第7話 再会③
「あれ、その袋ってもしかして……」
「袋? あ、うん。これはパン屋さんの」
「やっぱりそうだよね! 袋の色が変わってたから全然気づかなかったよ」
当時は本当によくお世話になっていたお店。
紗枝の家庭教師をする日は必ずと言っていいほど寄っていた。
「空くんが来なくなったから、店員さん寂しがってた」
「そ、それは悪いことしちゃったなぁ……。紗枝さんの家庭教師を卒業してからは、そっちの方向に行くこともなくなってね」
「あと、わたしも寂しい」
「そ、そう? じゃあ今度お邪魔しようかな。このお話をして久しぶりに食べたくもなったから」
「本当っ? 何日の、何時に来てくれる?」
「そ、そうだなぁ……」
華奢な体を前傾にさせた。そして、特徴的なジト目をキラキラ輝かせた。
彼女の家庭教師を務めていたからこそわかる。
『来店時間を合わせようとしてると』と。
「まだ正確な日時は決められないんだけど、休日に行くつもりだよ」
「わかった。空くんが行く日……決まったらわたしに教えてほしい」
「あはは、じゃあ決まったら教えるね」
「うん。ありがとう」
(この表現は間違っているかもだけど、こんなに時が経っても懐いてくれているのは本当に嬉しいな……。頑張って家庭教師を続けてよかったなって……)
当時は大学生をしながら、人生初めてのバイトを経験したのだ。
なかなか感覚を掴めず、生徒との距離もなかなか縮まらず、睡眠時間を削りながら一人で授業のシミュレーションを行ったり、『誰とでも仲良くなれる!』を謳った本を読み漁ったりしたほど。
あの時の頑張りが報われたと再び感じる空である。
「ちなみに、あのパン屋さんで紗枝さんはなにを買ったの?」
「二つあるから当ててみて」
半ば開いた目の形はそのまま。ワクワクしているように肩を少し上下させている。
「まずはチョコクロワッサンじゃない?」
「正解。あと一個ある」
「あとは……明太フランスパンとかピザパン?」
「ううん。もう一個もチョコクロワッサン」
むうっとした。これは彼女なりのドヤ顔である。
「なるほどー。それじゃあ昔と変わらずなんだ?」
「うん。空くんからもらったこれが一番美味しい」
「あれ? あの時は自分がお手洗いに行った時に、勝手に食べちゃったんじゃ?」
「空くんが『もらった』ってことにするからって言ってくれたもん。……でも、あの時はごめんなさい」
「冗談だから気にしないで。もうたくさん『ごめんなさい』はしてもらってるんだから」
当時、パンを奪い食べられていた現場を見た時は衝撃的だったが、あまりにも美味しそうに食べている姿を見て……怒りが湧くことはなかった。
むしろ微笑ましい気持ちになり、もっと食べさせたくなったほど。
「あ、空くんに見せたいものある」
「なになに?」
「昔の約束、覚えてる? わたしが有名になったら、SNSのアカウント……
「もちろん覚えてるよ! えっ、いいの?」
「ん。空くんが応援してくれた分にはまだまだ釣り合わないけど、今まで頑張ったお仕事を見てほしいから」
「わかった」
(ふふ、たくさん褒めてほしいんだろうなぁ……)
今現在、口元が緩んでいる紗枝なのだ。
見てもらって、褒められの言葉をかけてほしいのだろう。
実際、この表情を見なくても、彼女の頑張りを褒め讃えるつもりである。
「はい。これがわたしのアカウント。
「どれどれ」
そんなことを思われていると知らない紗枝は、スカートのポケットからピンクのスマホを取り出し、こちらに渡すように置いた。
そのスマホを少し手繰り寄せてプロフィールを確認するのだ。
「えっと、空が大好きなイラストレーター。ははっ、確かにお空って綺麗——」
「——っ!!」
こう声に出した瞬間だった。
ガチャっと大きな音が鳴った。スマホの画面に向けていた顔を上に向ければ……椅子から立ち上がって顔を真っ赤にさせている紗枝がいた。
「あ……ご、ごめん。もう読み上げないようにするから」
「す、少しスマホもらう」
プロフィールを読み上げられることが恥ずかしかったのだと気づいた時にはもう遅かった。
紗枝は自分のスマホを回収し、両手で画面を操作してすぐに渡してきた。
その画面を見れば、『空が大好き』以外にも文字が削られていた。
特に消す理由はないと思うが、どのような内容が書かれていたのか気になったが、消したということは、なにかしらの不都合な理由があったのだろう。
追及はせず、今度は黙読していく。
(主なお仕事実績、ここか。Vtuberデザイン。ゲームイラスト。ライトノベル挿絵。神絵師画集No,55。ジト目のジトリちゃんシリーズ、フィギュア化。その他の実績はこちらのURLから……って——)
「——え!?」
その手の業界に詳しくない空だが、聞いたことある名前が次々に載っていた。
そして、フォロワー欄には414,492の数字。
目を擦り、再び桁を数えるが……変わらずの6桁だった。
「このSaKuってアカウントが……紗枝さんの?」
「そう」
スマホを見たまま肯定の言葉を聞き、再び顔を上げると、紗枝と目が合った。
「すごいと思ったら、頭ぽんぽんする約束……。だから、すごいと思ったら、少しの間だけ、空先生じゃなくて……空くんになって」
「……」
この要求に一瞬、迷いが生じる。
だが、これは紗枝が一人で頑張った結晶であり、約束。
教師として甘すぎる選択だが……教え子の努力を最大限褒めてあげたかった。
「もちろん! 紗枝さんこれは本当に凄いよ! 本ッッッ当に凄いことだよこれ!!」
「んっ……。空くんのおかげ」
椅子から駆け寄り、約束通りに頭に手を置く。
「いやいや、これは全部紗枝さんの実力だって! 本当に凄い以外の言葉が見つからないよ……! いやぁ、あれからこんなに頑張ってたなんて……」
「全部、空くんのおかげ」
「謙遜しちゃって! もー、こんなに頑張ってるならもっと早く教えてくれなきゃ」
「空くんと会ったの、今日が初日」
「そ、それもそっか。あはは……」
正論を浴びせられ、誤魔化すようにポンポンを早める空。
「もっと頑張るけど、空くんがいない間、わたし頑張った」
「うんうん。これからの活躍も期待してるよ」
上目遣いをしながら、こちらにピースを掲げてくれる。
「ペンネーム通り、もっともっとお仕事に花を咲かせられるといいね。SaKuってそんな意味でしょ?」
「……」
そう口にした途端である。ピースした指先がなぜかプルプルと震え始めた。
そして、頭が下がった。
「え?」
いきなりの変化に少し覗き込んでみれば、なぜか顔も赤くなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます