第2話 異動日
「ま、まさか自分が異動になるとはなぁ……。ようやくその実感が湧いたっていうか」
生徒はまだ春休み期間中の4月1日。夕暮れの時間である。
異動先の高校で初仕事を終えた教員歴2年目——24歳の
「3年目の異動が一般的って聞いてたけど、まさか2年目でとは……」
前に勤めていた高校で12月に渡された異動の希望調査には『残留』と記したが、受け入れられてはいなかった。
それを知らされたのは新年を過ぎた3月である。
「こればかりは仕方がないけど……やっぱり教え子が卒業するまで見送りたかったなぁ」
希望調査はあくまで
こればかりは言葉通り仕方がないこと。そして、教員になったならば避けられない道でもある。
しかし、初めての異動は悪いことばかりではなかった。
引っ越しをするような距離にはならず、むしろ職場が少し近くなったこと。
新しい教員と仲良くなれたこと。
以前の職場と同じように過ごしやすく、不自由なく仕事ができると感じ取れたこと。
そして、一番嬉しかったのは——大学時代、家庭教師のバイトをしていた時の教え子が受験合格した高校に勤めることになったこと。
その教え子の名は——野坂紗枝。
時期的に高校三年生になったばかりだろうか。
ふわふわボブの銀の髪。ジト目というのか、半ば閉じたような黄色の瞳。小柄で大人しい性格の女の子。
当時、中学3年生だった彼女の卒業式に参加して以降、会っていない。
つまり、2年以上顔を合わせていない教え子になる。
高校に進学してどれだけ立派に成長したのか、その姿を見られるのはなによりも喜ばしいこと。
「不安要素としては新しい生徒と仲良くなれるか……だなぁ」
生徒の春休み終了は一週間後。そこで正式な顔合わせをすることになる。
空が任されたクラスは3年A組。産休で職場を離れることになった先生の代わりになって担任をすることになった。
「受験生だから、ある程度落ち着いている子ばかりだとは思うけど……」
ある程度の予想を立てる空は、ふっと笑みを溢す。
この時に思い出すのは、大学時代、家庭教師のバイトをしていた時の教え子を思い出して、だった。
不登校になり、塞ぎ込みだった子。
愛想悪く、攻撃的で不良だった子。
勉強が嫌で何度も逃げ出していた子。
当時はそんな相手に、手のかかった子に勉強を教えていた空なのだ。
家庭教師のバイトをしていた時は苦労の連続だったが、その経験は今、大きな自信に繋がっている。
「みんな、元気にしてるといいな……」
教師になって2年。教え子には誰一人として会っていない。派遣会社の規約があったため、連絡先も持っていない。
関係は断ち切られているも、こればかりは忘れることができない記憶。
昔を懐かしみながら、空はソファーから立ち上がった。
「さてと、早いうちにご飯作っちゃおうかな……」
明日も仕事が入っている。
また、新しい環境で仕事を行なったことで、普段以上に疲れている。
体調を崩さないためにも、のんびり過ごすよりは睡眠時間に使おうと考えていた。
いつものようにテレビをつけ、エプロンを着た後、キッチンに移動する。
料理が得意というわけではない空だが、ある程度の家庭料理ならレシピを見ることなく作ることができる。
これも大学時代、節約するために自炊に取り組んだおかげだった。
「……今日と明日はカレーにしようかな。いや、シチューも食べたいような……。んー、でもやっぱりカレーでいっか」
冷蔵庫を見て悩みながらも作る料理を決めた空は、手を洗い、早速野菜と肉を切っていく。
手元をしっかり見ながら、指を切らないように。
そうして具材を切っていた時、テレビのニュースが耳に入ってくる。
『次のニュースです。次世代のトップモデル・トップアーティストを発掘すべく開催された全国ガールズオーディションにて、大学2年生、20歳の桜井ななせさんがグランプリを獲得しました』
キャスターの声に耳を傾けながら、視線は手元に。
トントントントン、とリズムよく一口サイズに切っていく。
『芸能事務所4社から1位指名を受けるというのは異例のことで、今後の活躍が大いに期待されます。それでは、桜井ななせさんのインタビューに移ります』
テレビの画面がインタビュー画面に切り替わる
そんな矢先、空は切った具材を厚手の鍋に入れていく。
『桜井ななせさん、グランプリ本当におめでとうございます!』
『ありがとうございますっ』
『やはり、オーディションは緊張しましたか?』
『はい。とても緊張したのですが、臆せずに頑張ることができました』
「綺麗な声してるなぁ……」
ボソリと呟いて再び手元に視線を。猫の手を作って再度具材を切っていく。
『ドラフト会議で4社から指名された時、どのようなお気持ちでしたか?』
『それはもう驚きました。食事に気を遣ったり、トレーニングをしたりと大変でしたが、これまでの努力が実ってとても嬉しく思っています』
『ずばり、今のお気持ちは?』
『両親や応援してくれた方々に感謝を伝えたいです。みんな見てますかー?』
「ふっ」
テレビから流れる嬉しそうな声。微笑ましく思いながら順調にカレー作りの工程を進めていく。
そのインタビューは何分流れただろうか。
『最後になりますが、このようなおめでたい日ですので、自宅に帰ったら何をしたいですか?』
『まずは家族とご飯を食べにいきたいです。そして……一番勇気を与えてくれた方と疎遠になってしまっているので、どうにかしてお礼を届けたいです』
『それはお礼を伝えられるといいですね!』
『はいっ』
『それでは、インタビューありがとうございました』
そして、画面は切り替わったと同時のタイミングで——。
「……ん?」
鍋に火をつけた空は、キッチンから乗り出すようにしてテレビに視線を向けるも、次のニュースに移り変わっている。
「もう終わってるか……。さっきななせさんって言ってたような……」
確認のために少しの間、見続けるも先ほどのニュースに触れられることはない。
「気のせいっぽい? まあ、テレビに出るようなことってなかなかないもんなぁ」
乗り出しをやめて、一人でに納得。木ベラで野菜や肉を炒めていく。
「ふんふんふ〜ん」
それからはもう、大好きなカレーをノリノリで作っていく空だった。
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