楽しい楽しい?お泊まり会(裏1)

 いつも通りのお出迎えの際に、お兄さんの表情が暗いことに気付きます。なんというか、お仕事で辛いことがあって帰ってきた時のお母さんに似ているのです。



「……お兄さん、大丈夫ですか?」


“……疲れてるの。見てわからない?”


“心配かけちゃってごめんね、すみれ。大丈夫。お母さんは大丈夫だよ”



 思わず、口から言葉が出てしまって、直ぐにお兄さんを不快にさせてしまっていないか不安になります。


「うん、あまり大丈夫じゃないかもしれないけど、大丈夫。後で少し話さなきゃいけないことがあるから、その時に理由は話すよ」



 不快にしてしまったわけではなさそうなので、そこを安心するのとともに、お兄さんが大丈夫じゃないかもしれないという話の内容に不安が募ります。


 おそらくは会社で何かあったのだとは思いますが、それではわたしに話さなくてはならないことにはなりません。


 わたしに話さなくてはならなくて、そしてお兄さんが大丈夫じゃないかもしれないと言うようなもの。一体何なのだろうと考えて、少し思い当たる節があってビクッと体が震えます。


 わたしに関係があることで、お兄さんが気にすることなんて、わたしがなにか良くないことをしたことくらいです。そして、わたしがした悪いことなんて、いくらでも心当たりがあります。



 お兄さんの個人情報を勝手に調べたこともそうですし、料理用に買った食材を使って、おやつにプリンを作ったこともあります。デザートを作った時に、途中味見をしすぎて、結局お兄さんの倍くらい食べてしまったこともありますし、お出かけ練習の際に入れた位置情報共有アプリを使って、定期的にお兄さんの居場所を監視したりもしています。


 あまり怒られなさそうなものから、知られたらドン引きされそうなものまで、隠し事は沢山です。その中のどれか、あるいはいくつかがバレたのであれば、大丈夫じゃないかもしれない事態になるかもしれません。



 本当はバレた段階で、自分から謝った方がいいのだと思いますが、あまりにも心当たりが多いせいで、どれを謝ればいいのかわかりません。違うもので謝ったら、より深刻化してしまうでしょう。そう考えると、満足に謝ることもできません。嫌われたくなくて保身に走ってしまうとは、わたしの悪い子加減にも磨きがかかってきました。



 とはいえ、ビクッとしてしまった以上、そのままだととても怪しいと思いますので、何事も無かったかのようにシラを切ってみます。お兄さんの言葉に、そうですかと明るく返して、今日の晩御飯は酢豚ですよと話を逸らします。


 それが幸をなしたのか、お兄さんは楽しみだと言いながらわたしの頭をポンポンと撫でてくれました。ごまかし成功です。内心でこっそり、ガッツポーズを取ります。



「そんなに大したことじゃないから、気にしたり緊張したりしなくていいよ」


 わたしがビクッとしたところも見られて、その後の振る舞いも全部悟られていたのでしょう。ごまかし失敗です。ちょっとしょんぼりしますが、おそらくわたしにやましいところがあると察した上でのこの対応です。多少なら目を瞑ってくれるということでしょう。お兄さんの優しさが嬉しくて、やっていたことがバレていたということが、少し恥ずかしいです。



 とはいえ、この言い方であれば最初からわたしに何か問題があった訳ではなさそうです。そうなると、お兄さんの言う大丈夫じゃないかもしれないことの想像が本当につきません。


 気になりながらも、気にしなくていいと言われたからあまり考えないようにして、晩御飯を食べます。今日の酢豚は自信作でしたが、あまり味が分かりませんでした。お兄さんが気になることを言ったせいです。そのままご飯を食べ終えて、お兄さんが口を開くのを待ちます。



「相談なんだけど、今度出張に行くことが決まったんだ。2泊3日で、数日開けることになるからどうしようか話そうと思って」



 出張。聞いたことはあります。お仕事の関係で、普段行かないところまで遠出する時に、日帰りが難しいから泊まりがけになることです。念の為、お兄さんに言葉の意味を確認して、その認識で大丈夫と言われます。



 そうなると、まるっと2日間はお兄さんには会えなくなってしまうということでしょうか。とても寂しいですし、本音を言うと行って欲しくないのですが、あんまりそんなことを言っても、迷惑になってしまうので何も言えません。


 せめて、朝ごはんとお弁当はしっかり作って、晩御飯にはいつも以上に力を入れましょう。夜は寂しいので、おやすみの挨拶だけは電話をかけてしまうかもしれませんが、ちゃんと一人で寝ます。



「……それはつまり、その間、わたしが一人で待っていればいい、ということでしょうか?……」


 わたしだって、いつまでもお兄さんがいないと何も出来ないんじゃいられません。お兄さんが安心して家のことを任せてくれるようにならないとと、そう覚悟を決めて、けれどもだという気持ちが漏れてしまいます。



「そうだね。それもあるし、溝櫛の家に預かってもらうこともできる」


 、その言葉が、刺さりました。お兄さんは、わたしに一人でお留守番をさせることが、不安なのでしょう。信頼できる人の元で見てもらっていた方が、安心できるのでしょう。


 わたしがこれまで、頑張ってきたことがあっても、まだまだお兄さんにとってわたしは、保護してあげてる対象に過ぎないのでしょう。


 そう考えると、胸が痛くなります。なぜかはわかりませんが、とても苦しくなります。



「すみれも突然一人になったら不安だろうし、溝櫛も前にお泊まり会をしたいとか言ってたから、この機会にどうかと思うんだ。僕がいたらしにくい話とかもあるだろうし、きっと楽しいと思うよ」


 お兄さんの言葉が、痛いです。わたしを心配してくれる優しさが、つらいです。


 けれど、お兄さんの前で情けないところを見せるのは嫌なので、隠します。辛いのも悲しいのも、それを隠しながら明るく振る舞うのも慣れています。


 あのころと同じように、望まれるままに。こんな風に言うくらいですからお兄さんはわたしに、瑠璃華さんのおうちに行ってほしいのでしょう。その方が安心するのでしょう。



「わかりました。お兄さんがそう言うのなら、瑠璃華さんにお願いしてみますね」



 今のは、上手く笑えていなかった自覚があります。きっとお兄さんにも気付かれてしまったでしょうから、お茶碗を洗うと言って立ち上がります。食べ終わったものを運んで、キッチンと部屋の間の扉を閉めます。



 お兄さんの言うこともわかります。確かに瑠璃華さんは、うちに来ないかと何度かわたしのことを誘っていましたし、わたしもお泊まり会に関しては結構乗り気でした。お兄さんがいたら聞にくい話も、確かにあります。


 だから、お兄さんは何もおかしなことは言っていないのです。ただわたしが、変なところで勝手にショックを受けているだけ。そんなことはわかっていますし、お兄さんがわたしのことを考えてくれていることも嬉しいです。



 けれどそれ以上に、自分が居なくてもお兄さんにはなんの問題もないのだということが、苦しいです。わたしはお兄さんがいないとダメなのに、逆は大丈夫なのが嫌です。


 もっとわたしを必要としてほしくて、もっとわたしに執着してほしくて、もっとわたしを使ってほしくて。そんなよくない欲求が、強くなります。お兄さんがわたしに色々教えてくれて、色々なことをさせてくれるのが、わたしを独り立ちさせる準備に思えて、怖くなります。



 洗い物ついでに顔を洗って、気持ちを切り替えます。思うところはありますが、まずはお泊まり会をしっかり楽しまなくてはなりません。

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