第22話 空の自宅⑤
コンビニを出てその帰宅後のこと。
「まったく……。本当にもう……」
「ぷっ、まだブツブツ言ってる。センセは可愛いねえ」
「あんな上手に知らないフリをするからでしょ? どうすればいいかわからなかったんだから。まったく……」
宅飲みを始めた空とななせは、対照的な表情を浮かべてながらやり取りをしていた。
余裕のない家主と、余裕がありすぎる訪問者。なんて構図である。
「センセはウブすぎるんだって。20歳にもなってコンドームを知らない人なんていないでしょ」
「あの場面で持ってくるとは思わないでしょ!?」
「いやいや、定番じゃん」
「定番!? ……えっ? さ、最近の若い子ってそんなに進んでるの?」
「さあ、どうだろうね〜」
なにかを含ませるように間延びした声を出しながらニヤリとするなせは、ビールを口に含む。
「って、センセの呑むペース明らかに早いけど大丈夫?」
「だ、誰かさんが動揺ばかりさせるから……」
「にひひ、また呑んだ」
この飲み会を存分に楽しんでいるななせは、少し前から
それは——空をからかえばからかうだけ、呑むペースが早まる。という法則。
教え子には見られたくない『動揺』なのだろうが、お酒が弱いことを忘れているかのよう。
そんな恩師が呑む缶を手に取ったななせは——。
「——ありゃ、センセもう半分も減ってるじゃん」
中身の量を確認し、『はい』と戻すのだ。
「ちなみにそのお酒どう? 呑みやすい?」
「正直、強いからあれだけど……美味しいから買ってよかったよ」
「それならよかったっ」
気持ちがこもったような返事になるのは当然だ。
ななせはコントラストの原理を応用させ、誘導するように9%のお酒を買わせたのだ。
『美味しい』の感想が聞けなければ、罪悪感を抱いてしまうのだから。
「あっ! そう言えばこれまだ聞いてなかったんだけど、センセはコンビニでお酒を買う時、いつも何%攻めてんの?」
「いつもは3%で、仕事で疲れた時とか、嫌なことがあった時は5%かなぁ」
「呑む時は一杯?」
「うん。小さい缶を一つ」
「へえ、そっかそっか」
この情報を自然に掴んだななせは、確信する。
あとは時間に身を任せれば、空の酔った姿を見られるだろうと。
壁時計に目を向ければ、現在の時間は20時30分。23時までまだまだ余裕があるのだ。
「ねえ、センセ。この鮭とばっておつまみめっちゃ美味しいね。あたし初めて食べたこけど、これリピートするかも」
「これ美味しいよね。自分も好きで」
「ふんふん。これ糖質も少ないから、制限ダイエットにも向いてる商品っぽい」
裏面にある鮭とばの栄養成分表示を見るななせは、思ったことを口にする。
「あはは、そうしたところはさすがだね。プロ意識っていうか。今気づいたけど、ビールも糖質ゼロを選んでるし」
「まだ若いからガチガチに気をつけてるわけじゃないんだけど、少し意識するだけでもスタイル維持がしやすいらしくて」
「確かに意識するだけで摂取量は変わってくるもんね」
『うんうん』と頷きながら肯定する空だが、ここで心配の視線をななせに向けるのだ。
「だけど、個人的にはもっとお肉をつけてもいいような……? お腹もキュッとしてるし」
「そんな目で見てたなんてやらしー」
「ッ!?」
「えっちなセンセ」
「なっ……」
目を細め、ジーンズを履いた長い足を組み替える彼女は、あの法則をもっと使わせるように、からかいを増やしていく。
「ま、待って! ちょっとそれは誤解! そんなわけじゃなくって!」
「にひっ、わかってるわかってる。冗談だし」
「も、もー!! 大人をからかいすぎだよ、本当……」
「ご、ごめんって! もうしないからね?」
「言葉が軽い」
お酒を両手に持ってジト目で訴える空。
顔が赤くなっているのは、お酒のせいでもあるだろう。
「じゃあ、さっきのお詫びにセンセが安心できること教えるから」
「安心?」
「こう見えてもあたし、めちゃくちゃ痩せてるわけじゃないってこと。これを言うのは恥ずいけど、心配されるような体重してないし」
「そ、そうなの……?」
「うん。まあ胸がおっきいから仕方ない部分あるけど……ほら、太ももむちってしてるでしょ?」
右手にビールを持ちながら立ち上がったななせは、左手でポンポンと太ももを触る。
「これ少し気にしてるから、スキニージーンズ履いてるんだよね。一応、ジムで絞ってるんだけど、あんまり効果なくてさ」
