おうちデート

 家に帰れば一人だ。


 僕は夏休みを持て余している。両親は仕事へ出掛けているし、兄貴は学習塾で勉強中だ。僕は明日の課題を終わらせたら、天井を眺めるしかやることがない。筋トレも無理のない範囲が基本だし、特別に追い込みを掛けるイベントもないんだよね。だから退屈だった。この命を正しさのために差し出せと言われたら、ごく自然に手渡してしまいたくなるほどに自己が希薄だ。


 などと愚にもつかないことを話していたら、雉畑が家に遊びに来ることになった。マジかよ、と一人でツッコミをいれる。


 家の場所を教えて、着替えのために一時帰宅した彼女を待つ。


 僕が課題の三分の一を終わらせたあたりで、雉畑が家に訪れた。時刻は14時を回ったところか。彼女は手に菓子の入ったビニール袋を提げている。僕の家に友達が遊びに来たことはない。兄貴の友達が家に来たことが一度あったかな、という程度である。兄貴は友達の家に遊びに行くにも勉強道具を持たされていて……まぁ、それはどうでもいいか。


「お帰り」

「どうも。お邪魔します」

「どうぞー」

「……どうしたの?」


 彼女を招き入れた姿勢のまま、玄関で固まってしまった僕に声を掛けてくる。


 なんでもないと誤魔化して自分の部屋へと案内した。私服姿の雉畑を見た経験がないわけじゃない。でも、今日のシックなパンツルックの彼女は素敵だった。外見だけなら僕の好みド真ん中なクール美少女なんだよな。性格はキツめだし、僕のことを嫌っているという事前情報なしに彼女と出会ったら恋に落ちていたかもしれない。んなわけないだろ、と自分を叱責した。


 僕の部屋を覗いた雉畑が、振り返って一言。


「何もないわね」

「僕みたいだろ」

「んふっ……んん」


 失笑を誤魔化すように彼女が表情を取り繕う。

 結構イイ線のボケをかませたようだ。将来は芸人にでもなるか。


 適当に座っていいよ、と勧めたら雉畑はベッドへ腰を下ろした。彼女の辞書には遠慮や躊躇がないのかもしれない。机に広げたノートに向き直って、僕は途中で止まっていた課題を再開した。雉畑は僕のベッドで横になったままスマホを弄り始めた。友人の家に遊びに来たとは思えない態度だ。まぁ彼女にとっての僕は友達じゃないだろうし、気にしない。


 あれだな。

 ギャルが格下モブを弄って遊ぶみたいな。

 そんな感じだろう。


 黙々と課題をこなす。一人だと退屈だけど、傍に雉畑がいることもあって不思議と捗った。サボったら笑われそうだな、と思えば自然と集中力も増していく。想定の半分ほどの時間で課題を終わらせて、横になっている雉畑へと向き直る。彼女は僕へとスマホを向けていた。レンズを覗き込んで、彼女に問いを向ける。


「どうしたの?」

「……別に」

「変なの」


 暇すぎてスマホを弄る他にやることがなかったようだ。


 僕が机を片付けていると、彼女が肩に触れてきた。宿題の邪魔をしないようにしてくれていたようだ。客人に対してのもてなしが足りていないが、そもそも彼女は僕に勉強を教えると言う話だったからな。教えてもらわなくても解けたのだから、手間が減って良かったと思ってほしいものである。


 疲れた脳を虚無で癒していたら、雉畑に引っ張られた。ベッドに腰掛けていた彼女の脚に挟まれて、胴を固定された。僕の脇の下に彼女の脚が入っている。逃げ道はなく、彼女が僕の額に手を置いて力を加えた。僕は彼女に体重を預け、雉畑を見上げるような格好になった。真下からだと彼女の表情は拝めず、少し身体を横に捻る。いつもの不機嫌そうな雉畑だった。その不愛想な表情に、今日は珍しいものが浮かんでいる。


