燐くんのドキドキプレゼンタイム

 カーテンの隙間から差し込む光が目元に当たって、目が覚めた。頭の位置と隙間の位置、窓の方角からして、時間は12時頃だろうか。

 普段の休日と同じくらいの時間であるし、昨日寝た時間もそこまで大きく変わらない。十分な睡眠は取れたと言えるだろう。


 そこまで考えたところで、昨日遅くなった原因を思い出す。ベッドの方を覗き見ると、そこにはすやすやと寝息をたてるすみれの姿。


 起きたら居なくなられている――家のものを盗まれていたり、そうじゃなくてもその辺で死んでしまっている――可能性も覚悟していたため、ちゃんとそこにいてくれたことに一安心だ。


 もちろん、これからどう扱っていけばいいかは悩みどころではあるが、前二つの可能性と比べれば些細なものである。




 軽く伸びをして全身をゴキゴキ鳴らしてキッチンに行き、食パンを3枚トーストへと入れる。

 冷蔵庫からベーコンを出して火にかけ、程よく火が通ったところで上から生卵を落とす。



「……おはようございます」



 そろそろすみれを起こしてしまおうかと思いながら調理していると、扉が開いて本人がやってきた。挨拶を返して顔を洗ってくるように促し、ついでに何枚食べたいか聞く。



「そこの棚に入っている皿を2枚とってくれるかな。大きいの一枚と小さいの一枚でお願い」



 素直に顔を洗ってきたすみれに持ってもらった皿に、トーストからパンを取りだして乗せる。それを座卓まで運んでもらい、フライパンを片手について行ってトーストの上にベーコンエッグを乗せる。



 最後に軽く胡椒を挽いて、コップに野菜ジュースを入れれば完成だ。簡単なものだが、寝起きで直ぐに食べるものなんてこのくらいでいいだろう。なんなら一人ならベーコンすら焼かなかった。



 すみれと向かい合って座り、トーストを齧る。出来立てなので当然熱く、胡椒の香りとベーコンの塩気が口に広がった。


 味の方はそれほど悪くは無いだろう。特段良い訳でもないので、可もなく不可もない程度の普通な仕上がり。


 もっとちゃんとしたものを食べさせてあげたいなと思いつつ、けどそのためには少なくともあと一日死なせないようにしなくてはと気を引きしめる。


 流れで泊まらせて朝食まで用意したが、すみれから自殺の意志を除いたわけではない。このまま死に方を話してバイバイしてしまえば、明日には冷たくなっているだろう。


 目の前ではふはふしながらトーストを頬張っている少女が、そんなことになるのはやはりいやだ。



「死に方についてなんだけど、考えなきゃいけないことはふたつある。一つ目はどれだけ楽に死ねるかで、二つ目はどれだけ迷惑をかけないか」



 だから、引き伸ばす。最高の死に方のためにはまだ生きていないといけないと言い聞かせて、その間に生に対する執着心を植え込む。


 それが上手く行けば僕の勝ちで、すみれは生きる。上手くいかなければ僕の負けで、すみれは死ぬ。人の命がかかった大一番だ。


 その勝負の土俵にすみれを引きずり込むべく頭を回し、言葉を紡ぐ。



「一つ目だけなら、話は比較的簡単なんだ。頸動脈を圧迫して気絶して、その間に首が絞まるようにしておく。ドアノブで首を吊るとかがこの方法だね。他だと睡眠薬とかを沢山飲むのも苦しくないかな。逆に苦しむことになるのは、意識がある状態で即死できないもの。溺死とか焼死、窒息死とかだね」


 こちらには、そこまでの意味は無い。せいぜいが海に身を投げることを止める程度のもの。



「問題は二つ目。いかに周りに迷惑をかけないかの方だね。これはなかなか難しい。迷惑な自殺の筆頭として電車への飛び込みなんかがあるけど、これは賠償金だったりダイヤの乱れだったりで迷惑がかかる。すみれちゃんの場合は賠償の方は関係ないけど、色んな人に嫌な顔をされるだろうね」


「ほかだと、例えばどこかの建物の中で自殺した場合は持ち主が費用を払って処理をしないといけないし、建物の価値や評判も下がる。道路だって同じだし、樹海だったとしても誰かが見つければ処理されることになる」



 昨晩の会話の中で、すみれが他人に影響を与えたくないと思っていること、一人でひっそりと終わろうと思っていたことは知っている。人の死が他人にとって迷惑だと伝えて、そうならないものを教えれば食いつくはずだ。



