誘拐犯になろう(裏)

 初めての外です。アスファルトの小さなでこぼこが、とっても新鮮です。サイズのあっていないサンダルをカッポカッポ鳴らしながら歩くと、小さな小石がチャリチャリと転がります。すこしだけ、楽しいです。こういうのを、箸が転がっても面白いお年頃というのでしょうか?たぶん違いますね。


 ふと、家を振り返ると、カチャンと軽い音が聞こえました。家の鍵が閉められた音です。お母さんの高い防犯意識に一安心ですね。その音を聞いて寂しく思ってしまったわたしは、やはり親不孝者です。



 名残惜しく扉を見つめて、表札を見ます。書いてある文字は莢蒾がまずみ

 音だけは元々知っていたのですが、こんな漢字を書くんですね。一度見ただけでは忘れてしまいそうです。覚えていきたくもあるのですが、ずっと居座っていると誰かに見られるかもしれません。

 それは良くないことなので、見知らぬ世界を前に歩みを進めます。



 歩く度に目に入るのは、似たような形や構成を取っていながらも全く違う家の数々。効率だけを考えるのなら箱型でいい気もしますが、それだと景観なりなんなりに影響があるのでしょう。



 たくさんの住宅を経て、道路に出ました。この時点で、わたしの足は痛みを訴え、まともに動けない状況です。


 これが靴擦れでしょうか。確かに痛みを感じますが、おそらくそれ以前の問題。まともな歩き方を知らない弊害でしょう。足がプルプルしてろくに歩けません。



 仕方がないので休める場所を探して、ノロノロと歩きます。噂に聞く駐車場の車輪止めでもと思いますが、住宅街ゆえに需要がないのでしょう、全く見当たりません。見つかったのはコンビニだけです。



 これが昼間や夕方頃であればそれでも良かったのですが、今の時間は既に深夜。良い子は眠っている時間で、悪い子なわたしは見つかったら捕まってしまいます。



 ようやく車輪止めを見つけたのに、近寄ることは出来ませんでした。コンビニを迂回して、またノロノロ歩きます。




 30分、1時間くらい経ったでしょうか。わたしにとっては永遠にも近い長い時間でしたが、ようやく公園を見つけました。しかも、ベンチがあります。完璧です。


 草の上を歩くという、不思議な体験もしましたが、それ以上にわたしは限界でした。多少チクチクすることも厭わず、ベンチに座り込みます。家を出てすぐであれば踏みしめる感覚やサンダルの隙間から入り込む草の感触に驚く余裕もあったのでしょうが、今のわたしには無理です。



 ずっとまともに整備をされていなかったのでしょう、砂埃とサビ汚れの目立つそこに体を預け、頭をぐわんと上に向けます。キラキラ光る星が綺麗です。出来れば月も一緒に眺めたかったのですが、見つかりませんでした。


 残念ですが、仕方がありません。諦めて星を楽しみましょう。何が何座とか、なんて名前の星だとか、そんなことはひとつもわかりませんが、そんなことは知らなくても綺麗なものは綺麗なので問題ありません。




 この星たちが看取ってくれるなら、死もそれほど恐ろしいものでは無いでしょう。



 とはいえ、今すぐ死のうという気にもなれません。足も痛いですし、動きたくありません。なんなら、疲れているのです。だからぼーっとして、星を見ます。他にすることもないので、見続けます。



 どこで死のうかとか、どうやって死のうかとか、沢山考えます。できるだけ苦しくなくて、人に迷惑をかけないものがいいです。誰にも見つからず、ニュースにもならなければ最高です。


 多くの人は死に方なんて選べないのに、わたしは好きなように選ぶことが出来ます。沢山考えていいんです。きっと、とっても幸せなことでしょう。



 そんなことを考えながら、肌寒さを感じて腕をこすっていると、一人の男の人が歩いていました。手に持っている缶、お酒の入った缶を口元に運びながら歩いてきて、わたしを見つけて足を止めます。


 何やら少し考え込んで、一度目を逸らして歩き出して、少ししてからこちらに近寄ってきました。一度携帯電話を取り出してなにやら操作してからしまい、警戒しながら足を運んでいます。



 一般的に考えたら、警戒するのはむしろわたしの方だと思いましたが、わりかしどうでもいいです。攫われようが、乱暴されようが、どうせそろそろ死ぬのだからと考えるとあまり気になりません。むしろ、通報されていることの方が心配です。



「こんばんは」



 鬼畜が出るか犯罪者が出るかはたまたありがた迷惑な一般市民が出るかと待っていると、そんな挨拶が飛んできました。夜ですから、妥当と言えば妥当なものです。当然、わたしも普通に挨拶を……



「ぁ……ぇと……こんばん、は?」



 できませんでした。頭ではしっかり把握している言葉なのに、上手に声に出せませんでした。


 考えてみれば、お母さん以外との初めての会話です。変に緊張してしまい、呂律も回りません。心臓もたくさんドキドキしてます。当然こんな経験も初めてですが、楽しむ余裕なんてありません。