「うーん。自分はそう思わないけどなぁ」
「へ……。それ本音で言ってるじゃん。お世辞じゃなくて」
「実際にそう思ってるから」
同意されるとばかりに思っていたななせ。少なくとも、お世辞を言われると思っていたななせは、嬉しさと同時に恥ずかしさが湧いてくる。
気にしていた部位を『そう思わない』なんて答えてくれた相手は、たくさんの思い入れがある人物なのだから。
「な、なんか……そんな予想に反した反応されると『むちってしてる』くらいは言わせたくなるんだけど。あたしの感覚が間違ってるようでさ。ほら、センセも触ってみればわかるって」
「こ、こら……。そんなに誘うようなことしないの。シラフならまだしも、そうじゃないんだから……」
「あ、あはは……。た、確かにそれもそうだね。結局アレは買わなかったから、いろいろヤバいもんね?」
「……そんな問題じゃないでしょ?」
「ま、まあね!」
ななせが一歩引いたのは、大人びた空が弱々しげなものに変わっていたから。まるで『本当にダメ……』なんて受け身の形で伝えてくるように。
酔いがどんどん回っていることを自覚しているのか、普段以上に自制を働かせているような意識が見えたのだ。
「ギャップ……ヤバ……」
無意識に小声が漏らすななせは、優位な立場であるにも拘らず視線を逸らしてしまう。
「え、えっと……話題、話題……」
この状況下での無言になってしまえば、さらに意識してしまう。
必死に頭を働かせ、場を繋げるように口を動かすのだ。
「あー。そ、そう! これは純粋な感じで聞いてほしいんだけど、あのゴムってマジで高いと思わない? 一箱1000円ってことは、一発するだけで1000円もするわけでしょ? しかも使い捨てだし」
「いや、ああいう系は3つ以上入ってると思う」
「あっ……。ま、まあ知ってたけどさ? あたし20歳だし」
ここで初めて、ゴクゴクゴクとビールを流し込む。
「本当、ななせさんにはしてやられたよ。二箱だったから本当にビックリで」
「べ、別にビックリするもんじゃないでしょ。気合い入れたら6回でも10回でも余裕なんでしょ? 男って。あ、あたしの友達の友達……? がそんなこと言ってたし」
「ど、どうだろう……」
「……」
「…………」
「…………」
会話のキャッチボールが成立しなくなる。
話題が話題なだけに、ここで気まずさが漂いだす。
「……あ、あのさ。そろそろ話題変えてよ。恥ずいって……」
「ご、ごめん。じゃあ……話は変わるけど、ななせさんの大学生活を教えてもらおうかな。友達のこととか、勉強のこととか、グランプリを取った後に変わったこととか」
「わかった。じゃあまずは大学で仲良くなった友達のことから——」
そんな話題に華を咲かせながら、ゆったりとリラックスした時間を過ごすこと1時間と30分。
22時が過ぎていた。
「あ、センセ。うとうとなってる」
「はは……。やっぱり9%は強かったなぁ……。時間が経てば経つだけ、酔いが回ってきて……」
とろんとした目を擦り、眠気に耐えているような声を出す空。
「これは煽りじゃないんだけど、センセ本当にお酒に弱いね」
「飲むペースを間違えちゃったかな……。次からは気をつけないと……」
脱力しているようにソファーに背中を預けている空。今横から押せば、すぐに転んでしまうだろう。
そして、うとうとは止まることを知らない。
「……センセ。お酒には本当気をつけないとダメだよ? 満腹+炭酸入りのお酒ってマジで酔いが回るコンボだし、酔わせて悪いことをしようと企む人だっているんだしさ」
「うん……。ななせさんも気をつけてね。自分より……お酒の席とかあるだろうから……」
「ありがとう。だけど…………センセに言われても、ね」
「んー?」
眠たげの空を見て、嬉しそうに笑うななせは時計を見る。
「っと、ちょっとお手洗い貸してもらうね。センセはその間、少し横になって酔いを覚ますといいかも」
「そ、そうだね。横になって酔いを覚ますね」
「うんっ」
酔った状態では思考が正常に働かない。
ソファーの上で横になった空を確認したななせは、音を立てないように廊下に続く扉を開けてお手洗いに向かうのだった。
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