第27話 家庭訪問前日

 それから時は過ぎ——家庭訪問の前日になる。


「ママ、明日は14時から空くんの家庭訪問だよ。空くんの家庭訪問だからね」

「ええ。忘れていないから安心してちょうだい」

 今日も今日とてカレンダーにチェックを入れた紗枝は、ぴょんぴょんと跳ねながらご機嫌に母親に報告していた。


「すごく楽しみ」

「もちろん私も楽しみにしてるわ」

 明日のカレンダーの欄には『家庭訪問!!』の丸っこい字が書かれている。

 この文字を記したのは当然紗枝であり、それだけ家庭訪問の日を待ち侘びていた証拠でもある。


「早く明日にならないかな……」

「ふふっ。今からその調子だと眠れなくなっちゃうわよ?」

「その時はお仕事するから大丈夫。締め切りも近づいてきてるから」

 学生であるも、空いた時間を有効活用しようとする立派な紗枝だが——。


「——あら? 紗枝は空先生にクマを作った顔を見せるつもりなの? せっかく水入らずでお話できる機会なのに」

「や、やっぱり頑張って寝るようにする」

「そうそう」

『彼』が出てきた瞬間に撤回する。

 彼への優先順位の高さはこれだけでも十分伝わるだろう。


「しっかり睡眠を取って、可愛い顔で出迎えた方が絶対いいに決まってるわ。体調を崩す可能性だってあるんだから」

「ん」

 揺るぎない意志を瞳に宿しながら、力強く頷く。

 母親は娘の扱いを当然心得ているのだ。というのも、『彼』を引き合いに出せばなんでも素直になることを理解しているわけである。


「ね、ママ。明日は相談が終わったあと、空くんとたくさん遊んでいいんだよね」

「ええ。空先生がお時間を作ってくださっていることだし、断るようなことはしないわよ」

「ありがとう」

 全てが順調に進んでいる。明日は昔と同じように独り占めができる。

 満足するようにぽわぽわした雰囲気を滲ませる紗枝だったが、すぐに声色を変えて目を細めるのだ。


「空くんと遊んでる時、お部屋覗いたら怒るからね」

「そんなことしないわよ……。夕食だって作らないといけないんだから」

 と、ジト目で反論する母親は言葉を続ける。


「ただ、先生に迷惑をかけるようなことはしちゃダメよ。紗枝のことだから甘えるつもりでしょうし」

「空くんは『迷惑じゃない』っていうから大丈夫」

「それは先生の優しさに漬け込んでいるだけじゃないの」

「違う」

「違くなんかありません。まったく、そんなところは変わってないんだから。そんな子どもっぽい、、、、、、ところは」

「空くんに言ったら怒るから」

「はいはい」

 仮に紗枝が怒っても怖いところはなにもないが、その怒気をイラスト仕事にぶつけ、部屋から出てこなくなってしまうのだ。

 怒気を仕事のエネルギーに変えるところはプロらしいところだが、顔を見られなくなるというのは親として心配なこと。


「あ、ママに一つ質問」

「なあに?」

「空くんにわたしのグッズプレゼントしたら喜んでくれると思う?」

「『わたしのグッズ』って言うのは、紗枝が関わったお仕事の?」

「うん。タペストリーとかフィギュアとか、画集とか」

 正確なことを言えば、『二次元の』もしくは『美少女の』がつく。


先生のことだから、、、、、、、、喜んでくれるのは間違いないわよ。紗枝の夢を応援してくれた人なんだから」

「置き場所に困ったりしないかな。そこが心配」

「上手にやり繰りしてもらえるわよ。先生のことだから、、、、、、、、

「それもそうだね」

 紗枝も紗枝だが、母親も母親。空に全面的な信頼を置いているのだ……が、こうなっているのは不思議なことではない。

 娘の恩人と言っても遜色のない相手なのだから。塞ぎ込んでいた娘を救い出してくれた相手なのだから。


 そして、紗枝はSNSで40万人以上のフォロワーを抱える超有名なイラストレーターでもある。

 喉から手が出るほどサイン付きのグッズが欲しいファンはたくさんいるはずだ。


「じゃあ、空くんにプレゼントするのサインしてくる」

「はーい。いってらっしゃい」

「ん」

 素足でパタパタ走っていく紗枝は、すぐに自室に戻っていき——そのすぐである。


「あれ、紗枝ちゃんは? さっきまで声が聞こえてたような」

 濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに入ってくるのは、風呂上がりの父親である。


「ちょうど入れ違いになったのよ。今は空先生にプレゼントするグッズのサインをお部屋でしているところね」

「なるほどね。って、明日は家庭訪問だったっけ」

「ええ。夕食も共にしてもらおうかと思ってこんなに買っちゃったわ。ほら、冷蔵庫がパンパン」

「う、うわ。本当にパンパンじゃん」

「でしょう」

「な、なんか夫の僕より優先されているような……」

「もう……。いい年して嫉妬しないの。あなたの分は出張後に用意してあげるから」

「あはは、よろしく頼むよ」

 再婚した家庭だが、この会話の通り心配がないほど仲は良好である。


「それはそうと、紗枝ちゃんは今日眠れるかなぁ。毎日のように話してる空さんが訪問されるわけでしょ?」

「ふふ、それはさっきお話したわ。クマを作らないように頑張って寝るそうよ」

「ははっ、空先生のことになると相変わらずだねー」

 少し頑固なところがある紗枝がこれなのだ。


「僕が明日の家庭訪問に参加できたら、『うちに紗枝なんかどうですか』って冗談半分にでもお願いするんだけどなぁ」

「生活習慣もバラバラな子だし、先生のようなしっかりした方とお付き合いしてほしいものよね」

「実際、可能性ってあったりするの? なんかこの前……空さんが美人な子とドライブしてたって紗枝ちゃん机パンパンしてたでしょ?」

「んー。可能性がないとは言えないと思うけど」

 なかなかに際どい質問に眉を寄せる母。


「先生はすごく真面目な方だから、生徒を異性としてみないように努めていると思うのよねぇ」

「つまり紗枝ちゃんが卒業するまでは厳しいと」

「あくまで予想だけどね」

「そっかあ。ちょっとくらいハメを外してくれてもいいのになぁ。紗枝ちゃんにだけは」

「ふふ、私たちがそれを望むのは間違っているわよ」

「ははは。確かにそうか」

 新しい父親ではあるが、空がどのようなことを行ってきたのかは母親と紗枝から聞かされている。

 特に紗枝が常日頃から空の話題を口にしているからこそ、ここまで大らかになれているわけでもある。


 こんな会話をしながら笑い合い、リビングで過ごすこと10分。

 トコトコとした足音が廊下から聞こえ、リビングに紗枝が顔を出す。


「サイン書き終わった。20個」

「えっ、空先生に20個もプレゼントするの……?」

「うん。まだ足りない?」

 こんなことを思うのは、仕事を頑張った証拠を空に見せたい証拠。たくさん褒めて欲しいと願っているからこそだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る