うれしいことと……(裏1)

 毎日少しずつ編み続けてきたマフラーがようやく出来上がって、その出来を確認します。


 編み目がおかしいところはないか、不細工になっていないか、最終チェックです。とても気を付けながら編んでいたので、今更見つかることは無いと思いますが、おかしなところにあったら最悪一から編み直しです。



 幸いおかしなところは見つからなかったので、完成です。だいぶ時間がかかって、もうお兄さんはマフラーを使っていますが、大丈夫でしょうか。もう持っているからいらないなんて言われてしまったら、心がポッキリと折れてしまいそうです。




 どのタイミングで渡すのが一番かを考えながら、いつもよりちょっと早い夕食の支度を始めます。時間的にちょうどいいのと、やり遂げた実感でほかのことをする気になれないからです。



 理想としては、お兄さんがのんびりして油断している状況。とはいえあんまりにものんびりしている時だと反応が鈍いかもしれないので、程々の状態です。眠そうにしている時や、疲れている時などは、ないとは思いますが素っ気ない対応をされてしまうかもしれません。ああ、とか、うん、とかしか言ってもらえなかったら、きっとわたしは後で泣いてしまいます。



 お兄さんの様子を見ながら、ベストな状況を待っているうちに、この日は終わってしまいました。お仕事が大変だったようで、すごく疲れたように帰ってきたからです。次の日には同僚と飲み会に行くことになったからご飯はいらないと、遅くなると言っていたので、翌日もダメです。酔っ払っている状態のお兄さんではなく、いつものお兄さんに渡したいからです。



 ようやく完成して、渡せるのがいつかいつかと待ちに待ってのその翌日。土曜日で休日だったため、朝からお兄さんはいます。そろそろ渡さないと、どきどきとわくわくでおかしくなってしまいそうです。二日酔いになってしまったらしく、朝は見送って、お昼寝明けの午後二時。お昼ご飯の時に、体調はすっかり治っていることを確認したため、隠してるだけで実は体調が悪かったなんて事故も恐らくありません。


 今しかないだろうと、お兄さんが用意してくれた私物入れの中から、畳んで入れていたマフラーを取り出します。



「あの、お兄さん、実は最近、お兄さんが使ってくれるんじゃないかと思って、マフラーを編んでみたんです」



 お兄さんの前に、マフラーを差し出します。おそらく反射的に受けとったお兄さんが、広げてまじまじと眺めます。



「隙間時間を見つけながら、毎日少しずつ編んでたんです。ちょっと遅くなっちゃいましたけど、使ってもらえたら嬉しいです」



 今のところ、喜んでくれているようには見えないです。怖くなって、要らなかったらわたしが使うのでと伝えます。大丈夫、のはずです。受け取ってくれるはずです。もうマフラーを持っていたとしても、たとえ使わなかったとしても、受け取ってはくれるはずです。


「ありがとう、すみれちゃん。次から是非使わせてもらうよ。……いや、こんなにいいものなら使わずに飾っておくのもありかもしれない」


 もう使っているマフラーがあるのに、突然マフラーを渡されても迷惑だったかな、ひとつあれば十分なのに、2つ目なんて邪魔だったかなと不安に思っていると、お兄さんはそんなことを言ってくれました。


 ちょっと残っていた不安が晴れます。安心で、表情が緩んでしまいます。飾れるほど立派なものではないから、ぜひ使ってほしいとお兄さんに伝えます。本当に飾ってくれるなら嬉しいですけれども、せっかく作ったのに使ってもらえないのは寂しいですし、ちょっと恥ずかしくもなってしまいます。



「さすがに飾るのは冗談だけど、それくらいいいものを貰ったと思っているし、嬉しいと思っているのは本当だよ。こんなにいいものを貰ったんだから、何かお礼をしないといけないね」



 使って貰えそうなことに安心して、喜んで貰えたことが嬉しくて、ほっとしているとお兄さんがおかしなことを言い出します。わたしが日頃の感謝のお礼に作ったものに対して、さらにお礼をするというのです。


 お兄さんが受け取ってくれたことに、わたしがお礼をするのならともかく、受け取ってくれたお兄さんがなにかするようなことではありません。一言のありがとうだけで、使ってくれると言う言葉だけでわたしは満足なのです。


 そのことを伝えると、お兄さんはマフラーの編み目を見ながら、丁寧な編み方だと、細かい仕事だと、わたしが拘って頑張ったところを褒めてくれます。簡単に作れるものではないと、とても時間がかかるものだと褒めてくれます。


 褒めてくれて、その上で、この頑張りにはもっと報酬がないといけないのだと言ってくれます。最初の言葉だけで満足だったのに、そんなに言ってもらえたらもうオーバーキルです。


 なんでもいいから欲しいものをして欲しいことを教えてと言うお兄さん。わたしの欲しかった言葉を言って、それ以上のものまで言ってくれたのに、さらにもっと欲しがれと言います。わたしが断れないようにめちゃめちゃに褒めてからそんなことを言うなんて、お兄さんはずるい人です。



