初めてのお買い物(裏2)
いくら綺麗とはいえ、一人では不安で仕方がない外ですが、すぐに出てきてくれたお兄さんがそばにいてくれれば、それだけでもう怖くなくなってしまいます。
普段は家から出てそのまま歩いていくお兄さんが、誰も家に居なくなるからと鍵をかけている後ろ姿を眺めて、新鮮な気持ちになります。普段は見送って、少ししてから寂しく思いつつ閉めていますから。
車がどこにあるのかも、どれかもわからないので、お兄さんの後ろを歩きながら色々話しかけてみます。塀のこととか、草のこととか、建物のこととか。だって、どれもこれもわたしにとっては知らないもので、知らないことです。気にならないはずがありません。
ちょっとだけ歩いて、まあとりあえず車に乗ろうかと宥められます。わたしは悪い子ですが、意味もなくお兄さんを困らせたいわけではないため、素直に従って車の乗り方を教えてもらいます。
ドアを開けてもらい、足元に気をつけてと気を使ってもらい、閉めるから挟まれないようにねと教えてもらます。助手席に座り、シートベルトをつけると、思った以上にしっかり固定されました。
車の中をキョロキョロ見て、どれをどんな風に使うのかと疑問に思っていると、危ないから勝手に触っちゃダメだよと注意されてしまいます。もちろんそんなことをするつもりはありませんが、確かに今のわたしのテンションだとやってもおかしくありません。
出発した車から、流れる景色を見ます。色々な色の建物に、個性溢れる屋根の形。ガラス張りでスケスケな建物は、なにかのお店なのでしょうか。椅子が沢山並んでいたり、商品が並んでいたりします。少なくとも、普通の民家ではないでしょう。
道路に描いている線や文字、看板や標識なども、初めて見るものばかりで新鮮です。思わずもっと近くで見たくなって、窓ガラスにピッタリくっついてしまいました。
最初は顔もくっつけてしまいましたが、自分の吐く息で曇ってしまったため、逆に見にくくなったからやめました。お兄さんに笑われたのが、少しだけ恥ずかしかったです。
けれど、顔こそ付けなくなったものの、外を見るのが楽しいことに変わりはありません。明るい中で外を見る経験がなかった上に、この場所はお兄さんがいる場所です。つまり、わたしにとって安全な場所です。
その場所から考えれば、何も怖くはありませんでした。だって、わたしが一番信頼しているお兄さんがそこにいて、存在を認めていてくれているのです。
とても早いけれども、まだ目で見て判断できる速度であったそれは、とある交差点を曲がるのと同時に、比べ物にならない速度に上がりました。体が、助手席のシートに押し付けられます。
わたしが自分の足で歩くのとは、大違いです。こんなに早くて、こんなに快適で、こんなに便利なものがあるのなら、それは経済も発展するよなぁと、よくわからないことを考えてしまいます。
突然加速して、後ろ方向に押さえつけられる感覚が少し面白くて、変な声が出ました。
先程までの、どこかのんびりとした走りから一転して、倍くらいの速度で走り出した車の中で、引っ張られるような感覚が無くなると、前後や右にたくさんの車が走っており、左側には人も歩くようになりました。
お母さんとお兄さん以外では、始めてみる生きた人です。もっと見たいと思うのとともに、やっぱり少し怖くも思います。
だって、わたしがこれまで会ってきた人は2人とも優しかったけれども、他の人もみんなが優しいわけがありません。そんな、わからない人がたくさんいる中に行かなくてはならないのです。
「車って、人って、こんなにいっぱいいるんですね」
そんなことを考えていたら、ついこんな言葉が漏れてしまいました。独り言のつもりもない、ただ出てきてしまっただけの言葉。
それだけで聞くとただの感想ですが、わたしの弱い心が出てきてしまったものです。
「そうだね。これから行くところにはもっとたくさんの人がいるし、都会の方とかに行けばどうしてぶつからないのかが不思議なくらいたくさんの人が歩いているね」
そのことを察してでしょうか。いえ、お兄さんのことですから、まず間違いなく察していますね。そのうえで、試しているのではないでしょうか。わたしが突然、無茶なことをやろうとして、本当にやり遂げられるのか。
落ち着いて考えれば、わたし自身ですらこのお買い物を成功させられる気がしません。そもそも通るはずがないと思っていた要望のため、まともに検討すらしていなかったからです。
……本当に、どうしましょうか。お兄さんが一緒にいてくれているからこそ、あんなに高いテンションをキープすることも出来ていましたが、トイレなんかで一人で行動しなくてはならなくなったら、立っていられるかすら怪しいです。
もうこわいからおうち帰りたいと思いながらも、そんなことを言ってお兄さんに呆れられたら、見放されたらと思うともっと怖くて言えません。なんでわたしは知ったばかりのドアインザフェイスなんて使ってしまったのでしょうか。素直に最初から、通販を使わせて欲しいと頼めばよかったのです。
過去の自分の迂闊さ、と言うよりも、判断能力の低さに頭が痛くなります。いえ、今考えても、どうして連れてきてくれているのかがわからないので、過去のわたしだけではなく今のわたしも同様なのですが、どちらにせよだめだめです。もっとお兄さんへの理解度を高めなくてはなりませんね。
