第17話 Sideななせ 空の自宅①

「お邪魔しまーす。って、外見通りめっちゃいいマンションじゃんここ」

「でしょー? ファミリー向けのマンションだから家賃は結構しちゃうんだけど、気に入ってて」

「立地もいいし、いいとこ見つけたね。あとセンセの匂いする」

「恥ずかしくなるようなこと言わない」

「はーい」

(ここなら二人で住むにも十分だし、同棲する時のこととか考えて選んでたりするのかね……?)

 空の車に乗り、自宅まで連れていってもらったななせは、その広い玄関に入って感嘆の声を漏らしていた。

 そして、リビングに招かれてさらに大きな反応を示すのだ。


「って、オープンキッチンじゃん! しかも生ゴミそのまま流せるディスポーザーついてるし! うん、一人暮らしでこれはイキリすぎじゃない?」

「あはは。料理はほぼ毎日するから、楽できるところはしたくて。っと、ななせさんはソファーに座ってゆっくりしてていいからね」

 三人掛けのソファーを指し、だらけさせるような提案をしてくる空。

 招いた側にとっては当たり前の行動なのかもしれないが、その発言には包み込むような優しさがある。


(やっぱり太らされるよねぇ……センセの彼女になる人って。甘えようとしなくても、強制的に甘えさせられるっていうか……)

『なんでもしてくれるような彼氏は誰か』なんて質問をされたら、一番にこの男を挙げるななせである。


「センセは今からなにするの?」

「俺は料理を作ろうかなって。ななせさんも食べるでしょ?」

「えっ、わざわざ作ってくれんの!?」

「もちろん。この時間だからお腹も空いてるだろうしね。なにがいい?」

「オムライス! 絶対!」

「了解! すぐに作っちゃうね」

「うんっ!」

(センセの手料理食べるのってマジで何年ぶりだろ……。って、センセに招かれて手料理を食べるのは初めてだっけ……)

 冷蔵庫を開け閉めしている空を見て、目を細めるななせはふっと思い出すのだ。


 過去——ななせは空の家を避難所にしていたことを。

 親と喧嘩して飛び出した時や、不良との喧嘩で怪我をして、その処置をしてもらうために……と。

 そんな自分勝手な理由で訪れる度、手作りのご飯を食べさせてくれたのだ。

『これが一番得意なんだよね』と、卵が破れた不恰好なオムライスを。


 当時の空は、一人暮らしの中で大学に通い、家庭教師も行い、『料理ができるようになりたい』と自炊までしていた。

 時間に余裕のない生活を送っていたからこそ、料理はお世辞にも上手とは言えず……まだまだ素人目だった。

 それでも、一生懸命作ってくれたオムライスは本当に美味おいしくて、心まで温まる料理だったのだ。


(……今だからわかるけど、センセには本当迷惑かけちゃったな……。少しくらい怒ってくれてもよかったのに……)

 一人暮らしの経験はないななせだが、今現在、空と同じように大学に通って仕事もしているのだ。

 忙しい日常の中、厄介者の相手までさせてしまっていた。本当に大変なことをさせていた。

 それは身に沁みていることで、その罪悪感を少しでも振り払うように——。


「センセ! 卵はあたしの家で使うやつ使ってよ? 元々センセが全部買ってきてくれたやつなんだしさ」

「嫌だ」

「そんな真顔で幼稚園児みたいな答えすんなし。マジで」

(これがあたしの恩師よ? まったく……)

