第33話 Side紗枝

 これは同時刻——紗枝が感じていたことである。


 * * * *


「久しぶりだ……。ふふ、懐かしい」

「ま、まあ懐かしいことには懐かしいんだけど——」

(本当に懐かしい……。嬉しい……)

 空くんが家庭教師をしていた時によく甘えていたこと。この膝枕がまたできるなんて思ってもなかった。


「——緊張が勝たない?」

「……意識したら緊張してきた。だから意識しないようにする」

「え、そんな器用なことできるの? それすごくない?」

「すごい」

「あはは、自分で認めるんだ」

 本当はそんなに器用なことはできない。全然すごくない。ただ嘘をついちゃっただけ。

 もう意識しちゃったからすごく緊張する。

 心臓の音がバレないように手で胸を抑える。意味がないことだけど、これをするだけでも少し楽になった。


「空くん、頭も撫でて。昔みたいに」

「えっと……紗枝さん? 一応自分は先生だからね、担任の」

「ママとの大事なこと話し終えたから、顔見知りにお兄さんになった」

「ま、まあ……その見方もできないことはないけど……」

「だから撫でる」

「も、もー……」

 空くんは優しいから、甘えればすぐに撫でてくれる。

 でも、学校の先生になった空くんだから、普段からはこうしてくれない。

 今のうちにたくさん甘えるのが吉。今まで会えなかった分、目一杯充電する。

 充電が100%の満タンになっても、101%になれるように充電する。


 家庭訪問の前日、こんなやり取りをママとした。ママから釘を刺された。

『先生に迷惑をかけるようなことはしちゃダメよ。紗枝のことだから甘えるつもりでしょうし』

『空くんは迷惑じゃないっていうから大丈夫』

『それは先生の優しさに漬け込んでいるだけじゃないの』

『違う』

『違くなんかありません』

 ——でも、この機会を逃したくないから言うことは聞かない。空くんに甘えられるなら、ママに怒られても全然平気。


「むふ。今、すごい優越感がある。担任の先生を独り占めしてるから。わたししかできないことで独り占めしてるから」

「ええ? そんなに感じるもの?」

「空くんはなにも知らないから、そう思うだけだよ」

(うん、本当に知らないだけ)

 これは学校の生徒だからわかること。


「ちなみに自分がなにも知らないって言うと?」

「空くんはすごく人気のある先生ってこと。優しくて、教え方も上手で、かっこいいから女の子から大人気」

「……だ、男子から人気じゃなくて?」

「私は女の子からの人気の方が高いと思う。だって、卒業式の日に空くんに告白しようとしてる人を知ってるから」

「えっ!?」

「嬉しそうにしない」

 モヤモヤするのが、こんなことを話す女の子が一人じゃないこと。周りに話を合わせている人もいるかもしれないけど、数えるなら両手を使わないといけないくらい。


 わたしが空くんの一番最初の教え子なのに、みんな横取りしようとする……。


「う、嬉しいよりも驚きが強いよ?」

「ならいいけど」

「いいんだ?」

「うん」

 嬉しい方が強いなら、横取りされる可能性が高くなる。

 これを聞けただけで、ちょっとモヤモヤはなくなった。


「空くんは今の学校に勤める前、別の学校にいたんだよね?」

「そうそう。前の高校では二年間勤めてて、今年で教員暦が三年目だね」

「最初に勤めてた学校で、女の子から告白されたことはある?」

「そ、それは……」

「あるんだ」

 絶対そうだと思った。

 まだわたしの高校で2ヶ月くらいしか働いていないのに、これだから。

 わたしは空くんの太ももを摘む。これは必要になる。


「確かにあるけど……ほんの少しだけだよ?」

「一回?」

「どうだろ——痛っ! なんでつねるの……」

「なんとなく」

 モテすぎ……。

 想ってる人がモテるのは嬉しい。でも、モテすぎるのは全然ダメ。

 だから罰を与える。


「……でも、さすがは空くんだと思った。先生なのに告白されてるから」

「あ、ありがとう?」

「そう。その告白してきた人はすごく人を見る目がある」

「あ、あはは」

 見る目があるから、将来は素敵な男の人と一緒に幸せになると思う。


「空くん、頭撫でる手、止まってる」

「は、はいはい」

 甘えたからだけど、すぐに撫でてくれた。

(空くんが付き合ってくれたら、毎日これができるのに……)

 でも、毎日してくれたら特別感がなくなるから複雑な気分。


「……そ、それでなんだけど、この体勢はいつまで続ければいいの?」

「ママのご飯が出来上がるまでだから、あと一時間から二時間くらい」

「さすがにそれは長くない? なんかもっと別のことを……」

「これが一番いいの」

 空くんをベッドから立ち上がらせないように、膝枕をしたまま腕を回してぎゅっと抱

 これで仮に立っても、密着したまま。

 立場の面で複雑な気持ちはあると思うけど、わたしのために我慢してもらう。


「……ジ、ジトちゃん、それはやりすぎ」

「ぁ、懐かしい呼び方……。嬉しい」

「さらに力入れようとしない」

 わたしに(ちょっと)呆れた時とか、『もー』って言ったりする時に使ってたあだ名。

 学校では絶対に呼んでくれない呼び方。わたしだけの呼び方。本当に嬉しくなる。

 頭の撫でてくれて、すごくいい気分。


「ね、空くん」

「うん?」

「空くんは……いつまでに結婚したいとかある? あまり聞いてなかったから、将来のこといろいろ話そ」

「お、それは面白そうだね」

 このお部屋ですることはないから、空くんとの話題はたくさん考えてきた。


「そうだなぁ……。結婚となると30歳を迎える前にはしたいと思ってるかな。確か平均がそのくらいだったから」

「そうなんだ」

『平均がそのくらいだから』ってまとめてるけど、空くんのことだから、仕事がもっと安定するから。とか、貯金に余裕が出るから。とか、そんなことを考えての理由が大きいと思う。

