水族館と網焼き

 すみれに魚の捌き方を教えると約束してから6日後、僕はすみれと一緒に、水族館に来ていた。


 いや、勘違いしないでほしい。あまりまともでは無いかもしれない僕だが、これから食べる魚が生きている姿を観察して、そのうえで締めて捌いて美味しく食べようね!!これも食育だよ!!なんて実行するような人間では無いし、そんなことはこれまで考えたこともない。


 ただ、ここの水族館が水族館としてはだいぶ異端な部類で、一階で新鮮な海鮮食品を扱っていて、2回では網焼きと水族館を経営している場所なのだ。


 ただ水族館に来たのではなくて、メインの目的は一応、一階の海鮮食品である。とはいえわざわざ水族館にまで来て何も見ずに買い物だけするのも野暮だろうから、2000円しないくらいの入館料を払って入る。



「わぁ……」


 ごく自然にすみれと手を繋いだ状態で入場ゲートを潜り、薄暗くて青い空間に入る。僅かなあかりが水槽を照らして、その中で色とりどりの魚が泳いでいるのは、初めて見るであろうすみれが感嘆の声を漏らしてしまうくらいには幻想的だった。



 そんな中で、すみれが見たいというのに任せて、片っ端からゆっくりと展示されている魚を見ていく。入ってすぐの瑠璃色の小魚から、有名な映画作品の魚じゃないと書かれたカクレクマノミ、すみれの好きなクラゲなどを見ながら、展示されている魚たちを少しずつ見ていく。



「お兄さん、このお魚、すっごく見つけ難いです!!」


 そんなふうにすみれが話題にあげたのは、展示されていたオニオコゼ。見つけ難いだけではなく、背びれに毒を持っていること、実はそこそこの高級魚で、美味しい魚として有名なことを教える。半分くらいは、水族館の説明でわかる事だったが、味や値段なんかは説明論に書くのが偲びなかったのか、カットされていた。そのおかげで、すみれから見た僕は一端の知識人である。気分はいいが、実態はそれほど立派なものでは無いので心苦しいところがあったりなかったりだ。



 すみれの趣味に従って、主にクラゲなどの生き物をメインにした観察をする。本人がこよなく愛した図鑑の傾向に関係するのかしないのか、一番テンションの上がっている場所は幻想的なライトアップの施されたクラゲたちのスペースだった。



 これ自体は、仕方がない。すみれをここまでつけれてきた時点で、きっとクラゲや深海の生き物など、美しくも儚いもの、より正確には、すみれの愛読書である、“美しい海の生き物図鑑”

 に掲載されるような生き物たちへの執着は予想していた。


 クラゲたちのスペースを通り抜けて、たどり着いたのは触れ合いコーナー。触られてもそこまでストレスを感じない生き物たちが、触ってもそれほど有害な影響を与えない生き物たちがいるコーナーだ。



 頭を触らないように言及された亀や、なんの関係もなさそうに縮こまっているナマコの姿なんかが見られる中で、ガラスにピッタリとくっつくヒトデに、すみれが手を伸ばす。


「……もっと柔らかいのかと思ってたんですけど、意外と硬いんですね……なんというか、不思議な感じです」


 おっかなびっくり指先でつんつんつついて、驚いた様子のすみれがつぶやく。他にも触れ合える魚がいるので、すみれが触っているのを眺めて、たどり着いたのはドクターフィッシュの前。


「お兄さん……その、良ければ一緒に手を入れませんか?」



 前の人が手を入れていた時の、集りに集った小魚の群れを、その様子を見て少し怖くなったらしいすみれが、掴んだままの僕の左手を引っ張りながら言う。


 当然、と言うべきかは分からないが、すみれから頼まれたのなら僕が拒否することはない。もちろん、あまりにも無理なことや抵抗があることであれば話は別だが、このことはそんな内容では無いので、関係ないだろう。


 もちろんと返して、一緒に手を水槽の中に入れる。すぐさま群がってくるドクターフィッシュと、それに表皮を食まれる擽ったさ。人によってはこれが癖になったりするのかもしれないが、僕はあまり好きではなかった。なんというか、変な感覚が首筋で疼く。



「……なんかこう、むじゅむじゅします」


 少しして、モゾモゾと体を動かしてから我慢の限界が来たらしいすみれが、手を水槽から出してからそう言った。ムズムズかと思って聞き直してみたが、むじゅむじゅでいいとの事。言いたいことはわかるが、不思議な擬音だ。


 手洗いを済ませて道なりに進むと、もう展示は終わりだ。順路で進むと終わりと言うだけで、一度通り過ぎたところを戻っても問題ないため、まだ観ておきたいものがないかすみれに確認してみると、クラゲのところをもう一度見たいと言う。それなりに長い時間をかけて見はしたものの、まだ見たりなかったのだと。