 気付かないふりを選んだ。


「暇なんだけど、天童くんは趣味がないの?」

「生憎と空手一筋なんだ」

「そ。随分と退屈な人生ね」

「……雉畑も似たようなモンだと思っていたけど」

「私には空手以外の趣味もあるわ。漫画も読むし」


 わしわし、と彼女の手が僕の頭を乱す。


 僕だって漫画くらい読むぞ。基本無料のアプリで、有名どころを追いかける程度だけど。作者に一円も還元することのない、僕みたいな消費者ばかりになれば業界も廃れていくんだろうなぁとか思った。小説だって似たようなもんだしね。


 雉畑の手はまだ僕の頭に乗せられている。触り心地が気に入ったのかな、とぼんやり彼女を眺める。彼女は「何よ」と短く啖呵を切った。分かりやすくて、とてもいい。これで僕に対する好感度さえ高ければ、と無念でならない。でもこのぶっきらぼうな感じがイイとも思うし、難しいところだね。


「言いたいことがありそうな顔ね」

「雉畑には隠し事が出来そうもないな」

「えぇ、そうね。何を考えているの?」


 彼女の手が僕の頭から頬へと移る。くすぐったいけど、無理に振り払ったら叩かれそうだ、と言い訳をする。彼女が求めているだろう台詞を考えて、僕が思っている台詞とは別の言葉を口にすることを決めた。これも一種のリップサービスのようなものだと思ってほしい。


「雉畑から、めっちゃいい匂いがする」

「キモいわね、天童君」

「だろうね」


 一刀両断した割には、彼女は楽し気に笑っている。

 自覚があるだけ救いもある、そう思うことにした。


「それで、暇を持て余した僕らは何をするべきだろう」

「健全な高校生の男女が同じ部屋にいるのよ」

「そうだね」

「だったら、するべきことはひとつでしょ」


 彼女は僕に微笑み掛けて、するりと脚を離した。


 僕の視線を受けながら、部屋に置いてある唯一の娯楽品、テレビへと近づいていく。型落ち品だが、昨日は充分に備えている。兄貴が高校の入学祝に買ってもらったが、部屋の電波状況が芳しくないということで僕の部屋へと引っ越したものである。本当は兄貴が誕生日プレゼントも貰えない僕のために、わざわざ兄貴を経由して僕へと贈ってくれたプレゼントなのだけど。まぁ、その辺の事情は別に説明しない。雉畑に僕の家族の解像度を上げてもらったところで、何も得はしないからね。


 雉畑は、お尻を突き出すような格好でテレビの設定を弄っている。人様にケツを向けるな! と昭和のおじんは怒りそうだ。僕の親戚にそういう人がいて、どんな状況だろうと自分にお尻を向けられることを嫌っている人だった。何か嫌な思い出があったんだろうなぁ、と雉畑のお尻をみて振り返る。……僕は何を考えているんだろう?


「去年の高校生大会の決勝戦を見ましょう」

「空手の?」

「それ以外に何があるのよ」

「いや、普通に柔道とか。他の武道も興味あるし」

「……浮気者ね、あなた」

「いつか空手の神様に嫌われるかもな」

「既に嫌われているわよ。私が神様だもの」

「ふふっ。面白いジョークだ」


 僕のジョークのセンスは雉畑に近いようだ。


 雉畑が持ってきてくれたお菓子をようやく開封して、ふたり並んで決勝大会の様子を眺める。中学生の試合とは迫力が違って、この技がキマっている、ここでの判断は――と楽しくお喋りしながら試合を観戦した。兄貴の帰宅に合わせて雉畑は帰っていく。初対面の兄貴と挨拶を交わして、僕の家を出ていく彼女は珍しく笑っていた。話し込んでいた僕は脳が半ば酸欠状態になっていて、兄貴の肩を借りる。


「珍しいこともあるもんだね、欣士」

「僕が友達を連れてきたこと?」

「うん。彼女とは今後も仲良くしなよ」

「……うん。僕もそのつもり」


 喜慈の会の仲間だし。

 強い空手家との交流は、僕の人生を明るくしてくれそうだ。

 兄貴と別れて部屋に戻る。僕の部屋からは甘い匂いがした。

 お菓子の匂いか、雉畑の匂いなのか。


「……やっぱり、僕はキモいな」


 考えるのを辞めた僕はベッドへと飛び込む。

 雉畑への好感度が、ほんの少しだけ、また上がってしまったようだ。

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