 周りに自慢できるくらい立派な人なのに、頼り甲斐がある人なのに、こうしたところだけ意固地になって子どもっぽくなる空なのだ。

 狙っているわけではないだろうが、調子を崩される。


「あっ、そうそう! 実はななせさんに見せたいものがあって!」

「ん? 見せたいもの?」

「えっとね…………はい! ジャジャーン!」

「っ!!」

 唐突に大声を上げた空は、冷蔵庫の横に手を入れてフックから外すような動きをした後、両手で広げながら見せてくるのだ。

 ななせの記憶に刻まれている物でもあり、見覚えもある物を——。


「今も使わせてもらってるからね。このエプロン」

 ニコニコと嬉しそうに教えてくれる空に、目を逸らすしかなかった。

 体が熱くなるほどの恥ずかしさと、愉悦に襲われていたのだ。


「……ね、ねえ。めちゃくちゃくたびれてんじゃんそれ。もう新しいの買いなよ……」

 エプロンの交換頻度は約1年。そして、あのエプロンは高価なものでもないのだ。

 それなのにまだ使える状態だということは、それだけ大切に扱ってくれている証拠。


「俺にはこれがいいんだよ。プレゼントされたものだから」

「……本当に頑固だよね、センセって」

「まあね?」

「まあね、じゃないし。……はあ。次に会った時、またプレゼントしてあげるから。さすがにもう見窄みすぼらしいって」

「いいの!? って、まだ大丈夫でしょ?」

 なんて首を傾げながら、くたびれたエプロンを当たり前に着る空。

(マジで頭おかしいでしょ、このバカ……。これ以上嬉しくさせるようなことすんなし……)

 再会することができて、自宅に招いてもらって、料理を作ってもらって。

 これだけで心がいっぱいなのだ。


「あのさ、センセ。せっかくだから写真撮ってあげよっか? どんだけ見窄みすぼらしいかわかるから」

「せっかくだからお願いしよっかな」

「ん」

 ななせはポケットからスマホを取り出し、カメラアプリを起動。ピントを合わせて写真を撮り、駆け寄って見せる。


「ほら。肩紐も変な風になってるし、洗濯めっちゃしてるだろうから、全体的に縮んでるし」

「あははっ、本当だ。エプロンこんなに縮んでたんだなぁ……」

「ざっくりだけど、2年から3年くらい使ってない?」

「うん。そのくらいかな」

「マジで呆れた。料理するのに使うのに汚いじゃんそれ」

「ちゃんと洗濯はしてるからね!? 見た目だけだから!」

「まあ、そうなんだろうけど」

 見窄らしく、くたびれたエプロンを着ての弁明に説得力はない。

 誰がどう見てもダサすぎる格好だが、ななせにとっては違かった。

 キッチンから離れ、背中を向けたまま空に問いかけるのだ。


「それでさ? なにかあたしに手伝えることってないの? センセが料理してる間、一人のんびりするのは申し訳ないし」

「本当に立派になって。昔のななせさんはのんびりしてたのになぁ」

「う、うっさいな……。昔は昔だって」

(昔のことは反省してるから、こう言えるようになったんだっての……)

 今はもう甘えさせるようなことを言われても、素直に従わないのだ。


「で、話を戻すけど……あたしに手伝えることないの? できれば料理以外で」

 ななせとて、多少なりに料理ができるようになったが……それは今回のみ内緒なのだ。

 自分が料理を手伝ってしまえば、『空が一人で作ったオムライス』を食べられなくなってしまうことで。


「料理以外でとなるとそうだなぁ……。お皿洗いとかも済んでるし……」

「あれは?」

 と、閉まったカーテンを指さす。

「洗濯物、干してるでしょ? 外に」

 ななせは見たのだ。オープンキッチンを見ていた際、空が外に干した洗濯物を隠すようにカーテンを閉めたところを。


「ほ、干してるけど……それは大丈夫! ほ、ほら……下着も干してるし、教え子さんにそんなものを畳ませるわけにはいかないから、ね?」

「でも、畳んでたら楽になるでしょ?」

「楽には……なるけど……」

「じゃあ任せてって。その代わりセンセは早く料理作ってよ。楽しみにしてるんだから」

「う、うん。なら下着だけは取らなくていいからね」

「はーい」

(にひ……遠慮なく取ってやろ。面白そうだし、からかえそうだし)

 空が手を洗い、料理の準備を始めたところ確認したななせは、ベランダに出て洗濯物を取り込み、カーペットの上で畳み始める。


 その2分後。行動に移すのだ。


「うわ……センセのパンツでっか! あたしの顔よりでかいじゃん!」

 エプロンを見せつけられた時のように、バーンと伸ばして見せつける。


「……え? って、ちょちょちょ!? なんで取り込んでるの!? こら、そこニヤってしない!」

「センセ。手元見ないと怪我するよ?」

「も、もー! 下着は取らないでって言ったのに……」

 料理中であるために足止めを食らっている空。恥ずかしそうに顔を赤くしている恩師に、してやったりのななせだった。

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