21 宿屋――――――――――今夜、あの娘の部屋に

 扉をノックする音がした。


「どうぞ」

 キシスが答えると、才蔵が入ってきた。


「こんな夜更けに何の用ですか」

「わかっておるだろう」


「ええ、まあ。いつかは来るだろうなと思っていました」

 才蔵は懐から何かを取り出す。


「それは?」

「お主は本なのだろう。拙者はこれだ」


「それは本なのですか」

「知らぬのか? これは巻物だ。忍者の必須アイテムであるぞ」


「知りません」

「ショックであるな」

 才蔵はしょんぼりする。


「互いに交換せぬか?」

「いいでしょう」

 キシスは本を渡し、巻物を受け取る。


 中を見るが、何も書かれていない。


「やはり、拙者たちでも読めぬか」

「問題はないでしょう」


「いや、同じものを見ているかどうか確認できぬ。これでは、嘘をつくことも可能だ」

「全員が同じ現実を生きているわけではありません」


「哲学だな」

 キシスは巻物を返し、本を受け取る。


「才蔵さんは、これをどう考えていますか」

「十中八九、コウキの力だろうな」


「同感です」

 キシスは本をめくる。


 今までのコウキの行動が一人称の小説として書かれていた。


 初めは一ページ目にのみ、文章が書かれており、後のページは白紙だった。次の日、二ページ目に文章が加わっていた。どうやら、コウキの行動が増えるごとに文章が追加されるようだ。


「コウキが、この物語の主人公ということでしょうね」


「だが、あくまでコウキの目から見た出来事を記録しているにすぎない。現実を変える力を持っているわけではないだろう。コウキにとって望ましくない展開が多すぎる。後から過去を改変するという力もなさそうだ」


「そこが疑問です。私達の授かった力と、均等とは思えません」

「そうとも言えないな。主人公補正というものがある」


「……なんですか、それは?」

「主人公だからこその運であったり、特殊な設定ということだ」


「例えば、死なないということですか?」

「はは、お主ではないのだ。それはない」

 才蔵をじっと見る。


「はは、今のは笑うところであるぞ。そもそも、物語の主人公だとしても死ぬ展開はよくあることだ。不死の保証はない。だが、コウキを中心にして事象が展開するというのは間違いがないだろう」

「私たちは脇役ということですか」


「ある意味ではそうだが、全てがそうとも言えない。我々はそれぞれ別の力を持って、この世界に存在している。特別な存在としては同等ということだ。コウキがたまたま特殊な力で観測しているというだけで、拙者が脇役ということではない。まあ、拙者は脇役でも一向に構わないがな。いずれにしてもコウキの元にいれば、楽しい出来事が続々と起こるということだ」


「それがあなたにとって、コウキのそばにいる理由ということですね」

「ああ、そうだ。お主は違うのか?」


「さあ」

 キシスはあえて言葉を濁した。


「それと、コウキは主人公でありつつ、自覚のない作者でもある。そして、我々は脇役でもあり読者でもある」

「それが何か?」


「コウキの心理描写が本当なら、我々はコウキの心の中まで知ることができるわけだ。簡単に主役、脇役と語れる関係ではない」

 確かに、心の中を誰かに覗かれたくはない。


「そうそう、案外これと同じものが元の世界で投稿されているかもしれないぞ」

 才蔵は巻物を手にして振る。


「どういうことですか?」

「コウキが語っていたではないか。自分は最底辺のウェブ作家だと。つまり、コウキの願いは自らの物語を誰かに伝えることだ。もっとも、こちらの世界の人間は対象ではないようだがな。それでも、我々が見れるということは元の世界の住人を対象にしているとも取れる。ならば、向こうの世界でウェブ投稿されている可能性はあるだろう」


「小説をウェブに投稿するのですか?」

「お主の国に小説投稿サイトはなかったのか?」


「そういったことは、詳しくありません」


「まあ、そんな気はしていたがな。いずれにしろ、拙者の推測が正しいなら、こちらと向こうの世界をつなぐ力とも言える。我らと比べて劣るということはないだろう?」

 キシスは、はっとした。


「こちらから、向こうにメッセージを送れるということですか」

「その通り。しかし、だからといって、お主が帰るために使えるとは思えんが」


「それでも……いえ、やめておきましょう。本当にメッセージを送れるかどうか、怪しいものです。仮にメッセージを送れたところで、何ができるわけでもありません」

「賢明な判断だ。お主としては、存在とやらの言っていたことを叶えるのが、もっとも近道だろう」


「あなたは、元の世界に戻りたくないのですか?」

「拙者は忍者になりたかった。この力を存分に振るえればそれでいい」


「ゴブリンを全滅させたときのようにですか」

「わかっているではないか」


「才蔵さん。あなたゴブリンを全滅させるとどうなるか、わかっていましたね」

「鋭いな。そのとおりだ」


「どこまで、知っていたのですか」

「ほぼ全てと言っていい。リンズワルムやらシュークレアやらの周辺を調べていたのでな。合流するまで時間がかかった。当然、村の連中がこそこそ計画していたことも知っておった」


