あたりまえの終わり、やさしいお母さん
すみれちゃん視点です
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「頼むから出ていってくれ。もう帰ってこないでくれ」
そんな言葉をかけられたのは、これまでずっと過ごしてきた部屋の中。お母さんの教えで、ある程度以上の掃除を禁止された部屋。
周囲に気付かられるような音を出しちゃいけないし、そんな音を立てかねないことはしては行けない。わたしの存在が周りに露見するようなことは控えなくてはいけない。
ただただひっそりと、そこに在るだけの生活。救いがあるとすれば、インターネット機器が与えられていたことでしょうか。おかげで暇潰しには困りませんでした。
「お前がいるのが苦痛なんだ。お前のせいで何も出来ないんだ」
そう告げてくるお母さんの顔はとても苦しそうでした。怒りと悲しみ、そして憎しみでしょうか、きっとそんなものが胸中で渦巻いているのでしょう。殴ったり蹴ったり、暴力的に発散したい気持ちもあるのでしょう。
けれど、握った拳を震わせるだけで、お母さんは決してわたしに乱暴はしません。わたしの記憶がある中で、一度だってそんなことはしませんでした。
きっと、優しい人なのでしょう。嫌になった子供を何年も養えるくらいには優しくて、けれどもわたしの存在がその優しさの範囲から外れてしまった。きっとそれだけの事なのです。
「今晩中に出ていってくれ。人殺しにはなりたくない」
苦しそうな顔が、憎しみに染まりました。昔はあんなに優しかったお母さんのこんな顔は、見たくありませんでした。
優しかったお母さんをこんなふうにしてしまったのは、わたしなのです。自己犠牲を問わず、献身的に愛してくれたお母さんをおかしくしてしまったのは、お母さんの人生をめちゃくちゃにしてしまったのは、わたしの存在なのです。
わたしがいなければ、お母さんはもっと自分のために生きれたでしょう。わたしがいたから、お母さんの時間は奪われてしまったのでしょう。
何もかも、わたしのせいです。わたしが生まれたことが悪かったのです。
そう考えると、心の底から申し訳なさが湧き出てきました。自分でもこんなに申し訳ないと思えることがびっくりなほど、重たい罪悪感が胸を支配します。
「……わかりました。これまで育ててくれて、ありがとうございます」
お先真っ暗です。明日から何をすればいいのか以前に、どこで明日の朝を迎えればいいのかすらわかりません。ホームレスデビューをしようにも、公園の場所すら知りません。
けど、素直におとなしく追い出されます。駄々をこねてこれ以上お母さんに迷惑をかけるわけにはいきません。追い出されて、お母さんに当たり前の平穏捧げることが、わたしにできる最後の親孝行です。
「っ、そう、じゃあ準備しておきなさい」
お母さんが鼻白んだように見えます。わたしがすぐに受け入れたことが、そんなに意外だったのでしょうか?
そのままお母さんが離れていったので、家を出る準備をします。
とはいえ、この家の中でわたしが使っていたものはどれもお母さんに使わせてもらっていたもの。準備と言っても、よく使っていたものを整理するくらいです。
布団を畳んで、押し入れにしまう。お下がりのスマホを、使っていた歯ブラシを、茶碗と箸を、家の所々に置いてあるわたしの使ったもの、一人暮らしの女性の部屋にあったら不自然なものを集めて箱にしまう。
言葉には出していないけれど、お母さんがわたしを邪魔に思う理由の一番は再婚を考えているからです。だから、わたしの痕跡は残しちゃいけない。わたしがこの家にいた事実なんてものは、私とお母さんの頭の中にしか残してはいけないんです。
しまって、しまって、思いつくものを全て箱に納めても、非力なわたしの力で持ち上がるくらいの量しか集まりませんでした。まるでわたしの人生みたいですね。
このスッカスカの箱の中から、私が持っていっても良さそうなものを選びます。下着なんかは、サイズがお母さんとは合わないので、残して言っても捨てるだけでしょう。持っていっても大丈夫なように思えます。
服は……どうでしょうか。元がお下がりなので、着ようと思ったら着れるはずです。ただ、わたしが着古したものをお母さんが好んで着るとも思えないので、ギリギリ大丈夫だと思います。
歯ブラシは問題ないでしょう。箸も問題ないと思いますが、使い道が見いだせないのでいりません。
