ただの山岳パトロールでして。お声を掛けさせて頂いた次第です」


 彼はそう言うと、懐から名刺を取り出してみせる。広報も兼ねて持ち歩いているようで、僕は少しだけ驚いた。先輩と女性とのやり取りを眺めていた僕に、戌居君が何かを差し出してきた。彼の名刺だ。


「俺も持っているから。一応、渡しておく」

「……これ、僕も作ることになる?」

「だろうな。シマさん、こいつにも名刺ください」


 戌居君が、女性と会話していた先輩へと声を掛ける。

 シマと呼ばれた先輩の名刺には、土建業、嶋中しまなかカズオと書かれていた。年齢は21。高校を卒業した後に、地元の企業に就職している人らしい。ご丁寧に連絡先の電話番号まで書かれている。だが、その電話番号は戌居君から貰った名刺にも書かれている。どうやら、本人ではなく喜慈の会の本部に繋がる電話番号らしかった。


 喜慈の会では、普段どんな仕事をしているのかよく知らないのだ。名刺をもらったことで、少しだけ組合に対しての解像度が高くなった。本当に善意の人間を寄せ集めた組織のようだ。


「それでは、安全に気を付けて」

「お邪魔しました」


 女性に手を振って僕らはその場を後にした。

 水の音を頼りに川辺へ出て、細い水の流れに逆らって歩く。舗装されていない道を頂上へ向けて歩くのは、随分としんどかった。左脚の痛みは薬で和らいでいるけれど、あとで念入りにマッサージをしておこう。


 五分ほど歩いただろうか。自殺の名所だと聞いていたから、もっと凄惨な現場にばかり出会うものだと思っていた。雉畑も似たような感想を抱いたらしい。戌居君の名刺を木漏れ日にかざしながら、安堵の感情を込めた溜め息を吐く。


「この調子なら、案外平和に終わりそうね」

「だといいがな」

「……雉畑が変なこと言うから」

「は? 何よ、文句でもあるの?」


 雉畑が僕に食って掛かってくる。

 それを戌居君が押しとどめて、呆れたように首を横に振った。嶋中先輩は僕の言葉を真に受けて周囲を見渡す。そして、勘付いたようだ。


「戌居。さっきの女性の元へ行け。保護しろ」

「先輩まで何を……分かりました」

「ちょっと、なんで引っ張るのよ」

「雉畑は足手まといだ。天童は――」


 彼は言葉を飲み込んで、何も言わずに来た道を引き返していく。

 雉畑の怒りがこもった悲鳴が、森に響いていた。


 ふたりの姿が消えた後、木陰から一人の男が現れる。ゆったりと、腰からロープを取り出した。言葉も交わしていないのに、既に戦いは始まっているようだ。悪意のある人間が本当にいるのだな、と体の血が熱くなっていく。心臓が早鐘を打ち、どろりと濃い血液が脳を犯していくようだった。浮足立つ僕を諫めるように、嶋中先輩が腕を横に伸ばす。


「天童だっけ? お前はどっちがいい?」

「後ろにいるナイフ男」


 僕が迷いなく答えると、先輩は驚いた顔をした。 

 ロープを構えた男にも聞こえたようだ。彼ははっとした表情をすると、僕らの後ろから隙を伺っていた男へ向かって合図を出した。どこから追ってきていたのか、仔細は不明だ。捕まえた後で吐かせればいいか、と僕は首の骨を鳴らしながら考える。


 武術をこんなもののために使いたくはないけれど、無抵抗に悪意を向けられて平然としていられる質でもないのだ。振り返った僕の視界には、ナイフを片手に緊張した面持ちの男が一人。素人だった。


 弱い心から滲み出た悪意を、ナイフという武力で隠しているようだ。

 これなら、一分もあれば十分である。


「怪我はするなよ」

「先輩も。加勢しに行きますから」

「言ってろ。戌居のぼんに、心配掛けんなよ」


 嶋中先輩は、戌居君と懇意のようだ。あとで、ふたりがどうやって知り合ったのかも聞いておこう。用心深く構えた先輩が、ロープを持った男へと近づいていく。背後で始まった実戦を観戦する暇などなく、僕はナイフ男へと足取り軽く近づいていく。


 僕が踏み出すたびにナイフ男の表情が曇って、手に力がこもっていく。一触即発の間合いに近付いた僕は、止まることなく相手の間合いへと踏み出していった。


「怪我しても文句言うなよ、おっさん」

「……ガキが」


 捨て台詞と共に、男がナイフを突き出す。

 そして、僕の初めての”戦い”が幕を開ける。

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