若い男女が2人きり、何も起こらないはずも……

 基本的には現代日本準拠で書きますが、法律や制度周りに詳しい訳では無いので異なる点等あれば教えて頂きたいです。



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少女を連れて帰って、真っ先にしてもらったことはお風呂に入ることだった。変なことをするからとか、いかがわしいことをするためではなく、ただ単純に臭ったから。ついでに汚れてもいた。


 悪臭はあるだけで不快になるし、その源は嫌悪の対象だ。場所が自分の部屋ともなれば尚更だろう。


 着替えとしてジャージを渡し、ポットに水を入れてお湯を沸かす。用意するのはコンソメを溶かしただけのスープ。食事を用意した方がいいとも思ったが、用意したところで固形物をまともに食べれない可能性もあるからひとまずはスープだけにした。


 待っている間にタオルケットと毛布を押し入れから出しておき、近所迷惑にならない程度に部屋を片付ける。


 そうしているうちに上がった少女に確認して、一日一食は食べてたから固形物でも問題は無いと判明。アレルギーもないらしいので、ひとまず胃に優しそうな煮物と米を解凍する。



 食べられそうな分だけ取り分けて食べるように伝え、シャワーを浴びたり浴槽を洗ったりして、15分ほど経ってから部屋に戻ると、少女は半分ほど米と煮物を減らしたところで箸を置いていた。



「……ぉ、おにいさんっ、ご飯、ありがとうございました」



 人をダメにするクッションに身を任せていたのに、ちょこんと座り直して少女は頭を下げた。



「どういたしまして。量は足りたかな?多かった分は残しておいてね。後で食べるから」


 そう言いながら、少女が使っている座卓を迂回して、部屋の一番奥にあるシングルサイズのベッドに腰をかける。



「……もうおなかは減ってない?そっか。ならよかった。今更だけど、僕は灰岡はいおかりん。25歳の会社員で、趣味はゲームと本を読むこと」


 少女が頷いたのを見て、そのまま自己紹介を始める。


「働くモチベーションは努力が目に見えて残るのが好きだからで、通帳の数字を減らさないために自炊と節約もしている。将来への備えにもなるから一石二鳥だしね」


「色々事情がありそうな君を見つけて、放っておきたくなくなったから、お節介を焼いている。嫌な思いとかしたらすぐに教えてね、なるべく直ぐに対処するから、よろしくね」


 全く興味を持たれないで聞き流されることも考えていたけど、少女は案外興味を持ってくれたらしく、コクコクと頷きながら話を聞いて、よろしくお願いしますと返してくれた。



「えっと、……名前はすみれです。おかあ、お母さんの苗字は莢蒾がまずみだったので、わたしは莢蒾すみれ……だと思います」


「……戸籍がなくて、苗字も合ってるのか分かりません。好きだったことは、図鑑とかをなが、眺めることで、使う機会のない知識を増やすことが楽しかったです」


 紹介する側が正しく把握出来ていない、ところどころ説明の内容が過去形な自己紹介。




 その後しばし質問と回答を繰り返して判明した、少女、すみれの情報をまとめると、

 無戸籍且つ軟禁状態でこれまで過ごしてきたので、まともに外に出たのは今日が初めてだった。

 ネグレクト状態が始まったのはここ数年ほどのことであり、それまではお母さんはしきりに謝る人で、けれどもしっかりと愛を与えてくれていた。

 そのきっかけは、若い頃からすみれを育てるために全てを注いでくれた母が、パート先で出会った男性と恋に落ちたこと。

 まともな生活を送らせてあげられなくてごめんね、など、数年前まではよく言われていたため、すみれが無戸籍なのは、母が積極的に望んだことではない。

 その頃までは、男に気をつけろと言うことがあったため、そこに無戸籍の理由があるのかもしれない。

 ネグレクトが始まってからは、お腹が空かないようになるべく動かず、母の目に入らない押し入れの中で過ごしていた。

 そして、ついに自宅に男性を呼ぶことを決めた母により、家から追い出され、自身も野垂れ死ねと言われた。



 これを聞いて、正直な話僕は少しビビった。所々に不穏な言葉こそあったとしても、最低限まともに会話が成り立つくらいには言葉を教えられていて、その延長線上でのネグレクト、子捨てだと思っていたからだ。



