楽しい楽しい?お泊まり会(裏2)
出張の前日、お兄さんの明日の朝ごはんとお弁当を作って、冷蔵庫にしまいます。本当は朝に出来たてを出したかったのにと、内心でぼやきますが、お兄さんに食べてもらうものである以上、当然手抜きはしません。
出張なら、行った先でなにか食べたいものがあるだろうと思って、お弁当を作るのはやめておこうと考えていましたが、移動中に軽くつまめるものが欲しいと言われたのでサンドイッチを用意します。おにぎりも考えましたが、冷蔵庫で冷やすとどうしても固くなってしまうため、不採用になりました。
朝ごはんの分は、焼き魚とおひたしに晩御飯の残りのお味噌汁です。お好みで漬物と納豆もどうぞと伝えておいたため、しっかり食べて行ってくれるでしょう。
瑠璃華さんの家に行く前に、最後の確認を済ませます。賞味期限が近いものも残っていませんし、洗い物も終わっています。長期間家を空けると排水溝の匂いが大変だと見たので、ラップをかけてもらうようにお兄さんにも言いました。
掃除もできていますので、安心して出発します。お泊まり用のセットをまとめた、大きめのリュックを背負って、鍵をかけます。念の為一度ドアノブを回してみて、開かなかったので一安心です。
家の前にお兄さんが着けて、待っていてくれている車に乗りこんで、そのまま発進です。以前までは準備を待ってもらって、その後で一緒に移動していましたが、わたしが一人で外に出れるようになったので、もうそこまでしてもらう必要も無くなりました。少し寂しくはありますが、これも成長なのでしょう。
これからしばらく離れることになるため、寂しくならないように車の中で沢山お話をします。さっき食べた晩御飯の話だったり、明日の分の朝ごはんやお弁当の話だったり、テレビの話だったり。
食べ物の割合が多くなってしまいますが、お兄さんとお話をすることが目的なので、内容はなんでもいいんです。とはいえ、食べ物のことしか考えてない子だとは思われたくないので、もう少し会話のネタを集めておくべきかもしれません。
少しの間そんな風に過ごして、車が止まったのはわたしの知らないお店の駐車場でした。そこから少しだけ歩いて移動して、着いたのは一つのマンションです。
慣れた様子のお兄さんが、自動ドアの前にある操作盤になにかの番号を打ち込んで、呼出音を鳴らします。これが話に聞くオートロックマンションというものでしょうか、いくつか間を置いて、瑠璃華さんの声が聞こえます。
いくつかの問答を経て、自動ドアが開きました。お兄さんに案内されてエレベーターに乗り、着いたのは408号室です。ドアの前のインターホンを鳴らすと、満面の笑みの瑠璃華さんが出てきました。
「すみれちゃんいらっしゃい!いやー、このときを待ってたんですよ。あ、先輩お疲れ様です。もう帰っていいですよ」
それじゃあと帰ろうとするお兄さんと、嘘だから待って、お茶くらい飲んで言ってと慌てて引き止める瑠璃華さん。仲の良さがわかります。
「とりあえず中へどうぞ。せま……先輩の家よりは広いところですが」
直後にお兄さんにおでこをピンッと弾かれて、いたーいと訴える瑠璃華さんに、思わずクスリと笑いがこぼれます。本当に仲が良くて、楽しそうで、羨ましいです。
玄関の横に飾られた花の香りでしょうか。部屋に入るといい香りがして、不思議と落ち着きます。
部屋の中に案内されて、ソファで待つように言われて、お兄さんと二人並んで待ちます。少しすると、瑠璃華さんがお盆に乗せてカップとお皿を持ってきました。
「本当は紅茶を入れたいところですけど、この時間ですからねぇ。ハーブティーとチーズケーキです」
コトッと、ソファの前のテーブルにケーキとお茶が置かれます。2種類のいい香りが混ざって、ふわふわします。
わたしが自分で作ってみた時に失敗してしまったチーズケーキとは違って、この前ちょっといいお店で買ってみたものと同じくらい美味しくて、びっくりします。見た目もとっても綺麗です。
それを伝えると、瑠璃華さんは嬉しそうに笑いながら、お菓子作りが得意なことと、わたしのために焼いてくれたことを教えてくれました。
食べ終わって、少しするとお兄さんが帰ります。排水溝のラップを忘れないように念を押して、気をつけてくださいと送り出しました。
「なんか今のやり取り、母親と息子みたいでしたね」
プッ、と笑いながら、瑠璃華さんがそう漏らします。お母さんみたい、だったのでしょうか。いつも心配してくれて、気にかけてくれていた、お母さんみたいに見えたのでしょうか。
お母さんからもお兄さんからも、心配された経験しかないので、全く予想外の言葉でした。
お母さんやお兄さんにちょっと近付けたのかなと、少し嬉しくなりかけて、実際には一人でお留守番すら任せてもらえないことを思い出し、落ち込みます。
「そうだっ、すみれちゃん、お風呂入りましょう!」
わたしの雰囲気が暗くなってしまっていたのか、切り替えるように瑠璃華さんが切り出します。