「えっと、その……お兄さんが嫌でなければなんですけど、ギュッてしてほしいです。頭を撫でながら、褒めてほしいです」


 そんなずるい人なお兄さんに、頭の中をぐちゃぐちゃにされて、ふにゃふにゃな脳みそからこぼれてしまったのはそんな言葉でした。これまで何度も何度も思いながら、お兄さんに迷惑をかけてはいけないと、お兄さんに嫌がられたらと思うと、ずっといえなかったお願いです。たぶん、今でなければずっと伝えることが出来なかったお願いです。



 そんなことを、そんなことならいつでもいいのにと言って、お兄さんは手を広げます。こういう時は、前からいくのがいいのでしょうか。後ろからというのもいいとは思いますし、横向きでというのも魅力的ですが、一番スタンダート?な向かい合っての状態でいきます。



 重たくないか心配しながらお兄さんの膝の上に座らせてもらい、背中に手を回します。お母さんや瑠璃華さんとは違って、ゴツゴツしていて、硬い体です。


 ちょっと体を持ち上げれば、すぐに目線が合うところにお兄さんの顔があります。10センチも動けばおでこがくっついてしまうような至近距離です。目が合って、少し恥ずかしくって顔を俯けます。


 石鹸の香りと、汗の匂いと、柔軟剤の香りと、うっすらと残った二日酔いの匂い。何故か不思議と、安心できる匂いです。もっとドキドキしたりするものなのだろうと思っていたのに、びっくりするほど安心感しかありません。



 ぎゅっと、抱きしめられます。頭の上に、大きな手が乗せられます。こうしているだけで安心できて、幸せで、満たされます。


「おにいさん、できれば、もっとつよくしてください」



 わがままな子です。でも、お兄さんが欲しがれと言ったのだから、しかたがありません。ぎゅっと締め付けられ、ちょっとだけ苦しくなります。苦しいはずなのに、お兄さんにしてもらっていると思うと、苦しいのもまた嬉しくなります。


 たまに撫で方を変えてもらったりしながら、幸せな時間は過ぎて、終わります。もっと、ずっと続けばいいのに、始まったからには終わりが来てしまいます。



 お兄さんの手が止まって、腕が離されます。もっと続けて欲しい気持ちはありますが、そこまでわがままを言ったらこのままわたしがねむるまでずっと続けてもらう羽目になるので、さすがに諦めます。



「まあ、こんな感じかな。こんなことで良ければ、お礼でもなんでもなくいつでもするよ」



 そう言ってくれたのは、きっとお兄さんの優しさです。わたしが気にしないように、言ってくれているのでしょう。もし本心からなら、お兄さんはこれから家でずっとわたしとくっ付いていることになってしまいます。抱っこ紐が必要になるでしょう。



「ありがとうございます。……その、お父さんがいたらこんな感じだったのかなって、嬉しかったです」



 さすがに面と向かって、幸せで気持ちよかったですなんて伝えるのは恥ずかしかったので、ちょっと言葉と伝え方を選びながらお礼を言います。ゴツゴツした感触から、最初少しそう思ったことも嘘ではありません。



 離れてしまった温かさと、そこから伝わっていた幸せが無くなってしまい、ぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感が残ります。またすぐに抱きしめてほしくなりますが、ここで欲求に負けたら、きっとわたしは完全に駄目になってしまうでしょう。


 我慢して、我慢して、また理由があればお願いしても大丈夫なことに気付きます。理由なくしてもらったら駄目になってしまっても、ご褒美であれば逆にモチベーションになるのです。


 また、お兄さんがお礼と言ってくれそうなことは、何があるでしょうか。ちょっと前までぽやぽやしていた脳みそを必死に働かせて、考えます。


 お兄さんは比較的寒がりで、最近は外出の度にいつもフル装備です。今回わたしが贈ったマフラーもそこに加わることになるわけですが、そこの周りで何かいいものは用意できないでしょうか。


 帽子や耳あて、ネックウォーマーなどを考え、そういえば最近手袋がヨレてきたと呟いていたことを思い出します。マフラーを選んだ時にはサプライズで渡したかったから見送りましたが、サプライズにこだわらなければお兄さんの手のサイズは調べられますし、いいかもしれません。



「えへへ、実は手袋も編んでみたいって思ってるんですけど、お兄さんは編んだらつけてくれますか?」


 サプライズじゃないからお兄さんの前で編むこともできてかかる時間も短くなるでしょう。そうすればまた抱きしめてもらえるかもしれません。そのことを想像してにまにましながらお兄さんに聞いてみると、よろしくと言われます。


 早速お兄さんの手の大きさを調べさせてもらって、温かくて大きい手をむにむにします。そうしているだけで楽しくって幸せになるので、お兄さんはずるいです。ちゃんと調べながら、半分くらいはお兄さんの手を堪能するためだけに使って、調べ終えます。


 途中、このまま手を頭に誘導したら撫でてくれないかななんて邪心が湧きますが、理性の力で留めます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る