無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい

エテンジオール

導入部(食材を用意します)

誘拐犯になろう

 ある深夜の公園で、全くもって危機管理がなっていない少女と出会った。残業に次ぐ残業と、終電ギリギリで何とか駆け込んだ後で、猛烈な腹痛で救急車を呼ばれかけた挙句の帰り道。


 次の日が休日なこともあり、帰宅の道で普段ほとんど人とすれ違わないこともあり、トイレ代としてストロングでロングな缶を買って半分くらい飲んだ頃。



 僕の体質的には、記憶も歩行能力も言語能力も問題なく働くけど、少しばかり遠慮というか、警戒心が薄くなっていた頃。



 もうしばらくすれば草木も眠るような時間帯に公園のベンチで、パジャマの袖を腕に擦り付けて僅かな暖を取っていた少女を見つけた。髪はボサボサでガリッガリに痩せていて、見るからに不健康そうな青白い肌の少女だ。



 時間帯のことを考えれば警察に通報するべきだし、考えなくても関わるべきではない。間違いなくなにか厄介な事情があるだろうし、そもそも声をかける時点で下手すれば事案だ。


 何も見なかったことにしようと思って、モヤモヤする気持ちを流すべく缶を呷る。安っぽいエタノールを誤魔化す炭酸と、ベッタリとした人工香料のにおい。舌にこびりついたこれは念入りに歯を磨いても明日の昼まで残るのだと、嫌なことを思い出す。


 その不快感も流そうともう一呷りしても、込み上げてくるのは二酸化炭素と嘔吐感だけ。人工香料の甘ったるいにおいが鼻に抜けて吐きそうになる。


 ああ嫌だと、疲れとアルコールの中思い、たとえどうなったとしても自分は罪には問われないのだからと自分に言い訳しながら去ろうと考え、






 気が付いたら話しかけていた。


 自分に言い訳するのは本心ではそれを望んでいないからだとセルフ正論パンチかまして、何か冤罪かけられた時に助けとなるようにと僅かな充電残量で録音して、とにかく自分に不都合がないように最大限用意する。



 それだけ済ませて、圧迫感や不快感を与えないようにゆっくり近付く。様子見としてかけた言葉はこんばんは。これに対して返事をしなければ念の為警察に通報して終わりにするし、悪態や舌打ちが返ってくれば気にせず家に帰れる。




「ぁ……ぇと……こんばん、は?」



 それを望んでいたはずなのに、帰ってきてしまった挨拶。話しかけられると思っていなかったのか、目をぱちくりさせて、キョロキョロと周囲を見て、聞き返すかのように。



「こんばんは。こんな時間にそんな格好でどうしたの?」



 ちょっと夜風に当たりにとか、お散歩とか、危ないから程々にして帰るんだよと言えるような返答を求めつつ、格好からあまり期待しないで訊ねる。


 少し冷え込む中、ヨレヨレのパジャマで、大して整備されている訳でもない公園の薄汚れたベンチにちょこんと座っていて、そんな普通な理由なわけがないだろうと半ば確信を抱く。




「ぇっと……その、お、ぉ母さんに出てけって、も、もうかえってくるなって……」


「おま、お前のせいで再婚できないって、えっと、戸籍なくて、だから勝手に死ねっていわれて」


「……なにしたらいいかわからなかったから、お星さまみてました」



 どのような心境なのか、少女はへらりと笑う。言っている内容とその表情の差に、一瞬理解が追いつかなかった。


 その言葉が本当のことなのか、適当なことを言っているだけなのか、どうか適当なことであって欲しいと、そんな気持ちが湧き上がる。しかしそれも、明らかにサイズのあっていないくたびれたサンダルと、靴擦れで一部だけ真っ赤になった足を見た事で消えた。



