第12話 相談室

「ばか」

「え?」

「ばか」

「ん?」

「空くんのばか」

 使用許可が取れた相談室の中。

 テーブルの上に乗った空の手を——前のめりになりながらペチペチと懸命に叩く紗枝は、こう文句を述べていた。

 空がタイミングよく手を引くと、ベチと机ドンになる紗枝でもある。


「もう少し叩かないと、気が済まない」

「じゃあもう少し叩く?」

「うん」

 コクリと頷いて嬉しそうな顔になった。


「ダメ」

「……」

 そして、すぐにムスッとなった。


 空がこんなにも余裕があるのは、紗枝のことは全く怖くないからである。

 椅子に座って対面中だが、空から見れば胸から上がテーブルからちょこんと出ている状態である。

 小さな身長。童顔の顔。特徴的だが可愛らしいジト目。

 残念ながら怖がられるには難しい要素ばかり持っている彼女である。


「『パン食べられた』ってみんなに教えたの、恥ずかしかった。友達にも言われて、もっと恥ずかしかった」

「あれ、自分が紗枝さんの教え子だってことみんな知らないんじゃ?」

「みんな知らないから言われた。『家庭教師になった時は、ご飯取られないように注意しないとね』とか、『人のご飯をるだめだよね』とか」

「あははっ、なるほどね」

 そう言われて納得しつつ、空は嬉しさを感じていた。

 彼女の中学時代を知っているからこそ、楽しそうな高校生活を送れているようなことを直接聞くことができて。


 空は高校進学しようとした紗枝に協力をした側。楽しく過ごしてくれることが一番なのだ。


「それより、空くんに聞きたいことある」

「な、なに?」

「大学生の時、彼女いたって本当? わたし聞いてない」

「ま、まあ……大学は出会いとかいろいろあるからね。聞いてないって感じるのは、『彼女がいるかどうか』みたいな過去形の質問じゃなかったからかな?」

「そうかも」

 小さく頷いた紗枝は納得の様子を浮かべ、今度は首を傾けた。


「今は連絡も取り合ってないの、本当?」

「もちろん」

「どうして別れたの」

「ああ、喧嘩別れをしたわけじゃないよ。ただ、お互いの都合ですれ違いが多くなって……みたいな感じだから。って、紗枝さんも恋バナ好きなんだ?」

「空くんのは気になる」

「あはは、まあ知り合いの恋愛事情は気になるもんね」

 教え子を相手に、過去の事情を話すのはちょっぴり気恥ずかしいもの。

 頬を掻きながら空は話題を逸らした。


「ちなみに、紗枝さんはどうなの? 付き合った経験とか」

「っ」

「あ! 実はもう彼氏さんいる!?」

 目を大きくして驚いた反応をする彼女。動揺した様子に興味を示せば、紗枝はブンブンと両手を振りながら早口になる。


「勘違いするのだめ……。わたし男の人と付き合ったことまだ一度もない」

「そ、そうなの!?」

「うん……。そんなに驚かれると恥ずかしい」

「ご、ごめんね」

 紗枝さんは優しいから、可愛いらしいからモテているはず。というのが空の本音だったが、教師という立場上、それを伝えるのは控えた。


「でも、高校生になって告白をされたことある」

「おっ! だけど断っちゃったんだ?」

「だって……好きな人……いるから」

「そ、そうだったの!?」

 ぼそぼそと小声になり、恥ずかしそうに教えてくれる紗枝。

 一瞬、冗談かとも思ったが、上目遣いでもじもじした様子からするに、本当のことを教えてくれたのだろう。

 この驚きは、すぐ微笑ましさに変わった。


「……ふふ、でもそっか。紗枝さんも恋をする年になったんだね」

「うん。早くお付き合いしたい」

 真剣な顔でこちらを見てくる彼女。共感してほしそう? だが、この気持ちは恋をした者全員が共通することだろう。


「紗枝さんならきっと大丈夫だよ。その好きな人ってクラスメイトの子でしょ? 少し騒がしい子が多いような気もするけど、みんないい生徒ばかりだから」

「空くんからかうから、詳しいことは教えない」

「それは残念」

 学校生活もお仕事も順調な教え子が、一体どのような相手に恋をしているのか、それはとても興味深いこと。

 欲を言えば、たくさん聞き出したいところだが、この手の追及は不快にさせるだけだろう。

 素直に引くことにする。


「でも、空くんに三つだけ教える」

「お?」

「わたしの好きな人、クラスメイトの男子よりもいい人。あと、かっこよくて優しい人」

「そっか。紗枝さんが好きになる人だから、きっといい人なんだろうね」

「ん……」

 好きな人を褒められて嬉しかったのか、目を細めながら口元を緩めていた。

 乙女の顔というのは、正しくこのような表情を言うのだろう。


『もし紗枝さんがその好きな人と付き合えたら、こっそりでも紹介してほしいなぁ……』

 なんて思いながら、相手の人物を想像していたその時だった。

 ——ガラガラ、と相談室の出入り口が開く音がした。

 複数ある相談室の一つを使いにきたのだろう。


「さてと! 雑談はこの辺にして……この機会に紗枝さんの出席率とかの相談させてもらうね? 実は休日の間に調べてきたから」

「お休みの日に調べてくれたの……?」

「これでも担任なんだからね。紗枝さんも大変だと思うけど、みんなと一緒に卒業できるように頑張ろうね」

「たくさん頑張る……」

 そうして、真面目な話に移る二人だった。

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