第5話 再会①

「あっ、わかりました! 連絡ありがとうございます!」

 翌日のこと。

 いつものようにS H Rショートホームルームを終わらせて職員室に戻った空は、電話番をしていた先生から伝達を受けていた


『お昼頃に小町紗枝さんが登校されるようです』――と。

 始業式が始まって5日。ようやく彼女と初の顔合わせが叶う日となった。


「もしも4時間目終わりに登校してくれるなら、挨拶を含めた相談をお昼休みにさせてもらえないかな……。放課後は紗枝さんにとって厳しそうだし……」

 胸ポケットからスケジュール表を取り出す空は、すぐに中を開いて確認する。

 頭に入っていた通り、職員会議と各課の打ち合わせ。この二つが夕方には入っている。

 現実的に考えれば二つの用事を終えた後の相談となるが、彼女は仕事の合間を縫って高校に登校している。

 遅くまで待たせるというのは、好ましくないだろう。


「やっぱり、早く来てもらうことを願うしかない……か」

 事情を抱える生徒のことは、より把握しておきたいもの。

 特別扱いをするわけではないが、状況を知っておくことで融通が利くようになにかと動くことはできるのだから。


「今思えば、今日初めてクラスの全員が揃うわけか……」

 これに気づくと頬が緩む。

 クラスの生徒とはまだまだ関係値が浅いが、担任の立場として、全員が登校してくれるというのは、なによりも嬉しいこと。


(少し緊張するけど、早く挨拶したいな……)

 そう待ち遠しく思う空だった。



∮    ∮    ∮    ∮



 時刻は12時20分。4時間目の授業が終わるまで残り10分となった頃。

 紗枝は通学路にあるパン屋さんで会計中だった。


「チョコクロワッサンが2つで400円。学割で350円になりま〜す!」

「今日ちょうど持ってきた」

 肩掛けのスクールバッグから財布を取り出すことなく、制服のポケットに予め350円を入れていた紗枝は、小さな手でお金を掴んで渡す。

「はい! ちょうどいただきま〜す」

 そのお金を笑顔で確認した店員は、ズバババとレジを打ち——出てくるレシートを手渡すことなく、口調を崩すのだ。


「いつも来てくれてありがとうね〜。また来てね、紗枝ちゃん」

「うん。また来る」

 ジトっとした目は彼女のデフォルト。コクっと頷き、パンが入った袋を両手で受け取った紗枝は、ボブの銀髪を上機嫌に揺らしながら出入り口に向かう。

 紗枝はこの店に2年以上も通っている常連客。

 学校に登校する日は毎日このパン屋さんに寄り、同じパンを……チョコクロワッサンを二つ購入しているのだ。

 そんな常連客であるため、学生証を提示しなくても学割が適用される。

 レシートの有無を聞かれることもないのだ。


「……」

 そうしてパン屋を出て、通学路に戻ると、紗枝は一度足を止める。

 先ほど受け取った取っ手つきの袋を開き、個別に入れられたチョロクロワッサンを流し見。

『売り切れてなくてよかった』

『買えてよかった』

 なんて表情を独りでに浮かべると、軽い足取りで学校に向かっていくのだ。


 紗枝にとって、この店のチョコクロワッサンは特別だった。その特別と言うのは、『気に入っている』や、『美味しい』なんて理由からではない。


 2年以上も前の記憶——空と仲良くなれたキッカケを鮮明に思い出せるからである。



∮    ∮    ∮    ∮



 当時の紗枝は、男子にイジメられて……不登校になり、そんな環境から、全ては投げやりになっていた。

 勉強をする気など起きず、心配した母親が頼んだ家庭教師にわざと嫌われようとした。わざと粗を見つけて辞めさせようとした。意地悪しようとした。

 こんな酷い行動に走ってしまったのは、イジメてきた相手と同じ、『男』の家庭教師だったから。


 相手は全く違えど……やるせない気持ちから、辛い気持ちから、イジメをし返そうとした。


 その一つが、家庭教師が度に買ってくる『お気に入りのパン』を勝手に食べるというもの。

 怒られたならそれでいい。そのまま辞めてしまえばいい。

 意地悪できたならそれでいい。自分の気持ちがスッキリする。


 今はもう考えられない思考を持っていた紗枝は、家庭教師がトイレに行ったタイミングで……パンを奪った。

 一口食べて、飲み込んで、空腹だったことを思い出した。

 気づけば無我夢中で食べていた。


『あはは、そのクロワッサン美味しいでしょ? こっちのパンも美味しいから食べていいよ』

『っ!!』

 そして、いつの間にか戻ってきた家庭教師に言われた言葉がこれだった。

 怒ることなく、意地悪されているとも思っていないような笑顔でもう一個差し出してきたのだ。


 ——その日の家庭教師は、ずっとお腹が鳴っていた。


 紗枝にとって『男』に対しての嫌悪が、この時ほど揺らいだ日はなかった。

 予想外の反応を取られたのだから。予想していなかった優しさを見せられたのだから。



 それから何日が過ぎただろう……。家庭教師が買ってくるそのパン屋さんに一緒にいくようになった。

 あの時、一番最初に奪い取ったチョコクロワッサンを2つお盆に載せると笑われた。

 だが、その時間は紗枝にとってなにより楽しかった。


「空くん元気にしてるかな……。どこにいるのかな……。会いたいな……。あの時に食べちゃったパンも、早く返したいな……」

 今の気持ちがそのまま声に出る紗枝は、チョコクロワッサンが食べたくなったように早足で学校に向かうのだった。



∮    ∮    ∮    ∮



 時刻は12時40分。

 昼休みに入って10分が過ぎた頃。紗枝は学校に到着した。


(新しい担任の先生だけは、絶対に苗字呼び……)

 ジトっとした目に強い意志を宿し、職員室に入る、


(あの人が、新しい先生……)

 3年A組の担任席に座っているその後ろ姿を確認した紗枝は、ピリピリした雰囲気を纏って口を開くのだ。


「3年A組の小町紗枝です。遅刻してしまったので遅刻届けをもらいにきました」

「おっ! 紗枝さん待ってました!」

 そして、元気な声を出した担任が振り向いた瞬間。


「「…………え」」

 声が被った。

 紗枝も、その担任も、目を大きく見開くことになるのだった。




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