とはいえそれは後回しにするとして、今はこのお買い物を無事に済ませる方法を考えます。わたしの精神的な安定としては、お兄さんにずっとおんぶでもしてもらえば大丈夫だとは思います。恥ずかしさや申し訳なさで、別の意味で大丈夫ではありませんが、人としての尊厳は守られると思います。……わたしに人としての尊厳があるのかはわかりませんが。
それはともかく、これではあまりにもお兄さんに負担をかけてしまうことになるので、さすがにいけません。重りを背負った状態で他人の買い物をしなくてはいけないなんて、ほとんど修行みたいなものです。
だからそこまで頼むつもりはありませんが、多少以上の迷惑をかけてしまうことは避けられません。体調を崩してしまえば面倒を見てもらうことになるでしょうし、歩きすぎて動けなくなってしまえば休まなくてはなりません。
「おにいさん、あの、今から行く場所で、困ったら、助けてくれますか?」
これは、すっごく厚かましいお願いです。迷惑に迷惑を重ねて、恥でコーティングしているようなものです。
けれど、わたしは悪い子なので、そんなことを頼んでしまいます。これで嫌われたら嫌だなー、もう生きていけないなぁー、と思いはしますが、わたしには頼むしかありません。
『もう黙って。これ以上煩わせないで』
ダメだと言われてしまったら、素直にごめんなさいを言って引き返してもらいましょう。だって、無理なものは無理です。ダメだと言われたなら、怒られたり呆れられたりすることを覚悟して、お家に帰るしかありません。
「もちろん。どんな小さいことでも、すぐに何とかするから、安心して頼ってね」
怖くて、不安で、お兄さんの方を見れなくなっていたわたしにかけられたのは、そんな優しい言葉でした。始める前から迷惑をかけていて、これからもっと迷惑をかける前提で、他力本願なことを言われたはずなのに。怒っていいはずなのに、お兄さんの言葉は暖かくて優しいです。
恐怖も、不安も、無くなってしまいます。お兄さんはいつも、わたしに安心と温かさをくれます。体から力が抜けて、起こしていた頭がポスンと倒れます。あんまり柔らかくなくて、ちょっと収まりが悪いです。
一度下がったテンションに、安心まで加わってしまったので、またはしゃぐことも出来ずに車の中の時間を過ごします。雲の形の話とか、そんなことをポツポツと話すだけの、のんびりとした時間です。
もう買い物とかいいから、ずっとこの時間が続かないかなぁと思っているうちに車建物の中に入っていきました。ぐるぐる回りながら上っていき、着いた場所は屋上です。
他に車がないところに止まり、降ります。そっと開けようと思ったのに、思いのほか勢いよく開いてしまったドアに驚きつつ、つい少し前までずっと続けばと思っていたことも忘れて、この先にある知らないものたちへの興味が湧き出てきます。
怖いのも不安なのも、少しはありますが、一拍遅れて降りてきたお兄さんがいれば、そんなものは気になりません。
どこに何があるかもほとんどわからない状態で、お兄さんに誘導されて少し離れた入口のような場所に向かいます。それ以外だと先程上ってきたぐるぐるしかないので、迷うこともないのかもしれませんが、一直線です。
気になるかもしれないけど他の車には触らないようにねと念を押されつつ、たどり着いたそこにはガラスの扉。近付いただけで左右にスライドし、道が開きます。すごく不思議です。
ピカピカでツルツルな床に、カラフルな写真が貼られた大きな箱。お兄さんいわく、アイスの自動販売機だそうです。不思議なものがいっぱいで、すごく不思議です。
大きな建物にあると知って、調べておいたエレベーターがやってきます。調べていたもののままで、同じようにボタンが付いていて、数字が割り振られています。お兄さんがその中の、3が書かれたものを押し、少し浮遊感があったあと、本当にポーンと音が鳴ってドアが開きます。
本当にこんなものがあるんだと少し感動しましたが、その直後に開いたドアの先に人がいて、固まってしまいます。どうしたらいいのかわからなくなって、歩くことすら忘れてしまって、すぐに察してくれたお兄さんに背中を押されるまでなにも出来ませんでした。
『誰にも見つからないように、静かにしていてね』
『昼間に音を立てるなって何回言ったらわかるの?お前は見られちゃいけないんだから、押し入れにでも籠ってなさい!』
いえ、お兄さんに背中を押してもらったあとも、何もできません。人が、います。一人や二人ではなく、たくさんの人がいます。たくさんの人がいて、わたしを見ています。それがこわくて、こわくて、こわいです。
全身から体温が消えて、息が上手に吸えなくなって、耐えきれなくなって、お兄さんの服をつかみます。お兄さんがいてくれなければ、わたしはきっとすぐに座り込んで、酷いことになってしまいます。
胃の中がぐるぐる混ぜられるような感覚を必死に耐えます。ゆっくり誘導してくれるお兄さんについて行って、人気の少ないベンチに座ります。
覚悟は決めていたのに、わかってはいたはずなのに、考えていたよりもずっと、人は怖いです。
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祝PV1000!!
隙間産業のさらに隙間だから体感的にはめちゃくちゃ多いと思っています(╹◡╹)
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