 すみれが楽しめるのであれば、全部合わせて1時間くらいであれば、変化のない光景でも耐えると決めた僕にとっては、ある意味想定の範囲内であったため、3種類くらい連続で展示されているクラゲコーナーに戻る。もっと大きな、ちゃんとした水族館であれば、クラゲコーナーももっと大きくなるのかもしれないが、ここの水族館で見られるのはそれくらいのものだ。



 けれども、数が少ないだけで、その展示方法に手を抜いているなんてことは、ない。少なくともすみれがもう一度見たいと思うほど、僕もそれを聞いて、いいなと思ってしまうくらいには、その展示方法は考えられていた。



 紫がかった光が、クラゲたちを照らしていた。直接光ではなく、間接光。けれど、それによってクラゲたちは紫色に照らされて、ゆっくり時間をかけながらその光の色を青、緑、赤と変えていく。



「おにいさん、お願いがあるんです」


 光がまた紫に戻ってくるのを、3回繰り返して、ただ無言で、色の移り変わりとクラゲの泳ぎを見ていた僕に対して、すみれはそう切り出した。


「わたし、お兄さんの事が大好きです。お兄さんのことを誰よりも大切に思っていますし、お兄さんのためならなんだって出来ると思っています」


「それなのに、わたしはこんなに大切に思っているのに、お兄さんがわたしのことを、すみれちゃんって呼ぶのが、悲しいんです。切ないんです。わたしの、いちばん大切な人には、わたしのことを呼び捨てで呼んで欲しいんです」


 不安によるものだろうか、僕の左手にキュッと力を込めながらそう言うすみれの右手に、優しく力を込める。


「すみれ」


 そう、一言声に出した。ずっと頭の中では呼んでいた呼び方で、こんなふうに馴れ馴れしい呼び方をされたら嫌だろうから、これまで口に出したことのなかった呼び方だ。


「すみれ、僕がすみれのことをすみれと呼ぶのなら、すみれが僕のことをお兄さんって呼び続けるのもどうかとおもうんだ」


 実はこれまでもこんなふうに呼ぼうとしたことがあるのだと白状してから、だから僕のこともお兄さんじゃなくて名前で呼んでくれないかと、要望を伝える。



「えっと、……その……り、りん、さん……?」


 下から見上げるその顔はしだいに、ライトのせいではないであろう赤に染る。



「…………っ!はずかしいです!なんか、すっごく恥ずかしいです!」


 お兄さんはお兄さんのままです!わたしのことは呼び捨てで呼んでください!というすみれ。もう少しからかってあげたら、もっとかわいいところが見れそうではあったが、やりすぎて拗ねさせてしまうわけにもいかないのでやめておく。





 こっち見ないでくださいと言ってクラゲに向き直ってしまったすみれが満足するのを待って、今度こそ見たいものを全部見たことを確認して、水族館から出る。時間はちょうどお昼頃。



 併設されている網焼きの店に入って、魚介を焼く。時期的に牡蠣が美味しいこともあり、ガンガン焼きを頼んで、待ち時間に他の貝やエビなんかを焼く。



 ホッケや焼きおにぎりなどを途中追加で注文しながら、すみれが満腹になるまで食べさせる。魚介以外に、肉もあったが、今日は魚介の日と決めていたらしく肉が頼まれることは無かった。



 会計を済ませて1階に降りれば、ようやく今日のメインだ。まだ生きている魚から、刺身に加工されたもの、切り身、干物まで、様々な状態の魚介が揃っている。


「今日の目的は1匹の状態の魚。選び方のポイントはわかるかな?」


 網焼きの店を出てすぐに僕の左手に収まったすみれに、質問をしてみる。わからないのが当然だと思っての質問だったが、すみれはその辺もしっかりと調べていたようで、新鮮な魚の見分け方をスラスラ口にした。


 内容も正しかったので、それじゃあ実際に選んでみようかと、すみれに任せてみる。難しそうな顔でしばらく魚と睨めっこして、あまりわからなかったと諦めるすみれに、ここの魚はどれも新鮮だからどれを選んでも対して変わらないのだとネタばらし。次からここの魚を基準に考えてごらんと伝えると、すこし不服そうにむくれていたが、そこまで大きくないものを4尾ほど選んで買ったら、今日の買い物は終わりだ。



 あとは、家に帰って捌き方を教えるだけである。





 ───────────────────────────



 濃厚接触者で自宅待機になったんですけど、やらなきゃいけないことがないとやりたいことすらやる気が起きないものですね(╹◡╹)


 書こう書こうと思いながらこの始末(╹◡╹)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る