ちゃんとお手入れできているのか確かめるためと熱弁する瑠璃華さんに流されて、そのまま気がついたらお風呂場にいました。
さっきお風呂上がったばかりだからと、かけ湯だけして湯船に浸かった瑠璃華さんに見守……ガン見されながら、貰ったものと同じシャンブーやトリートメントを使います。最初普通にワンプッシュ使っていて、ある日値段を調べてからは恐ろしくて半プッシュしか出来なくなったやつです。
「うん、問題ありませんね。ちゃんと洗えていますし、トリートメントも頭皮には付いていません。体を洗う時はゴシゴシしすぎないで、もう少しだけ優しく洗いましょうか」
いつも使っているタオルとは違って、柔らかいスポンジだったので念入りに洗っていると、瑠璃華さんから洗いすぎだと言われました。なんでも、洗いすぎると乾燥や体臭の原因にもなるらしいです。
臭いと言われるのも、思われるのも嫌なので、ちゃんとした洗い方を瑠璃華さんに教えてもらいます。
「それじゃあすみれちゃん、湯船にどうぞ。ちょっと狭いと思いますが、向かい合ってはいるのと、私に後ろから抱きしめられながら入るのならどっちがいいですか?」
一緒に入らない、とは言わせてくれなさそうな瑠璃華さんに、まだ比較的恥ずかしくなさそうな対面を希望して、三角座りで小さくなります。
もっとリラックスしてくださいと脇腹をつま先でつつかれたり、言われた通りリラックスすれば顔にお湯をかけられたりして、わちゃわちゃしながらお風呂を上がる頃には、すっかり疲れてしまいました。
「ほらすみれちゃん、そんなふうにぼーっとしてないで、お風呂上がりにはすぐにスキンケアですよ。今は何もしてなくてもすべすべモチモチかもしれませんけど、油断してるとすぐ乾涸びちゃいますからね」
疲れてぼーっとする原因を作った瑠璃華さんが、全くもうと言いながらわたしの顔に液体をぺちぺちぬりぬりします。されるがままになって、目を閉じたり開けたりします。
「瑠璃華さん?何してるんですか?」
突然わたしのほっぺたを摘んだまま動きを止めた瑠璃華さんにそう聞くと、無言で伸ばされます。引っ張られて痛いです。
何とかやめてもらって、どこまで伸びるのか試したくなったと悪びれることなく言う瑠璃華さんに、そんなに伸びそうだったのかと聞きます。
「もうお餅が付いてるのかと思いましたもん。ぷにぷにもちもちで、ついビンタしたくなるほっぺです」
「ぴぃっ」
未だにわたしのほっぺたから手を離さず捏ね回しながら、真顔で怖いことを言う瑠璃華さんに、思わず悲鳴が漏れます。
「あはは、半分くらい冗談ですから大丈夫ですって。こんなかわいいすみれちゃんにビンタなんてしたら、私が先輩に怒られちゃうからやりませんよ」
冗談ということにして誤魔化そうとしてるけれど、ビンタをしたくなったこと自体は本当なのでしょう。なんというか、本当にわたしはここにいても大丈夫なのでしょうか。少し心配になります。
そんなことよりと話を変えられて、瑠璃華さんからスキンケアの種類やその使い方なんかを教えてもらいます。
「はい、次で最後です。あとは身体中によーく塩を揉み込んでください」
言われた通りに塩の入った壺を手に取って、すぐに瑠璃華さんに回収されます。そんなんじゃ食べられちゃいますよー、にゃあにゃあ、なんて言われてようやく自分がからかわれていたことに気づいて、恥ずかしくって赤くなります。
ほらほら、もう遅いし寝ましょうと瑠璃華さんにベッドまで連れていかれて、ひとつしかないそこに一緒に横になります。
「夜ふかしと寝不足はお肌の敵ですからねー。それにしてもすっかり信じちゃうなんて、すみれちゃんはやっぱりかわいいなぁ」
そんなんじゃいつか本当に食べられちゃいますよ、と言いながらわたしのことをぎゅっときつく抱きしめる瑠璃華さん。柔らかくていい匂いがしますが、それよりも苦しいです。
「キュートアグレッションってやつです。人って、小動物とか赤ちゃんとか、かわいらしいものを見ると攻撃的な欲求が強くなる生き物なんですよ。だから、すみれちゃんがかわいすぎるからかもしれませんね」
なんでさっきからこんなに怖いことを言ったりしたりするのかと聞くと、瑠璃華さんはそんなことを言って、わたしのことを擽りだします。
「なーんていうのはあんまり関係なくて、先輩がいなくてすみれちゃんが寂しそうにしているのと、私がすみれちゃんの色んな表情を見たいだけですよー」
話している内容の半分くらいが入ってこないくらいくすぐられて、不意に優しく抱きしめられます。
「こうしていれば、あんまり寂しくないでしょ?すっごく楽しみにしていたから、すみれちゃんにも笑顔で楽しんで欲しいんですよ。……すみれちゃんは、笑顔でいるのが一番かわいいんですから」
“すみれは笑顔でいるのが一番かわいいんだから”
そっと頭に触れる、細い指。その感触に、懐かしさと安心感を感じて、わたしの意識はスっと眠りに落ちました。
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