第36話 エピローグ
たったの1年間で約30万人のフォロワーを増やしたイラストレーター、SaKu。またのなお——小町紗枝は、オシャレをしてとあるマンションの玄関にいた。
「空くんきたよ。“電話”した通りきた」
「おっ! お待たせお待たせ……って、あはは。そんなに強調しなくて大丈夫なのに」
一年前は電話番号を教えてもらえなかったこと。学生の頃は絶対にできなかったことをできるようになった。そんな嬉しさを表すように強調する彼女がいる場所は、話の通り空の家。
「空くん、これプレゼント」
「な、なんかこれまたすごいもの持ってきたね。もしかして……お酒?」
「うん。カクテルを作ってる会社とコラボした時のお礼品なの」
「ほおー。開けてみても大丈夫?」
「大丈夫」
まだ20歳を迎えていない紗枝から渡されたのは、長方形の黒い箱。
二面にはデザインとしてSaKuのサインが金文字で入っている。
そんな箱を丁寧に開封すれば、そこには紗枝が描いた可愛らしいイラストがパッケージになったぶどうのカクテルが出てきた。
「えっ、待って。このメーカーってめちゃくちゃ有名じゃない!?」
「うん。頑張ったから、依頼が来たの」
「いやぁ、本当に凄いなぁ……」
こうして頑張っている姿を見せてもらえると、こちらも本当にやる気をもらえる。
「あっ、立ち話をごめんごめん。中に入っていいよ」
「お邪魔します」
靴を揃えてリビングに入る紗枝。
専業になった紗枝がこの家に来たのは4月に入ってから6回ほどだろうか。
一ヶ月に約2回のペースでこの家に訪れている。
その理由は恋人だからと言うわけではなく……仕事で関わった品をプレゼントしてくれるため。
だが、こうして家に訪れてくれた日にはすぐに帰すわけではなく、二人で過ごしているのだ。
「空くん、今日はなにする?」
「そうだなぁ。ちなみに紗枝さんは今日いつまでいられるの?」
「19時くらい。今は少しお仕事が詰まってて、気晴らしする目的でもきた」
「ははっ、なるほどね。休日なのに本当に忙しいね」
「ちょっとスケジュール間違えた」
「ええ……」
『大丈夫かあ?』と言いたくなることを言うが、今まで締め切りを遅らせたことはないらしい。
実績を積みに積んでいるさすがのプロ意識だ。
「その分、もう少ししたらスケジュールも落ち着くから……その時は夜までお外で一緒に遊ぼう?」
「いいよお。ちゃんと紗枝ママに連絡したらね」
「わかった」
学生時の制限がなくなったこと。専業になったこと。この二つが影響して一年前のわがまま度が薄れた紗枝だが、その片鱗はときたま見える。
「じゃあ4時間以上はこの家にいられるから……映画でも一緒に見る?」
「見る!
「了解。じゃあすぐ見られるようにするね」
今は本当に便利な世の中になり、DVDを購入しなくても月額のレンタルサービスに加入すれば、ほぼどんな映画も見られるのだ。
「ちなみに紗枝さんはご飯食べた? もし食べてないならなにか作るけど」
「うーん……」
「え、どうしたの?」
「空くんがご飯を作ったら、一緒に座って
噂をすればあの片鱗が出たが、こればかりは二つを取ることは無理である。
「手短な料理を作ろうか? オムライスとか」
「ありがとう。グリーンピースは抜いてね」
「彩りは大事じゃない?」
「色はよくなるけど、あの豆はオムライスには絶対合わない」
「あははっ、それ紗枝さんが苦手なだけでしょ? まあ苦手なものを無理に食べさせるのもあれだから……グリーンピースは抜くね」
「空くんはママと違って優しい」
なんて褒めてくれるが、こればかりは『優しいから苦手なものを抜いてあげる』わけではない。
「ちなみに、自分が紗枝さんのお母さんだったら、バランスのことを考えて無理やり入れます」
「わ……。お料理作れる人はみんなバランスとか言う……」
母親からその手の理由で、苦手なものをたくさん食べさせられてきたのだろう。
渋い表情をしている。
「栄養が偏るのは基本よくないからね」
「……わたしは好きなものを好きに食べるのが人間らしいと思う」
「お? SaKu名言出た?」
「うん。今からツイートして、1000いいねがついたらママにも反抗してみる」
「それ絶対負けない?」
「そんな気がする……」
「あはは、なんだそれ」
空と紗枝の共通認識。それは『紗枝ママは強い』である。
それから作った料理を食べながら二人でTotoroを見ること1時間が経った頃。
『ピンポーン』とエントランスからの呼び鈴が鳴る。
「……あっ」
「空くんは座ってて大丈夫。わたしが出る」
「本当? じゃあお願い」
「うん」
紗枝はリビングにあるインターホンに近づき、カメラをつけた瞬間——「え?」と声を上げて目を見開くのだ。
『あっ、もしもーし。ソラ? いきなり来ちゃってごめー。事務所から差し入れもらったからからさ、開けてくれる? これめっちゃ高いやつなんだって!』
「……」
スピーカーにしていないため、この声は紗枝にしか聞こえない。
