第24話 電話のやり取り

「……ん? ハッ!?」

 重たい瞼を開け、豆電球の光に照らされた部屋を視界に入れた空は——意識を覚醒させるように目を見開いた。


「あれ、ななせさん……。あっ、もう帰った時間か……」

 ソファーに座ったまま壁時計を確認すれば、夜中の1時を過ぎていた。


「こ、これは本当に酷いことしちゃったな……。自分からお家に招待したのに。しかも……」

 罰の悪い顔で見るのは、自分の体に掛けられてた布団。

 さらにはお酒やおつまみが並んでいたテーブルもきちんと片付けられている。

 自分が呑気に寝ている間、彼女が気を利かせてくれたこと。


「夜も遅いけど、今のうちにお礼を言っておかなきゃ……」

 体をまさぐり、次に上半身を動かし、カーペットの上にあったスマホを見つけ、電源を入れたその時、彼女からの通知が複数入っていることに気づく。

 すぐに確認すれば、このような内容が入っていた。


 一件目。

 彼女に撮ってもらったエプロンを着た自分の写真。


 二件目。

【なんか一人で寝やがったセンセへ。今日はありがと。めっちゃ楽しかったよ。一応言っとくけど、ちゃんと23時には帰ったから安心し】


 三件目。

【センセが寝たあと、適当にご飯作ったから朝はそれ食べてね。勝手にいろいろ使っちゃってごめんね】

「え!?」


 四件目。

【あと、センセのお財布の下にお金置いたからちゃんと確認してね。そのお金は今日奢ってもらった分とか、電気代とかガソリン代のお返しね】

「え!!?」

 スマホをその場に置いて急いで立ち上がる空は、照明を明るく変えてキッチンの上に置いた財布を見る。

 そこには文面通り、財布の下にお札が置かれていた。


「い、いやいや一万円って……。第一、お金を払う必要はなかったのに……」

 本心でそう思っているからこそ、このお金を財布にしまうことはできない。

 そもそも一万円もかかっていないのだ。

 ざっくり計算しても、5000円ほどのお釣りが返ってくるだろう。


「と、とりあえずこのお金は封筒に入れておくとして……」


 メールで気になった文面はもう一つ。

 空はキッチンの前に移動し、冷蔵庫を開ける。

「こ、これをななせさんが作ってくれたのか……」

 ご飯にかけて食べられるあんかけに、おかずに、サラダに。

 二日酔いのことを考えてくれたメニューだというのは容易に判断がついた。


「って、もしかしてこのお鍋も!?」

 冷蔵庫を閉じ、IHヒーターの上に置いてある鍋蓋を開ければ、ほんのりと温かいトマトのスープも作られてあった。


「これ、ななせさんが自宅用に買った具材ばかりじゃ……?」

 未だアルコールが抜けていない状態だが、この考えは合っていた。

 再び冷蔵庫を開けて確認すれば、パックに入っている卵の数も、野菜の数も減っていなかったのだから。


「こ、これ夢じゃないよね……。夢なら夢がいいんだけど……」

 と、自ら頬を引っ張れば当然の痛みがある。まごうことなき現実だ。


「してやられたなぁ、本当……」

 こちらは自宅に招いた側なのに寝てしまったのだ。これは大きな失態だ。


「立派になったところを逆に見せつけられちゃったなぁ……」

 複雑な気持ちだが、その顔にはしっかりとした微笑みがある。

 空は彼女とのやり取りを思い返しながら、食器棚からお椀を取り出し、鍋に入ったトマトスープを盛ってリビングに戻る。

 人肌の温度になったスープを温めなかったのは、少しでも早く彼女が作ったスープを飲みたかったから。



 早速口に運べば、わからされる。

「…………自分が作るより美味しいし」

 それがスープの総評。お椀の中をすぐにからにして、彼女への返信を打ち込むのだ。


【ななせさん、今日は寝ちゃって本当にごめんね。見送りすることもできなくて本当にごめん】

【作ってくれたスープ飲んだよ。自分が作るより美味しくてビックリした】

【それはそうと、あのお金はもらえないから今度取りにくるように】

 メリハリをつけた内容。

 これを送信すれば、すぐに既読がつき——。

