第9話 想いをはせる者
腰まで伸びた綺麗な黒髪に、桜色のメッシュが入った横髪。キリッとした紫の瞳。
遠目からでもスタイルの良さが目立つそんな彼女は——。
「あ、お母さん。そろそろスーパー入るから声小さくするね。周りに迷惑かけるわけにもいかないし」
常識のある言葉を電話越しに伝えていた。
『は〜い。って、あなたがそれ言うのねえ〜。空さんにたくさんの迷惑をかけたナナちゃんが』
「そ、それはホント反省してるって……。今はもうヤンチャしてないし、丸くなったじゃん……」
母親からナナちゃんと呼ばれる——桜井ななせは、恥ずかしさを隠すように帽子を被り直し、重ねられた買い物カゴを手に持った。
そして、綺麗な黒髪を揺らしながら店内を歩いていく。
「それでさ、卵だけでいいんだよね? 買ってくるの」
『チーズもね』
「あ、そうだったそうだった」
『やっぱり電話をかけてよかったわぁ。相変わらず忘れっぽいんだから』
「お母さんには言われたくないんだけど。卵とチーズを買い忘れたお母さんには」
母親と親しげにやり取りをする彼女は、買い物カゴに卵を入れて、チーズ類が並ぶ商品棚に向かっていく。
「そもそも忘れっぽい性格なの、お母さんの遺伝だからね、絶対」
『そんなことはないわよ〜。あっ、一つ言い忘れてた。余ったお金はあなたの好きなものを買っていいからね』
卵とチーズの買い物に5000円を渡された彼女である。
ざっくり計算しても4000円以上のお金を自由に使うことができるわけだが、首を横に振った。
「それは大丈夫だって。卵もチーズもあたしのお金で買うから。お母さんのお金は、
『それじゃあ、私がナナちゃんにお金を渡した意味がないでしょう?』
「だって受け取らないと玄関を通せんぼするじゃん。お母さん」
『ええ〜?』
「『ええ〜』じゃないでしょ。事実だって」
間延びした声にズバリと切り込むななせだが、その表情は優しいものだった。
「それに、あたしの心配はしなくていいよ? 広告収入もあるし、あれからアンバサダーの契約もできたから、お金に余裕あるんだから」
『それでも娘にはお金を出させたくないものなの。結婚して子どもが産まれたらわかるようになるわ』
「ふーん。じゃあとりあえずあたしが払っちゃお」
『も〜。可愛げがなくなっちゃって』
「はいはい。そんな娘でごめんなさいね」
親にとっては残念に思うこともあるだろうが、これが一つの自立。
こうした会話からそれを実感するななせは、どこか嬉しそうに微笑むが——その途端、八つ当たりと言わんばかりに反撃を受けることになる。
『別に大丈夫だけどね〜。ナナちゃんには他にも可愛いところあるんだから』
「なっ、なにそれ」
『例えば、とんでもないことになっちゃったナナちゃん乙女心……とか』
「いや……あたしは普通だし」
冷静を装うななせだが、それは声色と口調だけ。電話越しでしか誤魔化せないだろう。
その証拠に、スーパーにいる彼女はソワソワするように帽子を深く被り、図星を突かれたように頬を朱色に染めていた。
『普通じゃないでしょう? オーディションでグランプリを取ってから、耳にタコができるくらい空さんのことを『バカ』だの『テレビ見ろ』だの言って〜』
「べ、別にそれと
『裏を返せば、早く顔を合わせたいのに、合わせられないからモヤモヤ〜ってなっちゃうんでしょう?』
「そ、そんなことないし……」
弱すぎる反論であるが、仕方がない。
さすがは母親だけあってか、反論を封じるほど、的を射ていることなのだから。
『ほかには〜』
「も、もういいって……」
『最近買ったブレスレット、それローズクォーツでしょう? 恋愛成就に絶大なパワーを発揮する〜みたいなラブストーンじゃないの』
「っ」
『前までは『そんなの意味ないのに』なんて言っ——』
——ポチ。
「……」
耳元からスマホを離し、彼女は終了ボタンをタップした。
強引すぎる強制終了である。
「な、なんでお母さん
先ほどの会話を思い出し、みるみる内に体が火照ってくる。
ななせは母親に自慢もしていたのだ。
『オーディションで受賞した記念に、このブレスレット買っちゃった。これ可愛いでしょ?』と。
その際、『可愛いね〜』と同情する母親の表情が『恋愛成就のためね〜』なんて含みであったことを今気づいたのだ。
「
ボソリと呟き、再び帽子を深く被り直す。
そして、赤くなった顔を見られないようにチーズ類が並ぶ商品棚に移動したななせは、ふと思っていた。
「あのバカもチーズ好きだったっけ……」
ボソリと呟きながら彼女が思い出すのは、昔のこと……。
ななせが住む自宅で、差し入れのチーズケーキを美味しそうに頬張る空の姿である。
「はあ。いつになるんだか。あのバカの顔見られるの……。あんまりこれも期待できないみたいだし……」
目を細めて目的のチーズをカゴに入れたななせは、左手につけたローズクォーツのブレスレットを流し見る。
「まあ、約束を破るようなヤツじゃないんだけどさ……」
その不満を漏らしたことを最後に、好物のお菓子を求めて再び移動を始める彼女だった。
∮ ∮ ∮ ∮
その数分後のこと。
「ふふ、そう言えば、ななせさんはいつもあんな感じだったっけ……」
お菓子コーナーにて、親の隣でお菓子を真剣に選んでいる子どもを見る空は、優しい声で呟いていた。
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