他のものも、使えそうなものはありません。衣類と歯ブラシだけ、ビニール袋に入れます。家にある中で少し大きめの袋に収まるものが、わたしの持つ全て。ここまで来ると、一周まわって安心感すらありますね。
さて、今の時間は12時頃です。お母さんに言われた、今晩という時間にはまだだいぶ早いので、残った時間は適当に過ごすとしましょう。
その内容はと言うと、今晩から送ることになるホームレスとしての心構えとか、正しく乞食行為をするための作法とか、生活に直結するものがほとんど……というより、全てです。
惜しむべきは、検索したなかで多くのものが、“お金が無くなって困った時には”とか、“頼る人が居なくなったら”とか無駄に大きな文字で強調して相談窓口に誘導してきたことでしょうか。
欲しい情報から少し外れたものしか示さずに、困ったら〇〇に相談してくださいなどと言われても、わたしにはそこに電話をかけることも出来ないのです。所詮、自由且つ満足にインターネットを使える人以外は想定していないサイト、ということでしょうか。本当に、私にとっては役に立たないものでした。
調べても調べても何も意味のなかった時間の後には、睡眠をしつつ体を動かさずにカロリーを温存します。
わたしの熱量に乏しい体にとって、起きて過ごしているということは苦難です。眠りにふけり、消費を減らすことが生きるための術。できることがないことによる眠りを経て、目が覚める頃にはお母さんが食べ残しを残していてくれます。
食べかけのものであるため、量が多かろうが少なかろうがその日のうちに食べきらなくてはなりません。
けれども、こんなわたしのために自身の必要量以上に調理をして、それを残しておいてくれるあたり、お母さんはやっぱり優しい人です。
わたしはお母さん以上に優しい人を知りません。……まあ、そもそもお母さん以外の人なんて1人も知らないのですが。
今日の晩御飯、わたしにとっては一日一度の唯一のご飯ですが、それは3日目の親子丼でした。
全体的に冷たく、冷えたこともあり米も鶏肉も硬いですし、冷えた脂が舌にこびりついてベトベトします。固いくせに水分を沢山吸った米はボロボロにつぶれ、舌で潰せるくらいのやわらかさです。
感想としては、離乳食より1歩進んだ米、と言った所でしょうか。初めて食べた時は思わず吐き気がしましたが、なんどもにたようなものをたべるにしたがってそんなことも無くなりました。ただただ、ご飯を用意してくれたお母さんに感謝です。
今日の食事を部屋の片隅の、邪魔にならないところで済ませたら、お母さんに持っていきたいものを持って言っていいかの確認を取ります。
「勝手にすれば?どうせお前のものなんて全部捨てるし、私としてはその辺で野垂れ死んでろって思うけどね」
パソコンを睨みつけながらお仕事をしていたお母さんに聞くと、舌打ちをひとつしてから答えてくれました。
私の好きなようにしていいという言葉で、お母さんの優しさを痛感します。捨てるという言葉で、わたしの最後から2番目の親孝行の的確さを実感します。
そして最後の言葉で、わたしは目からウロコが落ちました。野垂れ死ねばいいと思う。片手で持ち上げられるくらいのわたしの人生に対して、なんて的確な言葉でしょうか。
わたしはこれまで、受動的に生きてきましたし、この期に及んで自分の命を当たり前のものだと誤認していたのです。
だから当然のように明日の心配をしていましたし、生きていく上で必要なものを選んでいました。
でも、違うのです。わたしに価値はない。わたしがいて、喜んでくれる人はいない。幸せになれる人もいない。そんなの、いない方がいいじゃないですか。
こんな簡単なことにすら気がつけなかったことが、酷くかなしいです。なんなら、お母さんから切り出されるよりも先に、自主的に家を出ていくべきでした。やっぱりわたしはダメな子ですね。
けれど、そうと決まれば話は早いです。あれがいるこれがいるなんて、小難しく考えていたことなんて馬鹿らしいくらいです。
わたしは、自分の用意したビニール袋の中身を全て箱の中に戻しました。
明日を迎える価値のないわたしが、未来のことを考えて用意することがあまりにも滑稽だったからです。そんなものは、私には必要ありません。直ぐに死ぬことを決めているのに、わざわざ生きるための準備をするなんて、あまりにも矛盾がすぎます。
そうして、わたしは自分の人生が終わることを受けいれたのです。
それから少し経ちました。
具体的な時間、何時何分等の指定こそなかったものの、きっと家を出るのは早いに越したことはないでしょう。
