第19話 空の自宅③

 それから少し時が経ち——。


「えっ、うっま! センセめっちゃ料理上手になってるじゃん!」

「本当!? そう言ってもらえると嬉しいなぁ」

「オムライスまで綺麗に包めるようになっちゃって……。なんかそこは可愛げがないけど」

「当時はボロボロに破れたやつを出してたっけ?」

「そだね。そして『慣れないことすんな』って毎回あたしに怒られてた」

「はははっ、それでも食べてくれたんだよね。ななせさんは」

 食卓にオムライスとスープ、サラダを並べた後。

 空とななせは夕食を取りながら、当時を懐かしむようなやり取りを続けていた。


「……てか、センセよく耐えてくれたね。あたしに勝手に押しかけられて、料理作らされて、怒られて。当時のことを思い出せば思い出すだけ恥ずかしくなってくるよ……」

何分なにぶん、嫌味が込められてなかったからね。あの時間も楽しかったし」

「それなら……いいんだけどさ?」

 少し意外な答えだったのか、どこか恥ずかしそうに視線を左右に動かした彼女は上手に話題を変えるのだ。


「今はもう大抵の料理作れるようになったの? センセは」

「味は保証できないけど、ある程度の家庭料理なら作れるようになったよ」

「ふーん。『味』のとこは聞かなかったことにするとして……センセは節約するような行動もしてるでしょ? マジもんの優良物件じゃん」

「初めてそんなこと言われたよ?」

「ふーん。じゃああたしがもらってあげるよ」

「そんな冗談は言わないの」

「は? うっざ! って言いたいけど、料理美味しいから言わないであげる」

「はは、それはどうも」

 完全に言っているも軽く流す。

 本当に懐かしさを感じるやり取りに、空は笑みが溢れる。口角が緩み切ったままで、なかなか直らない状態だった。


「あ、そうそう。今さらで申し訳ないんだけど……ななせさんは大学順調に通えてる? 『お仕事もしてる』って言ってたから大変じゃない?」

「正直まだ余裕はあるけど、最近は少しずつ忙しくなってるかな」

「そっか……。体は資本だから、無理だけはしないようにね」

「センセに言われても頷けないんだけど。当時はクマとか作ってたし」

「そ、それを言われたらなにも言い返せないなぁ……あはは……」

 クマを作っていた時期は大学のテスト期間。

 自身の勉強を煮詰めながら家庭教師をしていた分、どうしても睡眠時間が削られてしまっていたのだ。


「って、あたしからもセンセに一つ質問」

「ん?」

「あたし、全国のガールズオーディションでグランプリ取ったんだけど、ちゃんと認知してる? あとYuntubeユンチューブで活動もしてるんだけど」

「…………え?」

 なぜか朧げな記憶として残っている『ガールズオーディション』の名前。

 そして、誰もが知っている動画共有のプラットフォーム。


「その反応って……うっわ! マジで酷いじゃん。グランプリ後のインタビューはテレビにも映ったのにさ!」

「ッ!! ご、ごめん! 本当にごめん!」

『テレビにも映った』の言葉によって、ハッとする。

 いつの日か覚えていないが、『ななせ』の名前がテレビから聞こえてきたことを。


「謝るくらいなら褒めろ」

「いや、本当に凄いよ! マジで本当に! オムライスのおかわり作ろっか!?」

「ちょ、そんな食べらんないって。あとテンション上がりすぎ。その反応は嬉しいけど、隣から壁ドンされるって」

「……き、気をつけます」

 教え子からジト目で注意され、またしてもハッとする空はクールダウンさせる。

 このやり取りを切り取ってクイズを出したのなら、全員が全員家主を間違えることだろう。


「えっと……それじゃあななせさんは今、芸能関係のお仕事をしてるんだ?」

「うん。今はモデル撮影が多いけど、順調にいけば女優になれるかも。マネージャーもそのように動いてくれててさ」

「本当の本当に凄いなぁ……。って、ん? そんなお仕事をしてるのに、周りから誤解されるような行動取ったらダメでしょ!?」

 空は思い出す。ななせと再会したあのスーパーで、ムギュッと腕にしがみつかれたことを。強くしがみついて離さなかったことを。

 周りは間違いなくカップルとして誤解していたはずだ。


「ま、まあ……恋愛OKな事務所を選んだからNGってわけじゃないけど、気をつけないといけないのは間違いないよね。お仕事の幅が狭まるかもだし」

 理解した上での行動ならば、レッドカードである。

『ジロリ』と彼女に視線を向ける空は、責めるように目を細めた。


「そ、そんな目で見なくてもいいじゃん……。あの時はついテンションが上がっちゃって、歯止めが効かなくなったっていうか……」

「まったくもう。グランプリを取るって本当に凄いことなんだから、軽はずみな行動はしないの」

 ガールズオーディションに詳しい空ではないが、全国の規模でグランプリを取り、テレビでインタビューが流れたのだ。

 その凄さが十分伝わっているからこそ、『チャンスを無駄にしない』と注意をするのだ。


「普段は気をつけてるって!」

「本当?」

「命賭けていいくらいだし。ただ……さ? あの時はセンセを逃したくなかったんだよね……マジで」

「……」

「そこで黙られると困るんだけど?」

「ご、ごめん。そう言われると思ってなくて……」

「うわ、ガチで照れてんじゃん……」

「な、ななせさんもでしょ?」

「う、うっさい」

 この時、お互いに目が合っていた。