 まともな食事を食べたことがない子供に美味しい食事を教えるのは簡単だ。ただ単純にその子の知らなかった食事を与えてあげればいい。

 けれど、かつてまともな食事を取ってきていて、ある日唐突にそれを奪われた子供に、食の喜びを与えることは難しい。

 ただの美味しい食事だけでは不十分で、昔のものを越えなくちゃならないし、何より一度裏切られたことで素直に受け止められない中で悪い意味で記憶に残っているのだ。




 僕の想像していたのは、まったくもって愛情を知らない子供だった。だからこそ容易く対処できると思って調子に乗っていた訳だが、すみれのそれは想像を超えて強いものだった。


 会話が通じる人が、母親以外と話したことがないなんて、義務教育すら受けていないなんて、誰が想像できるだろうか。



 けれど、元の予想よりも酷い過去だったとしても、僕が先程気に食わなかったすみれの姿が消える訳ではない。



 その目的の難易度とは裏腹に、僕のやる気はぐんぐん上がっていった。一番最初は自分が気に食わないからだったはずなのに、心が、心底すみれの幸せを願ってしまう。


 そう思ってしまうような危うさが、幸薄さがすみれにはあった。



「……えっと、あとは……ぁ、ごめんなさい、ずっと話してたらご飯食べらっ、食べられる時間が無くなっちゃいますよね」



 その境遇や話し方とは裏腹に、話すことが好きらしいすみれとの会話は、最初予想していた時間を大きく超えるほど続いた。


 お話をしようと言って応えてくれた以上、会話をする気があるのは当たり前かもしれないが、初日からこんなに話せるとは思わなかったのだ。そのせいで、直ぐに食べることになると思っていた残り物は1時間以上放置され、冷たくなっていた。



「ああ、大丈夫。お腹もそんなに空いていないし、出来たてが冷めたらちょっと寂しいけど、冷凍していたものなんて温め直せばいいだけだからね」


 とはいえ、言われてみれば空腹を感じなくもない。話の流れも切れてしまったし、時間もだいぶ遅い。よく見ればすみれも眠そうだし、このあたりで終わらせておいた方がいいだろう。



「でも、気にかけてくれたことは嬉しいよ。ありがとう。でもそうだね、時間も遅いからそろそろ食べることにするよ」


「嫌じゃなければベッドは使っていいから、眠かったら寝ちゃってね。多少物音はすると思うけど、それだけは我慢して」



 少し困惑した様子のすみれにベッドを譲り、茶碗を持って玄関すぐのキッチンへ移動する。僕の寝る場所なんて、ダメにするクッションの上で十分だ。普段からそれなりの頻度で寝落ちしているため、慣れたものである。


「それじゃあおやすみ」


「……っ、え、その、おやすみなさい……」



 電気を消し、扉を閉めればキッチンの明かりはほとんど部屋に届かない。



 扉の向こうから僅かに聞こえる、布の擦れる音。ベッドに移動したのだろう。ほぼ無音になったキッチンで、半食分だけ残った煮物と米を、水と一緒に流し込む。



 5分程度の簡素な食事。冷凍のせいか冷えたせいか、米は固くパサつくし、人参の食感も良くない。冷凍庫のにおいがついていないから食べることは出来るが、人様に食べさせるのは微妙なラインだ。



「……ごちそうさまでした」



 米のデンプンや乾いた煮汁などでカピカピになった食器をシンクに下げて水をかけておく。


 未明と呼べなくなった時間帯では、ほんの僅かな茶碗洗いの音が近所問題になるし、最悪通報されかねない。



 防音性の高い一軒家ならともかく、風呂の音がうるさいと苦情が出るような安物物件だ。夜中に人と話すなんてことをした以上、これよりも苦情の元になりかねない要素を積む訳にはいかない。




 僕は歯磨きだけ済ませてすぐに真っ暗な部屋に戻り、予め用意していた毛布等の防寒対策を当てる。


 寝床は人をダメにするクッション。クッションの性能に甘えて、枕は用意していないし、自分の体にかけるのは毛布一枚。


 十分暖かくはあるが、快適とは言い難い。床とかその辺のソファで寝るよりは間違いなく寝心地がいいが、だからといって快適に寝るためのベットと比べたら質は下がる。



「おやすみなさい」



 けれども、それでも、まだ起きていてうまく寝付けない少女に言葉を告げつつ眠りにつく環境として考えるなら、十分すぎるものだった。





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 戸籍がなくても義務教育って受けれるんですって

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