お母さんの告げた、今晩という括りの中。空の明るさとしては、日が暮れてから全般がその範囲内に含まれますが、夜の8時かそこらであればそれなりに人通りもあります。万が一わたしがこの家から出てくる姿を誰かに見られてしまえば、お母さんの、そして私のこれまでの努力が水の泡になってしまいます。
なので、お母さんの言う今晩というものは、基本的には深夜帯であると考えていいでしょう。日付が変わって少しくらいの時間帯というものは、人々の外出量が少ないということは、わたしですら理解しています。
仮にお母さんがそこまで考えていなかったとしても、いわれた言葉に対する今晩という条件はみたせますので、日付が変わるギリギリくらいまでは粘っていいのではないでしょうか。
何も持たない中で、ただ時間だけを無駄にしている感覚もありますが、今はひたすら耐えのときです。いちばん都合よく振る舞えるタイミングを、ただひたすらに待ち続けます。
お母さんの、食事が終わります。お母さんのお風呂が終わります。お母さんが、入眠直前の状態で、眠いはずなのに、明日も予定があるはずなのに起き続けています。
そろそろ、一区切りつけるタイミングでしょうか。
手ぶらの状態で、玄関に向かいます。何もいらないのだから当然ですね。
下駄箱の中から、おそらく何年も履かれていないボロボロのサンダルを取り出し、お母さんに見せます。
「おかあさん、そろそろ出ようと思うのですけれど、このサンダルをいただいてもいいでしょうか?」
裸足で外を歩くと足を怪我してしまうからです。わたし自身は良くっても、いつも道路を使っている人達は、誰かの血が擦り付けられていたら不快に感じるでしょう。なにか履くものが必要になります。
お母さんはサンダルとわたしの顔を見て、少し嫌そうな顔をします。これから追い出す娘が、最後までわがままを言ってきたのだから当然です。
「……チッ、好きにしな」
……やっぱり、お母さんは優しい人です。
「……ありがとうございます。最後までわがままばっかりでごめんなさい。……どうかお身体を大切に」
いけませんね。もっと言いたいこと、伝えたいこと、お礼や愛していること、幸せを願っていること。
たくさんあるのに、何も伝えられませんでした。わたしが言葉にすることが苦手だから、伝えられませんでした。今からでも言いたいけれど、それではお母さんの時間を奪うことになってしまいますから。
ぺこりと頭を下げます。顔を上げて、お母さんの姿を見ます。わたしが見る、最後のお母さんの姿です。わたしがずっと迷惑をかけてきた、人生を奪ってきた人の姿です。
もう、この人をお母さんと呼ぶことは無いのだと、呼んではいけないのだと思うと、胸の内から悲しさが込み上げてきます。溢れそうなそれを必死に飲み込み、我慢しようとします。
「……さようなら、おかあさん」
少しだけ、こぼれてしまいました。視界が滲みます。
わたしは、上手に笑えているでしょうか。昔お母さんが褒めてくれた笑顔を、浮かべられているでしょうか。
たぶん、できていないでしょう。年単位でまともに使っていなかった表情筋です。強ばって、引き攣っているのが自分でもわかります。
すぐに後ろを向き、玄関のドアノブを掴みます。涙なんて、見せたくありません。これ以上、お母さんに心労をかけたくありません。だから、すぐに出てしまいます。
開けたことの無いドアを、お母さんの真似をして開けます。ガタン、と大きい音が鳴って、開きませんでした。滲む視界をクリアにして見ると、鍵がかかったままでした。雫がふたつ、足元にこぼれます。
少し恥ずかしさを覚えながら、鍵を開けて、今度はゆっくりドアを開けました。蝶番が軋み、夜の少し冷えた空気が入ってきます。
このドアから、行ってきますと宣言して出ることを、昔は夢見ていました。お母さんが行ってらっしゃいと見送ってくれて、わたしは学校に行くんです。外で出来た、友達と遊ぶのかもしれません。
けれども、現実はこんなものでした。行ってきますではなくさようならを言い、わたしの行く先には誰もいません。さようならだって、他の人には聞かれないように小さな声で、玄関を開ける前でした。
玄関を出て、ゆっくり閉めます。家の中から、嗚咽のような小さい声が聞こえた気もしましたが、きっと気のせいでしょう。
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ちゃんとかわいそうにかけてるかが心配です
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