「じゃあどうすればいいんだって話になるんだけど、これはそんなに難しい話じゃないんだ。ただ単純に、誰にも見つけられなければいい。仲がいい人や家族、付き合いのある人がいるなら行方不明者として捜索されることもあるけど、幸か不幸かすみれちゃんにはそんな人はいない。つまり、誰の迷惑にもならない」



 実際に興味を引かれたらしいすみれが真面目に話を聞いているのを見て、方向性が間違っていなかったことを確信する。あとは、このまま言質を取ってしまうだけ。



「だったら後は、誰にも見つからない死に場所はどこになるのかだね。人の手が入っていないところならだいたい大丈夫だと思うけど、この辺りにそんな場所はあんまりない。山の奥で土深くに埋められたりすれば話は別かもしれないけど、僕は殺人犯になるつもりも死体遺棄をするつもりもないから、かなり厳しいだろうね」


 すみれが、少し残念そうにした。ここまで期待値を上げたところでそんな方法は無いと言われたらたしかにガッカリだろう。けれど、だからこそプレゼンができる。



「でも、それはこの辺だったらの話だ。ここからだいぶ離れたところなんだけど、海があるんだ。崖からすぐ下が、それなりに水深が深い場所がある。体に重りでもつけて飛び降りたら、まず浮かんではこれないだろうね」


 けれど、この方法では溺死になる。先程苦しい死に方として話したから、きっと抵抗を感じるはずだ。そうであって欲しいし、そうでなくては困る。



「……でもそれって……っ」



 願いが通じたのか、すみれはしっかりと食い付いてくれた。あとは丁寧に釣り上げるだけだ。



「そう。苦しむ死に方だね。それに、だいぶ離れているから徒歩で行くのも難しい。普通の人でもそうなんだから、歩きなれていなくて体力のないすみれちゃんなら尚更だろうね」


 僕の今していることは、飢えた子供の前にご馳走を持ってきて、それを鍵付きの棚にしまうようなものだ。知らなかったら我慢できた飢えも、手の届いてけれども手に入らないところにご馳走があるとわかってしまえば耐えきれなくなる。



「お金があれば自力で行くこともできるし、睡眠薬だって買えるだろう。崖際で大量に睡眠薬を飲んだら、きっと目が覚めることなく落ちれるだろうね」


 耐えきれなくなったらどうする?鍵を持っている人にお願いするしかない。その頼む相手は誰だ?僕だ。




「……おねがいします、わたしに睡眠薬をください。その場所に連れていってください」



 すみれは深深と頭を下げながらそう懇願した。その必死さを考えるとその通りにしてあげたくなりもするが、それを素直に受け入れてはすみれがすぐに死んでしまう。僕としては、一番避けたい事態になるわけだ。



「うん、いいよ。ただ僕も慈善事業をやっている訳では無いから、何かしらのリターンが欲しい。それはお金でもいいし、それ以外の何かの価値があるものでもいい。ただ、僕がそれをするに足ると思えるだけのものが欲しいんだ」



 相手は、無一文で文字通り着の身着のまま家を出た少女だ。そんな子供が、持っている価値とは何か。



 新進気鋭の天才少女歌手だったりすればその声帯に価値を見い出せるだろうが、あくまですみれは普通の少女だ。育ちにおおよそ普通とは言えない要素があるとはいえ、その精神性だったりは普通の範囲内である。


 であれば、自ずと求めるものは体というものに落ち着くだろう。と言っても性的な意味で体を求めるのではなく、労働力としてのものだ。確かにパーツとしては整っていると思うが、僕にはガリッガリで骨と皮とが大部分を占めている体に欲情する才能はなかった。




「そこでひとつ提案なんだけど、この家で家事をやってみる気は無いかな?やること自体は多くないし、衣食住の面倒もこっちで見る分お小遣いくらいにはなると思うけど、お金も渡す」



 要は、欲しいものがあるならばそれだけ働けと言うだけの話。その中でほかの幸せを見つけられるなら一番いいし、そうでなくとも、幸せを知った上で死を選んだにせよ、それはその人にしか許されない選択だ。


 そんな建前を置きつつ、実際に頼む内容はただの家事である。自分がいるいないはともかくとして、日々積もっていく仕事を任せる。



「その分のお金は貯めてもいいし、何か欲しいものが出来ればそれに使ってもいい。なにか追加でやってもらった時にはプラスして払いもする。どうかな?悪い条件じゃないと思うけど」



 僕の提案に対するすみれの答えは、小さな首肯だった。

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