「ッ!?」

 端末が振動し、『テテテテテテテン♪』と、LAIN電話の呼び出し音が鳴る。

 その液晶に映されているのは『桜井ななせ』の文字。

 すぐに応答のボタンを押す空は、スマホを耳に当てるのだ。


『あ、センセ、起きたー? こんな時間に電話ごめんね』

「あはは、全然大丈夫だよ。ななせさんも大丈夫なの?」

『うん。もう家に帰ってるし。今は大学の課題をしてるとこ』

「今課題してるの!? あ、相変わらずタフだなぁ……。自分と一緒に飲んだ後なのに……」

『な、なんて言うか……なにかしないと落ち着かなかったんだよね。寝られなかったっていうか』

 少し焦ったような声になったのは、気のせいだろうか。


『そ、それより一つ聞きたいんだけど……センセの服にあたしの香水の匂い移ってないよね……? 柑橘類のやつなんだけど』

「うーん。移ってないと思うよ?」

『そ、そっか。一応言っておくけど、匂い移るようななにかをセンセにしたわけじゃないから! なんて言うか、ちょっと匂いがキツかったかも……なんて思ってさ?』

「個人的にはちょうどいい感じだったよ」

『ん、それならよかった』

 心配しているようだったが、なんとも軽い返しだった。


『あ、そうそう。センセの財布の下に置いたお金だけど、アレを返されてもあたしは受け取らないからね?』

「そ、それは困るよ。自分だって使えないお金なんだから……」

『でもさ、センセが寝ちゃったのが悪くない? センセが寝なければ、こんなことにはならなかったわけで』

「う。そ、それは……」

 言葉が詰まるほどの正論だ。自分が寝ていなければ、お金を置いていくような行動は取らせなかったのだから。


『まあ、受け取れないっていうセンセの気持ち、わからないでもないからさ? ここは考え方を変えてもらって、あたしからの先行投資ってことで納得してくれない?』

「先行投資?」

『ん。勝手な言い分で申し訳ないんだけど、今度一緒にデートするじゃん?』

「あ……うん。デートって言うと大袈裟かもだけど、そうだね」

 彼女らしい言い回しだ。


『ねえ、そこはデートって言い切ってよ。訂正されると悲しいじゃん』

「ははっ、ごめんね。それで、そのデートでの先行投資って?」

『あたしを楽しませてね! っていう投資。簡単に言えば、エスコートしてもらう的な』

「なるほど。了解」

 コク、と頷きながら声を出す。


『あれ? やけに素直じゃん。センセのことだから反抗するかと思ってた』

「もし楽しませられなかったら、あのお金は返却ってことで」

『にひひ、OKOK、その条件を呑む代わりに、わざと楽しませないようにするのはナシね?』

「もちろん。じゃあそんな感じでよろしく」

『センセは日曜日の方が都合いいよね? デートする日』

「そうだね。そうしてもらえると助かるよ」

『はーい。スケジュール調整して早めに連絡入れるね。そのメール無視すんなよー?』

「あはっ。そんなことしないって」

 笑いながら簡単な予定合わせをしながら電話を続けること数分。


 そろそろ、というタイミングになる。


「それじゃ、この辺かな?」

『うん、いいタイミングだね。ほら、おやすみ言って。センセ』

「おやすみ、ななせさん」

『にひっ、センセもおやすみ。今度はお泊まりにいくから、着替えとか歯ブラシ持ってくね』

「……え?」

 聞き返せば、ななせからの返事はない。

 耳に聞こえるのは『プープープー』と電話が切れた音。


「ま、まったく。こんなところは変わってないんだから……」

 目を細めながら独り言を吐く空だった。



∮    ∮    ∮    ∮



「ひひ、『おやすみ』だって。このバカがあたしに『おやすみ』だって」

 電話を一足早く切ったななせは……頬杖をつきながら、スマホを見て顔を綻ばせていた。

 そのスマホのホーム画面に写っているのは、くたびれたエプロンを着た空の写真だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る