5 円形闘技場―――――――お嬢さん、その手を離してくれないか

「さあ、行きましょう」

 お姉さんがコウキに手を差し伸べた。


「……うん」


 モンスターはもう出てこないのか、鉄格子が上がることはなかった。イノシシの死体を避けて出口を探す。


 アレストの身体が目に入った。


「ちょっと待ってて」

 お姉さんに言って、アレストの方へ走る。


 近づくにつれ、足は重くなった。

 人間の形ではありえないような格好をしている。


「ビビリでごめんな、アレスト」

 コウキは途中で足を止めた。


 視線を落とすと、小さな袋が目に入った。

 アレストが吹き飛ばされたときを思い出す。懐から袋が飛び出し、一緒に宙を舞っていた。


 手に取ってよく見る。

 手のひらに収まる程の小さな袋だった。口を閉じるための紐が見たこともない結び目をしている。


「大事なものだよな? お前の家族に必ず渡すよ。オレを助けてくれたことも……勇敢だったことも必ず伝える」

 アレストに背を向ける。


 他の囚人たちの姿も目に刻む。勇敢に戦っていた姿を思い起こす。


「みんな、ごめんな。でも、ありがとう」

 コウキは駆け出した。




 お姉さんは鉄格子の前で兵士と話していた。


「出していただけませんか」

「規則だ。無理を言うな」


「ここでやることは全て終わったと思いますが」

「それでもだ」

 どうやら兵士は外に出す気はないようだった。


「ねえねえ、そんなこと言っていいの」

 あえて馴れ馴れしく言った。


「どういうことだ」


「さっきの見てなかったの? あの巨大イノシシを一撃だよ。この人怒らせたらどうなるかわかってる?」

 兵士はお姉さんを見た。目を丸くしている。


「この鉄格子だって余裕で切れるんじゃないかなあ。さっさと開けた方が賢明じゃない?」

「くっ」

 悔しそうな顔をすると兵士は後ろに指示を出した。


 鉄格子は音を立てて上がっていく。


「ご苦労さん」

 兵士の横を通り過ぎながら声をかけた。


「ああいうやり方は好ましくありませんね」

「でも、あそこで押し問答してるよりは建設的でしょ?」

 お姉さんは呆れるような顔を見せた。


 ここの通路も暗く、獣臭い。


「ところで名乗っていませんでしたね。私はキシスと言います」

「オレは朱雀煌騎すざく こうき。コウキでいいよ」

 二度目となると中二病の名前も恥ずかしくはなかった。




 外に出ると、石畳の街が広がっていた。


「やっぱり異世界ファンタジーだなあ」

 コウキは嬉しさのあまり見回す。


 レンガ造りの建物が並んでいる。


「おい、そこでとまれ」

 兵士が何人も駆けてくる。


 全員が槍を向け、ぐるりと取り囲まれた。


「おいおい、穏やかじゃないな」

 キシスが隣にいるだけで、落ち着いて対応ができた。闘技場の中のように死の恐怖は感じない。


「貴様、どうして闘技場の外にいる」

「どうしてって、モンスターは倒したし」

 自分では何もしていないが伏せておく。


「囚人が勝手に出歩くな」


「あ、そうだ。そもそも、どうしてオレが囚人になっているのか聞きたいんだけど。オレ何もしてないよ?」

「黙れ、大人しく牢屋にもどれ」

 取り囲む兵士たちは口々に叫ぶ。


「罪状をきちんと教えて欲しいだけだって。記憶がないから知りたいの」


「私が話します」

 キシスが一歩前に出た。


「彼は記憶がないと言っています。私も彼の罪状を知りたい。教えてもらえませんか」


「貴様も仲間か」

「一緒に牢屋にぶちこまれたいか」

 どうにも話が通用する相手には見えない。


「逃げません?」

 キシスに耳打ちする。


 ここにいる兵士たちは闘技場でのことを知らないようだった。キシスの強さを知っていれば、ここまで大きな態度はできないはずだ。


 腕を掴まれる。キシスが首を振った。


「逃げたところで、何も解決しません」

 なんとなく彼女の性格がわかった気がした。正直すぎる。


 コウキは頭を軽く振った。

 罪状に心あたりがないまま裁かれるつもりはない。そもそも、冤罪の可能性だってある。


 アレストの姿が思い浮かんだ。

 自分はすでに死の恐怖を味わっている。この上何をされるのか。


 キシスを置いて行こうと決めた。


 掴まれた腕を振り払おうと、力を込める。


 びくともしない。

 キシスがイノシシをあっさり倒した場面が浮かんだ。もっとも捕まってはいけない人物に捕まってしまったのかもしれない。


「ねえねえ、キシスさん。こいつらに何を言っても無駄ですよ。身に覚えのない罪で裁かれるのはゴメンです。逃してもらえませんか」


「彼らにそれを主張して、納得させればいいだけです」

「だめだこりゃ」

 味方だと思っていたキシスは一番厄介な敵だったのかもしれない。


「お前ら何してる」

 ごつい大男が兵士の間を割って入る。


「キシスどの。ここにいたんですか」

 男はなれなれしくキシスに話しかけた。


 一般の兵士とは違うようで、鎧が少し豪華だった。


「ゴットノートさんからも説明してください」


 ゴットノートと呼ばれた男はキシスの前に立ち、兵士に話しかける。


 このすきにと掴まれた腕を振り払おうとする。やはり、びくともしない。


「どうして逃げようとするのですか」

「だって、またモンスターと戦いたくないし。それとも、キシスさんがまた倒してくれる?」


「必要なら、そうしましょう」

「やったあ」

 身体を傾けて全力で逃げる。


「いった」

 掴まれた手首がもげそうになる。


 キシスは強く握っているわけでもないのに、振り払うことはできなかった。


 見かねたようにキシスはため息をつく。


「何もわからないまま逃げて、どうなるのですか」

「まずは身の安全が第一」


「私があなたを守ります」

「その台詞、オレが言いたかったなあ」

 コウキはすっかりあきらめ始めていた。


「とりあえず領主様の元に行きます。それでいいですか?」

 ゴットノートが振り返ってキシスに聞く。


「ええ。お願いします」

「死刑だけは勘弁」


「話せばわかってもらえます」

「そう甘くは行かないと思うけどなあ」


「私も聞きたいことがありますので、同行して弁護しましょう」

「それは心強い」

 別に嫌味で言ったわけではない。


 キシスは少しだけ眉間にシワを寄せたように見えた。


「あなたは、この世界のことを知りたくないのですか」

「ん? 世界?」


「私もあなたと同じで、この世界の住人ではありません」

 キシスはいつでも大真面目だった。

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