「こんばんは。こんな時間にそんな格好でどうしたの?」


 男の人が質問をしてきます。質問されたら、答えなくてはいけません。空回りする頭で精一杯言葉を作ります。



「ぇっと……その、お、ぉ母さんに出てけって、も、もうかえってくるなって……」



 わたしは、自分はどんな時でも頭の中のことを的確に音声化できる人間だと思っていましたが、全く違ったようです。脳内で単語だけが自己主張して、出来事の一部だけを伝えます。そこに、わたしの気持ちだとか、考えなんてものは含まれません。



「おま、お前のせいで再婚できないって、えっと、戸籍なくて、だから勝手に死ねっていわれて」




 吃ってしまうこの身が、恨めしいです。こんな説明では、まるでお母さんがとっても酷い人みたいに思われてしまいます。あんなに優しい人なのに、あんなに普通の人なのに。こんなふうな、人の心のないかのような扱いは好きじゃありません。お母さんは優しい人で、それだけは間違いがありません。



「……なにしたらいいかわからなかったから、お星さまみてました」



 そんなことを考えながらも、わたしの口はゆるゆるで、考えを完全に話してはくれません。お母さんとの会話とか、もっと大事なところがあるのに、そんなことは全く話さずにいらないところだけを話します。そこだけ話して、止まってしまいます。



 男の人も、わたしの話を聞いて黙り込んでしまいました。当然です。わたしだって、自分の環境が一般的なものでは無い認識はあります。ちょっと声をかけただけの相手からそんなことを話されたって困ってしまうでしょう。




「そっか……大変だったね」




 男の人が、やっと絞り出した言葉はそれでした。わたしにとっては、的外れもいいところです。けれど、真っ当な意見としてはそうなるのかもしれません。



「ぅ、ううん、大変じゃなかったし、困ってる訳でもないの」



 何も無く受け入れられたくらいには、大変ではありませんでした。足が痛くなってしまったこと以外には、特に困り事もありませんでした。



「ただ、どうやって死ぬのが一番くるしくないかなぁって」



 ただ、死に方だけは悩んでいました。なるべく楽で、誰にも迷惑をかけなくて、苦しくないそれ。


 こんなことを話しても、きっと命は大事だとか言われてしまうのでしょう。言われなかったら、だったら死ぬ前に楽しませてもらおうとか言われてしまうのでしょう。どちらにせよろくなものではありません。言葉にする必要がなく、しても悪いことにしかならないと予想できることです。



 なのに、わたしはそれを言ってしまいました。それだけ、その言葉が気に入らなかったのかもしれません。あるいは、自分のことを知ってほしかったのかもしれません。



「死ぬのはとめないし、苦しくない死に方も教えてあげる。ただ、その前に少しだけ僕の話し相手をしてくれないかな?」


 わたしは知ってます。これはきっと、そう、言っていけないことをしてくる鬼畜の類です。鬼畜というものは、相手に都合よく意見を合わせて、その過程で自分の欲求を満たすのです。きっと、俺に殺されることだよォ!とか言ってきます。


 とはいえ、それも悪いものではないのかもしれません。痛いのは嫌ですが、わたしの命の終わりに誰かに幸せを届けられるのなら、そう思えます。



「は、はなしあいて?わたしでよかったら、お、教えてくれるなら、いくらでもするよ?」



 なんて思考的な冷静を保ってるように取り繕っていますが、実際は文明人か疑わしいほど頭の中はぐちゃぐちゃです。あとから整理して出力したらこんな感じだっただろうと言うだけです。


 人って脊髄反射で会話ができる生き物なんですね。




「よかった。それなら、僕の家に来ない?ここは冷えるし、多分お腹も空いているよね。大したものじゃないけど、暖かいものくらいならご馳走するよ」



 お持ち帰り発言です。誘拐犯の手口です。きっとこのまま首輪をつけられてわんちゃんみたいに監禁されます。または全身バラバラにされて換金されます。


 けれど、そうだろうとわかっていても、お腹は行きたがります。すっかり忘れていた空腹感を思い出させられたせいで、きゅうきゅうと餌を強請ります。




「おじさ……おにいさんのお家?うん、だいじょうぶだよ?」



 痛くないといいなぁと1人覚悟を決めながら、男の人、お兄さんの提案を飲みます。流されに流されて、よくわからないことになってしまいましたが、今更嫌とは言えません。嫌なんて言ったら、何をされるかわかりません。



「よかったよかった。それじゃあ、着いてきてくれるかな?とはいえ、夜も遅いし、静かに移動しよう」



 うるさくしたら近隣の人にバレるからでしょうか。少しヒヤッとしましたが、こうなればもうなるようになれとしか言えません。ケセラセラ、好きな言葉です。まあなるようになった結果が今のわたしなのであまり素直に信じることも出来ませんが。



「そんなに遠い訳でもないから、安心してね」


 ニコリと笑うお兄さん。こわいです。足が痛むのを我慢しながら、あとを続きます。気分は子牛です。どな。

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