第6話 再会②

 2年以上も顔を合わせていなかった一人の教え子。

 中学生の頃と比べて大人びた印象を受けるが、見間違えるはずがない。

「……」

 少しの間を開けてこの状況を理解した瞬間——『うぉおおおおお!?』なんて歓喜の声をグッと我慢し、空は席を立つのだ。

 この我慢を行動力に変換する空は、相談室が使われていないことを即確認し、野坂紗枝……いや、小町紗枝と共に入室していた。


 その入室後、すぐである。


「空くん、空くん、空くん、空くん」

 黄色の目をキラキラ輝かせ、ぴょんぴょん跳ねながら名前を呼ぶ元教え子、紗枝がいる。


「空くんだ……。本物の空くんだ……」

「本物だって! って、え? 偽物がいたの?」

「さっきまでいた」

「へ、へえ……。そ、そうなんだ」

(偽物ってどこで見たんだろ……)

 喜びに溢れていたが、急なホラー展開に頬が引き攣ってしまう。それでも、思う。

 なにも変わっていないな……と。

 彼女は少し不思議な雰囲気を持っているだけでなく、少し言葉足らずなところもあるのだ。

 本当に懐かしさを感じる。


「空くん、空くんはどうしてここにいるの?」

「ああ、これは教師によくあることなんだけど、前の職場から異動することになって、4月からこの高校に」

「じゃあ、わたしが卒業するまで……空くんと一緒? 空くんがわたしの担任の先生?」

「うん。だから引き続きよろしくね」

「っ!」

 信じられない出来事に遭遇しているのはお互い様。この返事を聞いてやっと現実味が湧いたのだろう、ジト目っぽい目をそれはもうまんまるにしている。


「あと、ここでは『空くん』じゃなくて『空先生』ね?」

「……」

 こう口にした途端だった。

 顔に影が差すように、スッとスタンダードなジトっぽい目に戻す彼女。そして、誕生日プレゼントを強奪されたかのように瞳の輝きもなくなった。

(ふふ、本当……なにもかも変わらないなぁ)

 わかりやすい。この言葉に尽きる。


「二人きりの時は『空くん』がいい。751日ぶりに会ったから」

「それでも学校内じゃダメ」

(なんか計算早くない……?)なんて思うも、ツッコミはしなかった。その分、強固な姿勢を保つことに力を使うことにする。


 正直、そう呼びたいとの気持ちは十分わかっている。

 昔と変わらずそう呼ばれたい自分もいる。

 少し気が緩めば、喉元まで出かかってる言葉、『仕方ないなぁ』と言ってしまいそうだが、今はもう教師という立場である。

 仕事時間にプライベートを持ち込むことはできないのだ。


「なら……空くん先生にする」

「それは、それは……んー。念のためダメ」

「わたしのこと『ジトちゃん』って呼んでいい。それでおあいこ」

「それとこれとは話が違うよね?」

「……」

(うん、凄っごい不満そう……)

