第20話 空の自宅④
「ちょっ、ここ食洗機まで完備されてんの!? あたしセンセと一緒にお皿洗いするつもりだったんだけど!」
「あはは、気持ちだけ受け取っておくよ。本当にありがとね」
「ん゛―」
そんなに皿洗いがしたかったのか、ななせは口をムッとしたまま食洗機をめちゃくちゃ睨んでいた。
が、相手はただの機械である。
すぐに睨みを解いた彼女は、ため息を吐くように口を開いた。
「最近のマンション進化しすぎでしょ……」
「内見した時は自分もビックリしたよ。こんなに設備が整ってるんだって。そのおかげで本当に楽をさせてもらってるよ」
なんて会話をしながら、慣れた手つきで食洗機に食器類を入れていく空は、スイッチをオンにして洗い物の工程を終わらせる。
「まあ楽できるとこは楽するのが一番だよね。基本的にお仕事が終わって家事しなきゃだし」
「うん。それは間違いないと思う」
「あたしも一人暮らしする時はこんなマンションを選ぼーっと」
「ななせさんの場合、セキュリティーの高い物件を選ばないとダメだよ? お金がかかっても安全には変えられないから」
「ふーん。心配してくれてんだ?」
「心配しないわけがありません」
過去、大変な思いをさせられた教え子だが、大切な教え子に違いないのだ。
真剣な表情で即答すれば——。
「にひ」
と、白い歯を見せてニンマリしてくる。
「にひ、って笑ってる場合じゃないって……。これからもっと知名度もついてくるんだから」
「だって、心配されるの嬉しいじゃん」
「……」
「あ、だからってわざと心配かけさせるようなことはしないから、そのジト目やめよ? 目潰ししたくなるし」
言い終わった途端に右手をピースのような形を作る彼女は、綺麗なネイルを施した指をこちらに向けて前後に動かし始めた。
それはまるで目潰しのシミュレーションをしているようで……殺意の高さが窺える。
「ま、まあふざけるのはこの辺にして……真面目な話をさせてもらうと、危機感は十分持ってるから、あたしは」
「本当かなぁ?」
「本当だって! 出歩く時は毎回帽子を被って顔隠してるし、髪型だって変えたりするし。その証拠に…………ほら!」
早足でソファーに近づいた彼女は、そこに置いていた帽子を掲げ、さらには肩掛けのバッグの中から髪留めと髪ゴムを取り出して見せてきた。
少し慌てた様子だったが、これは嘘で誤魔化そうとしたわけではなく、すぐに見せようとしただけだろう。
「これで信じてくれるでしょ?」
「うん、信じるよ。ちゃんと対策しているようで安心した」
「……心配してくれるのは嬉しいけど、心配かけさせたくないしね。センセにも、お母さんにも」
「昔は『どうでもいいし。そんなの』だったっけ?」
「う、うっさい。早く忘れろって……その記憶。マジで……。一番効くんだってそれが」
「あはは」
「笑いごとじゃないし」
強気な口調のまま最後に素直さを見せた彼女。
空は理解している。これが『もうからかうの禁止!』のサインであることを。
この一線を超えた場合、なにかしらの攻撃が飛んでくるわけである。
「……センセ。あんまり有頂天になってると、女の買い物に付き合わせてやるかんね。せっかくの休日に無理やり押しかけて、無理やり連れ出して。後悔させてやるから」
「あっ!! それなら今度一緒に帽子を見にいこうよ!」
「は?」
食い気味の申し出に呆気に取られたような声を出すななせ。その一方、空はウキウキした様子で説明するのだ。
「だって、ななせさん自分に新しいエプロンをプレゼントしてくれるんでしょ? だからそのお返しに。帽子ってななせさんの身バレ対策になるから、これからも必要になるアイテムだろうし。ね?」
「センセって、マジで意味わかんないとこ鋭いよね。……遠回しに攻めた意味なくなったじゃん……」
「え?」
「な、なんでもない。じゃあ今度一緒いこ」
「ありがとう」
「それはあたしのセリフだって」
「ええ?」
「『ええ?』でもないって」
夕食を食べ終えてまったりと過ごす今。
空とななせは笑い合っていた。
「じゃあさ、センセ。スケジュールのやり取りとか円滑にするために連絡先交換しよ? さっき撮った写真も送らないとだし」