 両者、頬がうっすらと赤みを帯びていた。


「あのさ、もう話題変えよ? 変な空気になったら……なにするかわかんないから、あたし」

「え、えっとその……」

 妙に色っぽいと言えばいいのか、気持ちがこもったような声を聞く空は、慌てるように話題を変えるのだ。


「そ、それじゃあ……Yuntubeユンチューブで活動してるって本当!?」

「ま、まあね。センセが言ってくれたじゃん? 『周りの意見は気にせず行動しろ。志の高い者に神様は味方するから』って」

「え゛? そ、そそそんなこと言ってたっけ?」

「言ってたって。言われてなかったら、あたしここまで頑張れてないし」

 またしても大学時代にハマり、得意げに言っていただろう名言集が飛び出してくる。

 黒歴史と言ってもいい恥ずかしい過去が蘇ってくる。


「だからさ? そう言われて夢を叶えるためになにをするべきか考えたら、認知してもらうこと、カメラ慣れするこが大事だって思って。そんでYuntubeを使ってメイク紹介したり、ジムの様子とか撮ったり、ゲームの配信とかしてみたり」

「へ、へえ……」

「Yuntubeで『水瀬みなせななせ』って調べたら一番上に出てくるよ」

「み、水瀬みなせ……?」

 空が引っかかったのは、ひらがなの『な』が多いことよりも、この苗字だった。

 彼女の苗字は『桜井』である。全く被っていないどころか、その苗字は——。


「——あ、水瀬には特に意味ないから! たまたまセンセと同じ苗字だけど、これは……そう、お母さんが考えてくれたっていうか? ほら、ネットでフルネーム出すのは危ないじゃん?」

「あはは、なるほど。それはとっても大事なことだね」

「うん、大事大事」

「ちなみに今チャンネル調べても大丈夫?」

「いいよ。……マジちょろバカ」

 了承後、ボソリ、、、


「え?」

「どしたの? 空耳じゃない?」

「あ、ああ。そっか」

 このように疑うことすらせずに、簡単に納得してしまうのが『ちょろバカ』なんて言われてしまう所以ゆえんだろう。


 真正面から悪口を言われたことに気づかない空は、床に置いていたスマホを取り、『水瀬ななせ』を調べ始め……目に入れるのだ。

 チャンネル登録者30万人の文字を。

「……」

 一度目を擦り、改めて確認しても数字は変わらない。


「……ち、ちょっと待って。こんなに登録者さんいるの!?」

「どやぁってね。センセの教え子は凄いっしょ? グランプリ取ってから2倍くらい増えてさ」

 ピクピクと器用に片眉を動かして、可愛らしく威張るななせ。


「そんでセンセよりもたくましくなって、そのバカに威張いばり散らすのがあたしの夢なんだよね」

「ええ……? 正直、そのバカよりも逞しくなってるような……」

「ううん。さすがはあたしにうっざい説教したことがあるだけあって、まだまだ敵わないね」

『そのバカ』が誰を指しているのが、空本人は理解している。

 理解した上での確認だったが、ななせは綺麗な髪を揺らすように首を振り、本心だというように苦笑いを浮かべた。


「あ、センセに一つ注意とお願い」

「注意とお願い?」

「うん。そのYuntubeのあたし、めちゃくちゃ猫被ってるから、動画見る時は一人の時に見てくれる? 『今日はなになにをしたいと思いますっ!』とか、『うぅ、もっと頑張らないと!』とか笑えるくらい清楚ぶってるから」

「はははっ、了解」

 彼女らしさが爆発するような言い分と実演。そこから素の口調に戻したななせに大笑いの空である。


「ちなみに、この猫被るスキルを身につけたおかげでグランプリ取れたんだよね〜」

「えっ? そんなことはないでしょ?」

「えらく即答じゃん。どしてそう思うわけ?」

「だって、グランプリ大賞って言うのは、そう簡単に取れることじゃないから。なにが言いたいかって言うと、猫を被るだけで取れるものじゃないし、それ以上の努力が積み重なった結果だよ。絶対に」

「……」

 そう信じているだけに、言葉に力がこもる。

 それをじっと聞く彼女は、落ち着きなく視線を逸らすのだ。


「それに、自分は素のななせさんが一番魅力的だと思ってるから、猫を被らなくてもグランプリを取れてたと思うよ」

「『そう簡単に取れることじゃない』とか言っておいて、そんなことは簡単に言うんだから」

「理論値的には合ってるでしょ?」

「……あのさ、いきなりセンセのスイッチ入れないでよ。今、相談室にいるような感覚なんだけど」

「あはは、それはごめんね」

「う、嬉しいこと言われたから許すけど……さ」

 少し言葉に詰まって少しずつ顔を赤らめていくななせだが、次の瞬間に声色が変わった。


「ただ、センセのドM発言には引いたケド。素のあたしって乱暴だし……パンツだって漁るし? そんなのが魅力的とかどんな物好きだっての」

「……」

「は? な、なにその優しい目。うざいんだけど」

「わざと誤解したように言ってるでしょ?」

「っ! センセ、次ふざけたこと言ったらスネ蹴るから。マジで」

「ふふ、それは気をつけないと」

 パクリとオムライスを口に入れ、『ふんっ!』そっぽ向き、もぐもぐと口を動かすその姿は、照れ隠しにはピッタリだった。


「……」

 加えて彼女が顔を背けた際、真っ赤になった耳を視界に入れた空もまた、オムライスを口にするのだった。



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