 一応、こう返されることは重々理解していたのか、『なんでダメなの』という反論はない。

 だが、最大限の不満をアピールしているのか、彼女の周りの空間が歪んで見える気がする。


 ちなみに、『ジトちゃん』のあだ名が出るようになったのは、彼女の家庭教師になって2ヶ月が経った頃だろうか。

『空くんだったら、わたしにどんなあだ名をつける? 紗枝の名前から取っていないのがいい』なんて聞かれ——『ジトちゃん』との名前を気に入ってくれたのだ。

『可愛い』と。


 普段は『紗枝さん』呼びだが、勉強中にぼーっとしていたり、チョコクロワッサンを口に入れたまま、ぼーっとなにか思い返しているような時には、このあだ名で呼んでいた。

 この『ジトちゃん』には大きな効果があって、前者の状況時にこう呼べば、ハッとして勉強に集中してくれる。

 後者の状況時にこう呼べば、口に入ったチョコクロワッサンをモグモグしてくれる。

 2年以上も顔を合わせていないが、本当に過去の記憶が次々と流れ込んでくる。


「っと、それより……紗枝さんって苗字変わってるよね? お母さん再婚された?」

「うん。ママが再婚したから、今は小町になったの。新しいお父さんとは仲良しだから、大丈夫」

「そっか、それなら安心だ」

 子どもにとっての再婚とは、新しい親ができるということ。

 その際にトラブルが増えたりと聞くが、『学校への登校は紗枝の自由にさせている』との家族方針は聞いている。


 彼女の言う通り、順調な生活を送っているのは間違いないだろう。

 ほっこりした気持ちで笑顔を浮かべると——。

「ね……空くん」

「ん?」

 紗枝は唐突に重い声色を変えた。眉尻も落ちていた。


「空くん……空先生に、謝らないといけないことある」

「えっ? 謝るってどうして?」

「だって、空くんのおかげでもう一回学校にいきたいって思うことができて、高校にも合格させてくれたのに、わたしは毎日登校できてない……から」

「あっ、はは。なるほどね。とりあえず椅子に座ろっか?」

「ん」

 真剣な話をする際に立ち話は大変だろう。

 パイプ椅子を引いて紗枝を先に座らせると、空も正面の席に腰を下ろす。

 そして、先ほどの質問に答えるのだ。


「そうだなぁ。特に理由もなく学校を休んでいるなら、思うところは出てくるけど、紗枝さんはそうじゃないでしょ? だから謝る必要はなにもないよ。むしろ自分は紗枝さんのこと誇らしく思ってるんだから」

「え……?」

「だって、紗枝さんは自分でその道を決めて、その通りに努力してるから。これは誰にでもできることじゃないよ」

「……ほ、本当? 空くんは誇らしい……?」

「もちろん」

 家庭教師として教えた勉強内容とは別な道に進んでいるものの、こんなにも逞しく成長しているのだ。

 担任としての本音を言えば……毎日学校に顔を出してほしいところだが、毎日登校ができなくなるくらい、仕事を請け負うというのは誰にでもできることではない。

 言葉には表せないくらい凄いこと。


「……立派になったね。本当に」

「空くんがそう思ってくれるの、すごく嬉しい……」

 目を細めながら気持ちを込めた言葉を伝えれば、恥ずかしそうに視線を逸らし、口元を緩める紗枝である。


「あ。あとね、空くんがプレゼントしてくれた液晶タブレット、今も使ってる」

「へえ、そうなんだ。でも……今なら新しいモデルとか出てるでしょ? そっちの方がツール? とかも増えてイラストは描きやすいんじゃない?」

「ううん。空くんのじゃないと、頑張れないもん」

「あはは、じゃあそのままがいいね」

「うん」

(つまり、今のタブレットが気に入ってるってことかな……?)

 言葉のニュアンスが少しおかしかったような気がしたが、考えすぎだろうか。

 大きく頷く彼女を目に入れながら、頭を働かせた時。今度は紗枝から言葉を発した。


「わたしが好きなことでお仕事ができるようになったの、全部そらくんのおかげ」

「いやいや、そんなことないよ。俺はなにもしてないんだから」

「そんなことなくない。空くんがアドバイスしてくれたから、わたしはその通りにして、凄く成長できたの。『たった1%でいいから、昨日の自分を飛び越えろ』とか」

「……ん゛?」

 表情が、無意識に固まる。


「『最後に味方になるのは、頑張った自分』ってことも教えてもくれた」

「…………」

「『習慣になった努力は宝石だから——』」

「さ、ささささ紗枝さん? も、もうその辺にしよっか。ね?」

 咄嗟である。手をパーにする空は思いっきりストップをかけるのだ。

 この時、思い出した。

 当時、偉人の名言集が流行っていたことを。それに感銘を受けたことを。


 ただ、覚えてはいない。

 そんな恥ずかしいことを言っていたことは。


 今、こうして年齢を重ねているからこそ、実感できることがある。

 あのような名言は、実績を積んだ人だからこそカッコいいのだ。

 自分のような人間が口にしても、ただ薄っぺらく、痛いだけなのだ。

 

 しかも、そんなことを言っていたのだろう当時の自分は、まだまだ青臭い大学生である。


「まだまだ頑張れた言葉ある」

「いや……。そ、その辺で。お、俺はうん、紗枝さんが頑張ってることがわかって凄く嬉しいから。うん。だから、そんなことを俺が言ってたってことはクラスのみんなにも内緒にしようね……?」

「空くん、本当に嬉しい? 嬉しいなら、内緒にする」

 なぜか変な交換条件を出されるが、内緒にしてくれるなら万歳バンザイである。


「凄く嬉しいよ。本当に」

「ふふ、空くんがそう思ってくれるの、すごく嬉しい……」

 食い気味に答えれば、恥ずかしそうに視線を逸らし、微笑む紗枝。

 先ほどと同じ言葉の返し。そして、同じ反応。

 まるで、ループするような流れが起きているものの、空は違和感すら覚えなかった。


 穴があったら入りたい、そんな状態に襲われていたのだから。

 

 そうして目線を下げた矢先、空は気づいた。

 床に置かれたパン屋さんの袋を。

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