居場所
最強であることに拘りがある。
武術家なら誰しもがそうだろう。平静を装う戌居君も例外ではない。ただし、彼が目指す最強は、雉畑や他の空手部員たちが目指すそれとは毛色が異なっていた。
「畳の上じゃ、分からない強さもある」
「同感だね」
「……複雑な気分だ。天童と合意するとは」
相変わらず彼は、渋い顔になるのが好きらしい。
武道場での一戦を終えて帰路についた僕は、彼について街外れの工場へと訪れていた。工場と言っても名ばかりの、伽藍洞の空間だ。床や壁には濃い鉄の臭いが沁みついているが、それが工業製品によって生まれたものではないと僕の魂が教えてくれた。
ぞわぞわと背を這う感覚に、唇がゆっくりと吊り上がっていく。
「趣味悪いね」
「随分と嬉しそうだな」
「うん。ここまで気持ち悪いと、清々しいよ」
「……はぁ。お前、マジ、最悪」
簡潔に感想を述べてくれた。素直でよろしい。
工場の跡地を利用して、数人の男がトレーニングに励んでいた。年齢も体格も異なる男たちが、同じ目標に向かって汗を流し続ける姿は見ていて気分が良い。彼らが行っている訓練は、言うなれば基礎的な筋トレだ。腕立て伏せ、腹筋、スクワット。僕が見ている最中に、ランニングから帰ってきた青年もいる。
基本的な運動を繰り返し行い、そして最後に実戦を想定した組み手をする。それが彼らの日常的な光景らしい。そうだ。想定しているものは試合ではない。それが理解できるようになっただけ、僕も成長したということだろう。
「天童。言っておくが、非合法な組織じゃないぞ」
「というと?」
「……ここは山岳救助隊の訓練所だ」
「山岳救助」
聞き慣れない言葉を繰り返す。
戌居君は深々と溜め息を吐いて、工場の隅に腰を下ろした。暖色系の明かりが灯っているけれど、明るいとは言えない。薄暗がりで手招く戌居君は、不良の元締めと教えられても納得するほどにガラの悪い顔をしていた。ひょこひょこと彼の隣に歩いて行って、僕も腰を下ろす。彼は荷物を降ろすと、鞄からペットボトルに入ったお茶を取り出した。
「ここから数キロ離れた場所に、山があるのは知っているか」
「あぁー……地理の授業とかで聞いたことがあるかも」
「そこが自殺の名所だと聞いたことは?」
「あるね」
と言っても、噂話だ。彼が話しているのは「
古来より霊験あらたかな地帯として知られ、山の神の祟りによって開拓が進まずに現在も自然そのままの姿が残っている――とかなんとか。小学生くらいの頃に、話を聞いたことがある。標高が高いというだけの理由で、中学の地理のテストにも出てきた気がするな。関係者以外は立ち入り禁止だと聞いたし、自殺志願者を救助する組織があることも今初めて知った。
地元民にとっても、よく分からない場所だ。その程度の知識しかなくても困らないという認識の地域である。戌居君にとって亀茲山は因縁のある場所のようで、額にシワを寄せて僕に耳打ちをした。
「俺達も、”実戦”をすることがあるんだ」
「……なんで?」
「自殺志願者は、どういう人だと思う?」
「……死にたい人?」
「その”手助け”をする輩がいる、ってことだ」
そこで彼は言葉を切った。
僕の瞳を覗き込んで、正面から見据えてくる。
「俺達の役目は死にたがりを助けるだけじゃない。弱った人間に集る悪者を捕らえる役目も担っているんだよ」
「それはご立派だ」
「だろうな。で、実力行使が必要な場合もあるってわけだ」
自殺を幇助することは違法だ。当然、死の淵にいる人間を突き落とす行為も違法になる。武術を極めても、その技術を発揮する場所を持たないヤツもいるだろう。そんなヤツが、死んでも構わない人間と出会ってしまったら――。
なるほど、よくもまぁ、気持ちの悪いことを考える輩がいるものだ。悪意ある人間から弱者を守る立場である以上、負けることは許されない。戌居君が目指す最強が”実戦”に寄っている理由も、道場で最強の文言に悪意を滲ませた僕の頬を張り飛ばした理由もよく分かった。
「お前とは相容れないだろうな」
「殺す業を認めるしね、僕は」
「……ウチは、殺しはしないよ」
「うん。見ていれば分かるよ」
僕も組手をしているおじさん達を眺めていた。
空手の試合と違って、顔面も狙うし急所も打つ。だけど、相手を討ち取るために、殺すために技をかける人はどこにもいなかった。相手を倒して、捕らえて、その後を見据えた戦闘訓練を行っている。そこには正義という建前があり、平和維持という目的がある。人間の苦しみが絶えない以上は、苦しんだ人間を救うことに尽力する彼らがいるのも納得できた。
「それで、僕を連れてきた理由は?」
「……お前が、強いからだよ」
「それじゃ説明になってないよ」
「はぁ。お前、面倒だな」
何かを誤魔化すように首を振った戌居君が立ち上がる。
僕も続くと、彼との身長差が露わになった。僕は平均よりやや高い程度だけど、戌居君は180を容易に超えている。胸板も厚く、学生服の下に覗く二の腕は太かった。
武芸の神から愛された体躯を持つ戌居君は、粗野な中にも気品を滲ませた顔を苦悩で歪めている。溜め息を吐くことが悪い癖になってしまっている彼は、僕に目を合わせないまま、ぽつりと語った。
「先週、ウチの組員がやられたんだ」
「亀茲山で?」
「あぁ。腕を刺されて、腰の骨を折られている」
全治数か月の重傷だ、と彼は首を横に振る。
「天童くらい強い奴がいれば……と思っていたんだが」
「今の僕には悪い心が滲んでいる、と」
「そうだな。真夜中とは言わないまでも、宵闇ってくらいには」
それでも、彼は僕の助けを必要としている。
ただのカラテを愛せなくなった僕に、彼は居場所をくれるらしい。
雉畑を連れてこなかったのは、話を聞かれたくなかったからか。僕のことを見極めるために、わざわざこんなところまで連れてきたのか。だとしたら、僕にだって言い分はある。道場で行われるクリーンな試合の外を知ったからといって、すぐに”実戦”へ飛び込めるほどに僕は強い人間ではないのだ。当たり前である。年齢不相応に落ち着いた戌居君には、僕のような小心者の気持ちは分からないのかもしれない、と保険を張った。
そして僕は、意地の悪い笑みを浮かべる。
「助けが必要かい」
「……あぁ。天童の助けが必要だ」
戌居君の言葉が、僕の傷口に沁みる。痛みはなく、ただ安らぎだけがあった。
人を傷つける”だけ”の武術で、誰かを助けたい。
あの日、通り魔から見知らぬ人を助けた僕が、正しかったのだと証明したい。
「ブランクもある。怪我も完治していないし」
「それでも雉畑より強いだろ。あいつ、ウチのエースだぜ」
「……僕も、居場所が欲しいんだ」
「くれてやるよ。俺が差し出せるものは、全部」
嘘でも冗談でもない、本音だと思った。
壊れて、欠けてしまったピースを求めて、僕は戌居君が差し出した手を握る。
空手じゃないモノに、僕は居場所を見出せそうだった。
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