「どうして、コウキの誤解を解こうとしなかったのですか」

「言ったであろう。力を使ってみたかったのだ。お主は、あの段階で何度も力を振るっていたではないか」


「私は必要に迫られたからです」

「変わらぬよ」


「では、どうしてコウキに全滅の判断をさせたのですか。あなたが一方的に力を振るうこともできたはずです」

「彼が主人公だからだ」


「それはあくまで彼の能力の話でしょう?」

「拙者がその手伝いをしても問題はない」


「私の考えとは違いますね」

「ならば力付くで従わせるか? おそらく拙者では、お主に勝てぬだろうからな」

 キシスは才蔵をじっと見た。


「この世界にいる異端者は私達、三人だけです。話し合いで解決しましょう」

「異端者と来たか。だが、その方がしっくり来るな」

 才蔵は笑う。


「少なくともコウキにこの力のことを話す気はない、ということでいいですね」

「ああ。拙者としても、コウキには知らぬまま自由に振る舞ってほしい。ただ、心配なのはむしろお主の方だ」


「どういうことですか」

「お主もコウキに主人公の力を知らせるつもりはないのだな?」


「もちろんです」

「その割に脇が甘い。初めの登場にしたって、あれはないだろう」


「コウキが死んでしまっては意味がありません。緊急事態だったのです。他にやりようはなかったでしょう」


「そうだとしても、自分からコウキと同じように、この世界の人間でないと言うのはおかしい。予めコウキのことを知っていたと告白するようなものだ」

「……そうですね」


「それに、コウキにお主の本を見せたときはさすがにヒヤッとしたぞ」

「ですが、それはあなたも同じでしょう?」


「はは、それを言われると厳しいものがあるな。まあ、互いに気をつけようではないか」

「そこは同感です。これからも情報交換をしたいところですが、構いませんか」


「拙者は問題ない。ところで、情報交換というなら、聞きたいことがあるのだがいいか?」

「どうぞ」


「お主の力についてだ。本当に、何ものにも屈することのない力を欲したのか?」

「そうですが」


「やはり、随分とあやふやなものだな。力の限界や範囲というものは試したか?」

「いいえ」


「それで、よく力を行使できるな」

「なんとなくできると思ったので、使ったまでです」


「やはり、底しれぬな」

「あなたは、どうなのですか」

「拙者の力は、お主のものと違って、できることは限定されている。忍者にできることのみだ」


「はあ」


「こうしてみると、コウキの意見に賛成せざるをえないな。おそらく、お主はそうと信じるなら、世界を破壊することも可能だろう」

「そこまでは思っていませんよ」


「いや、そこが重要だ。つまり、お主ができると信じることなら大概のことはできるということだ」

「それでは、あなた達と力の均衡が取れていないように思いますが」


「そこが更に面白いところだ。拙者の力は限定されているがゆえに扱いやすい。お主の力は不安定であるがゆえに使いにくい。そして、これは願いにも影響している。拙者は力を使いたいという欲求が形になっている。しかし、お主はむしろ力を使う気がないようだ」


「……そうでしょうね」


「やはり、元の世界への未練が強そうだな」

「勝手に私の心を推測しないでいただけますか」


「お主、向こうに赤子でも残してきたか?」

 キシスは冷たい目で才蔵を睨んだ。


「はは、お主はもう少し冗談を知ったほうが良いな。そうでなければ、こちらで生きていくのは難しいぞ」

「長くいるつもりは、ありません」


「お主の心は未だ向こうにあるということか。だからこその力だろうな」

「?」


「つまり、お主の力は拒否の力ということさ。この世界を拒否して、元の世界に戻るための物ということだ。お主ここ何日も寝ておらぬだろう? 食事も取ったふりをしているだけだ」

「監視していたのですか」


「他の者と注意力が違うだけだ。お主が不死というのは、言葉そのままということになる。この世界の出来事が全て夢のようなもので、実感すらないのだろう?」

「そうですね」


「正直、同情に値する」

「結構です。私にとって、ここでの出来事は全て虚構です」


「はは、やはり同情するよ。お主は少数派だ。拙者は力を行使するため、この世界にいる。そして、コウキを見てみろ。おそらく我らの中で最もこの世界に溶け込んでおるぞ。拙者たちのような極端な力を持っていないことも関係しているが、一番は記憶だ」


「元の世界の未練を断ち、この世界を楽しむために、自ら記憶をなくしたと?」

「そう考えるのが妥当ではないか?」


「そうかもしれませんね」

 キシスは才蔵とコウキに同情した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る