『あ、あれ? ソラ? 無視すんなし?』
「……そ、空くん。なぜか……女優のななせさんいる」
「んえ?」
動揺で声を震わせながら伝える。
紗枝は知っているのだ。
最近の昼ドラマ。通称昼ドラの姉役として出ている人物であり、
なにより彼女のメイク動画を参考にさせてもらってもいるのだから。
そんな人物がいきなり目の前に現れたのなら、こうもなるだろう。
「って、あの呼び鈴ななせさんだった!?」
その空の声もインターホン越しにななせに伝わる。
『……は? ちょ、え? ソラ。おい、今女といんの? さっきからめっちゃ可愛い声聞こえてるけど』
「空くんは今留守です」
『ちょ、絶対それ嘘じゃん! 声聞こえてたって。とりあえずここ開けて』
「……ヤだ」
『ヤだじゃないんだし!』
「……空くんはわたしのだからダメ」
『は!? わたしのってどう言う意味!?』
「ちょ、紗枝さんとりあえず落ち着いて!」
インターホン上で言い合いしている空気をすぐに察す空が立ち上がったその途端、さらなる偶然が多い被さる。
ブーブーと、テーブルに置いたスマホが電話を拾うのだ。
その液晶の表示される文字は『社長』の二文字。
地域密着型の家庭教師を派遣している会社。そう——空が大変お世話になった会社の社長から、数年ぶりの電話がかかってきたのだ。
目の前の状況とスマホ。あわあわ右往左往する空だが、『紗枝さんとりあえず落ち着いて!』と声をかけたわけである。
困惑する中で空が手に取ったのはスマホだった。
『もしもしもしもーし。この声を聞いて誰だかわかるかな? 水瀬空くん』
「も、もちろんですよ! お疲れ様です!」
懐かしい声に、当時と変わらないテンション。
家庭教師時代の思い出がたくさん流れてくる。
『よしっ! それにしてもお久しぶりだねえ。元気にしてたかい?」
「もちろん元気にさせてもらってます。社長も相変わらずお元気そうで」
『うんうん。まあねえ。って、今お時間大丈夫だったりする? ちょっとご用件があって』
「あ、ああ……。ちょっと待ってくださいね?」
そこで顔を上げる確認する空。視界に映るのはインターホンに張りついている紗枝である。
「……も、申し訳ありません。今ちょっとごちゃごちゃしてまして、手短にお話していただけると助かります」
『OKOK! じゃあ手短に要件を伝えるね!』
「本当にありがとうございます」
『じゃあその用件なんだけど、3年前か4年前、空君が担当してた教え子の凛さんって覚えてる? 勉強が大嫌いで、家庭教師が来る前に何回も逃げ出したことがある女の子』
「もちろんもちろん! 覚えてます!」
佐々木凛。彼女こそ当時の空を一番に困らせた教え子。
なんせ勉強を教えるために家に訪れても、会えないことが多々あったような人物なのだから。
『それはよかったっ! 実はその凛ちゃんからうちの会社に連絡が入ってね、恩師のあなたの電話番号が知りたいって要望があったの。さすがに個人情報だから、その確認をね。なにやら近況のことをお話したいみたいで』
「えっ、あの凛さんがですか!? むしろ是非こちらからお願いしたいくらいです!」
『そっかそっか。嬉しいお返事ありがとー! そう言ってもらえるとこっちも連絡するのが楽だよ〜』
一番インパクトがあった教え子で、一番手のかかった教え子。
思い返せばたくさんの思い出もあり……そんな彼女となにかしらの関わりが取れたらと思っていたが、まさかこのタイミングでその機会が訪れるとは思わなかった。
『それじゃあ、こっちの方から凛ちゃんにあなたの電話番号を伝えさせてもらうね?』
「ありがとうございます!」
『いえいえー。それじゃあ忙しい中ごめんね。またうちからも電話しまーす。酒呑みいこね、奢るから』
「あはは、お言葉に甘えさせていただきます」
『よろしい!』
相変わらずの社長らしさが窺えたところで電話は終わり、スマホをテーブルに置く。
実は気づいてた。電話の途中からこのリビングが無言になっていることに。
さらには強い視線を感じていたことに。
「え、えっと……」
再び空が顔を上げれば、モニターに映るジト目のななせと、ジト目でこちらを見ている紗枝がいた。
「空くん、なんでこんなに有名な人がお家にくるの」
『ソラ、一体全体これはどう言うことなの? この声可愛い子、全然玄関も開けてくれないし……』
スピーカーになってななせの声が聞こえてくる。
「えっと……」
なにも悪いことはしてない。なにもやましいことはしていないが、睨んでくるような二人に狼狽してしまう。
この先、さらなる波乱に巻き込まれる空だが、その背後からはTotoroの平和な音楽が流れていた。
学生時代、家庭教師のバイトで面倒をみていた教え子らがいつの間にか出世しすぎていた。 夏乃実(旧)濃縮還元ぶどうちゃん @Budoutyann
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