「そっか……大変だったね」


 言えることなんて、それくらいしかなかった。


 とりあえず警察に連絡するべきだろうか。いやけど、本人は自分のことを無戸籍だと言っていた。どのような対応をされるのかわからないし、調べようとスマホを取り出したものの電池切れ。



「ぅ、ううん、大変じゃなかったし、困ってる訳でもないの」


「ただ、どうやって死ぬのが一番くるしくないかなぁって」



 そう言った少女の目には、光も、希望も、何かに対する執着も見られない。だから、目を離してしまえば本当に死を選ぶのだろう。それが餓死か凍死か他殺か自殺かはわからないが、きっとそうなのだろうと思った。



 死にたいから死ぬのではなく、苦しいから死ぬ訳でもない。死を特別視していない、と言えば一部の人は共感性羞恥に悶えそうだが、ようは死ねと言われてそれを拒否する理由がなかったから死のうとしているだけ。



 僕の目にはそのように映った。そして、それを飲み込むのがどうにも嫌だった。人工甘味料の不快さは丸一日もすれば抜けるだろうけど、今目の前にいるそれは一生引き摺りかねない。


 半分くらい残っていたアルコールを捨て、衛生状態が少し心配な水飲み場で水を飲む。



「死ぬのはとめないし、苦しくない死に方も教えてあげる。ただ、その前に少しだけ僕の話し相手をしてくれないかな?」



 自分が生きる理由を持っていなさそうな少女の、光の無い目が気に食わなかった。この先生きていたとしても、何もいいことなんてないだろうというような希望の無さが許せなかった。他の人に言われたくらいで躊躇いもなく命を投げ出すような執着のなさを壊したくなった。



「は、はなしあいて?わたしでよかったら、お、教えてくれるなら、いくらでもするよ?」




 僕の、突然でおかしな申し出に対して、少女は戸惑った様子を見せながらも受け入れる。とはいえ、戸惑った様子や言葉に詰まったりしているのは終始変わらないので、本人からすると普通の対応なのかもしれない。



「よかった。それなら、僕の家に来ない?ここは冷えるし、多分お腹も空いているよね。大したものじゃないけど、暖かいものくらいならご馳走するよ」



 まともな危機感を持っていれば、こんな誘いに乗るはずもない。乗ったとすれば、余程の無知か、自分をその対象外と考えているか、最初からそれを狙っていたかだ。



「おじさ……おにいさんのお家?うん、だいじょうぶだよ?」



 そして少なくとも、この少女が三つ目であるとは思えない。そんなに器用な子には見えないし、それならもっと釣りやすい設定があったはずだ。


 咄嗟に出た言葉でおじさんと呼ばれかけたとしても、そこについては気にしない。小学生から見れば大学生がおじさんおばさんなように、ミドルティーンと思わしき少女からすれば20代半ばの僕はおじさんだろう。別におかしいことではないし、気にしない。多少なりともショックを受けてるなんてこともない。



「よかったよかった。それじゃあ、着いてきてくれるかな?とはいえ、夜も遅いし、静かに移動しよう」



 僕の考えていることが当たっていれば、この子はきっとまともな生活を、人並みの幸せを知らない。何も知らずに、ただ何も無い中で全てを諦め受容している。それが気に入らないから、人並みの幸せを与えてあげたい。


 思わず目を輝かせてしまうような世界を見せてあげたい。あれがしたい、これがしたい、将来はきっとなんていう、夢とか希望を与えてあげたい。自分が死ぬ時に持っていたくなるようなものや、命の危機の間際に思い出して死にたく無くなるような、世界に対する執着を与えてあげたい。



 価値観を壊し、常識を崩し、当たり前を否定しよう。少女のためではなく、僕自身がそれをしたいから。義務感からではなく、ただの欲求として。



 昔の僕ですら持っていたものを、自分よりも若い少女が持っていないことが、どうしても気に入らないから。


「そんなに遠い訳でもないから、安心してね」






 こうして僕は、存在しないはずの少女を誘拐した。

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