「了解! って、こんな仲なのに連絡先交換してなかったね!?」
嬉しそうに声のトーンを上げた空は、キッチン前から走ってテーブルの前に向かい、スマホを手に取る。
「それはセンセが真面目すぎたからじゃん。家庭教師の会社には絶対バレないのに、規約を守ってさ。あれマジでうざかったからね?」
「は、はは。自分だって連絡先を交換したかったんだけど、ルールを破ることはできなくて……。本当にごめんね」
「ま、まあセンセが謝ることはなにもないんだけどさ……? あたしがわがまま言ってるだけだったし、センセがそんな人だったから信用できて家に上がり込めてたわけだし」
「そう言ってもらえるとありがたいよ」
彼女がこんなにも割り切れることができているのは、立派に成長したからという理由のほかに、すぐにでも連絡先を交換したいという行動を、ついさっき目に入れたから。
『自分だって連絡先を交換したかった』の発言が本心だとわかるには十分の動きだったのだ。
「はい。これあたしがLAINね。URLいっちゃって」
「ありがとう。追加完了したよ」
「ん! あたしも確認完了。いや、マジで
「ふふ、そうだね」
スマホを見ながら笑顔を浮かべる空は、すぐにお気に入りのボタンを押していた。
その一方で『お気に入りはいつでもできる』と考えるななせは、先にスマホを切って彼の嬉しそうな表情をこっそりと観察していたのだった。
「……ねえ、センセ。このタイミングでめちゃくちゃ図々しいこと聞いちゃうんだけど、今日は何時までここにいてよかったりする?」
「あぁ、そうだね。日を跨ぐまでにはお家に帰さないとだから、遅くても23時かな」
「そんなにいていいの?」
「明日が平日なら話は変わってくるけど、そうじゃないからね」
「そっか! じゃあお言葉に甘えて、時間ギリギリまでセンセといていい?」
「もちろん。って、ゲーム機とかないのが申し訳ないけど」
「そんなの大丈夫だって。あたしはセンセと駄弁っていたいし」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
気を遣っているように思う言葉だが、ゲームになんか時間を割くよりも、二人だけの時間を過ごしたい彼女なのだ。
「まあ……駄弁るだけってのも味気ないと思わない?」
「つまり?」
「コンビニGOしてお酒呑みながら駄弁ろーってこと。あたしも20歳になってお酒も合法になったし、センセの一緒に呑むって初めてじゃん?」
「そ、それはそうだけど、お酒を入れたらななせさんを自宅にまで送れなくなるっていうか……」
「帰りは元々タクシー使うつもりだったし、平気平気!」
空に送ってもらうことも捨て難いが、初めてを潰していきたいななせなのだ。
優先したいのは後者である。
「あっ、もしかしてセンセはお酒苦手だったりする? 今思い出したんだけど、あのスーパーで買ってなかったし」
「いや、お酒は好きなんだけど……お酒には本当に弱いんだよね。それこそすぐ眠くなるっていうか」
「え、それマジ?」
「あはは……。『お前、酒弱すぎだろ』って毎回ツッコまれるくらいだよ」
「へぇ〜。なるほどねぇ〜」
不意に間延びした声を出す彼女は、小悪魔のような笑みを浮かべて誘惑の言葉を述べるのだ。
「だけどさ? 明日は休日だし、お酒が好きなら一緒に呑むしかないって! ほらほら、せっかくの機会なんだし、ちゃんと23時には帰るからさ!」
「そ、それもそうだよね」
「うんうん!」
計画通り言わんばかりの上機嫌な頷きである。
「じゃ、センセ。早速コンビニいこ?」
「了解。コンビニはすぐ近くにあるから徒歩で大丈夫だよね?」
「そだね! ちなみに手は繋いでいく?」
「あはは、まだ酔ってないって」
「でも、外は暗いじゃん?」
「実は裸眼で視力2.0もあるんだよね。これ凄くない?」
「(ガード)
「あはは、そうでしょ。ちょっとした自慢なんだよね」
誇らしそうに微笑む空は知る由もない。
100%すれ違った会話をしていたことに。
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