 だって空くんだから。


「ちなみに紗枝さんは?」

「わたしは高校を卒業してすぐ」

 どこかの誰かがすごくモテるから。


「……へ!? さ、さすがにそれは早くない? 口を挟めることじゃないけど、もっと相手を見る期間があった方がいいって言うか……」

「それでも、結婚するなら早い方がいいと思ってる」

「早い方がいいって言うのは、子どものこととか考えて?」

「ううん。できるだけ早く確保しないと、他の女の人に取られる可能性があるから。お仕事を続ければ続けるだけ、出会いの場の合コンとかあると思うから」

 どこかの誰かがすごくモテるから、出会いの場で可愛い女の人がグイグイくるかもだから。


「それは付き合って確保する、みたいな形じゃダメなの?」

「あのね、付き合ってるだけだと取られちゃう可能性がある」

「なるほど。結構その……徹底的だね?」

「わたしが狙う人は、そのくらい素敵な人だから」

「あははっ、それは大した自信だ」

 自信があるのは当たり前。

 先生なのに生徒から告白されてるのは、本当に素敵な証拠だから。

 あと、空くんは人ごとのように笑ってるけど、人ごとじゃないからね。


「じゃあ、次に空くんは子どもは何人欲しい?」

 少し恥ずかしいことも聞いてみる。子どもを作るってことは……するってことだから。


「子どもは……そうだなぁ。自分の収入次第だけど、できるだけたくさんの子宝に恵まれたいとは思ってるよ」

「空くんは子ども好きって言ってた記憶がある。家庭教師してた時に」

「ははっ、確かにそう言ってても不思議じゃないね」

 空くんのお嫁さんになったら、やっぱり夜が大変になっちゃいそう。でも、嬉しくないわけじゃない。

 夜の生活も大事って聞くから。

 あと、お家でできる仕事でよかった。たくさん疲れるって聞くから。


「まあ……妊娠から出産、さらには子育てって本当に大変なことばかりだから、そこはお嫁さんと相談しながらだけどね。別に子どもがいなくても、幸せに暮らしている夫婦はたくさんいるから、一番はお嫁さんの意見を尊重したいな」

「空くんはいきなり先生になることがあるから、心がビクってなる」

「ご、ごめんごめん。真面目な話になるとちょっと力が入っちゃって」

 気を緩めていたら、こんなことをしてくる。

 先生になった空くんもかっこいいから、本当にずるいことをしてる。


「でも、やっぱり空くんは優しい。そう言ってもらえるだけですごく気が楽になると思う」

「実際にこの手の考えの人は多いと思うから安心してね」

「安心した」

 他の人は関係ない。空くんがそれなら安心。


「少し眠くなってきた」

「……ジトちゃん、先生が言うのも変だけど、男だよ? 自分」

「そうだね」

「いや、性別の確認をしたわけじゃなくって……」

 なにを言いたいのかはわかってる。

 それでもこんな意地悪をするのは、この人が真面目すぎて頭も硬いから。なにより先生としての譲れない矜持きょうじを持ってるから。

 先生と生徒の関係が崩れない限り、空くんの意識が変わらないのは間違いない。

 もし意識が変わろうとすれば『これはいけない!』となって絶対に戻すから。


 こんな性格の人だから、わたしは早く高校を卒業して、今の関係から抜け出したい。


「じゃあ空腹のライオンが眠っているシマウマを見たら、どうすると思う?」

「起きるまでずっと頭を撫でると思う」

「……ほう。さては気付いてた、な?」

 わかりやすい例を挙げてくれたけど、ここも意地悪を言う。やっぱりバレた。

 ——あと、常識に囚われているだけでシマウマが空腹のライオンを襲わないとは限らないと思う……。多分。 


「紗枝さんはもうすぐ成人になるんだから、警戒するところはしないと危ないよ、本当に」

「こわい」

「そんなに感情のこもってない『怖い』は初めて聞いたよ……」

 空くんはいつも勘違いしてて、信じない。

 目の前の人にしか、こんなことしないって。

 でも、こうなったのはわたしのせいでもある。


 家庭教師をしていた空くんにたくさん甘えちゃったから。

 空くんからすれば、わたしは誰にでも甘える人って思うはずだから。


「早く高校卒業したいな」

「さっき危ないって話したばかりなのに……」

「空くん、頭撫でる手が止まった」

「……これ一時間も二時間もするつもり?」

「交代するのはいいよ? わたしが空くんを膝枕して、頭を撫でるの」

「そんな先生にはなりたくないです」

「今は顔見知りのお兄さんだよ」

「ダメです」

 いい案だと思ったけど、やっぱりダメだった。

 ダメなら、もうずっとわたしがこの場所を独占することにする。

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