2 円形闘技場―――――――生首ころり
背中を押され、コウキは闘技場に出る。
ドスンという音が背後から響いた。
思わず飛び退き振り向く。鉄格子は下りていた。
「おい、お前」
鉄格子の向こうから兵士が声をかける。コウキのことを見ていた。
「オレのこと?」
兵士がうなずく。
鉄格子のそばまで近づくと、手をかざして制した。
「そこで止まって後ろを向け」
なんだかポリスメンに呼び止められたような感じがする。素直に従うと、背後でカチャカチャと音が鳴った。
最後にカチャリと音がすると、両手がだらんと下りる。見ると手錠が外されていた。
「アイム・フリー」
思わず叫んで両手を振り上げる。
「おい、これを」
兵士が鉄格子の向こうから何かを投げる。足元に落ちたのは鍵束だった。
「こっちもよろしく」
アレストが近づき背中を向けた。
「ああ、そういうこと」
鍵束を拾って、アレストの手錠に目を向ける。
コウキはぎょっとした。
アレストの左手は手首から先がなかった。手首からひじの部分は真っ黒でヒビがはいっている。
「ああ、それね。病気みたいなもんだよ」
声に憂いの響きはない。
鍵束の中から何個か試すとアレストの手錠は外れた。
他のむさ苦しい男達の手錠も同じように外していく。彼らは黙ったままだった。アレストには軽い印象があって話しやすかった。他の男達には悲壮感のようなものがあって、どうにも話しかけにくい。
「おい、いくぞ」
上から呼ぶ声がした。
見上げると壁の上に兵士の格好をした二人組がいる。
一つの袋を持って、揺らしていた。揺れが大きくなった瞬間に手を離すと、袋が落ちてきた。
ガシャンと金属音を立てると、様々な武器が散らばった。
どうやら袋ではなく、布に武器を入れて放り投げたようだった。むさい男達は無言のまま、武器を選んでいる。
「まさか、殺し合えってこと?」
コウキはアレストの方を向いた。
「はは、それなら最後の一人は生き残れそうだな」
かなり物騒な内容だった。ちっとも笑えない。
コウキは闘技場の前でアレストが言ったことを思い出す。
「何も知らないまま死ぬよりマシさ」
現実感はまったくない。信じる気もない。
地面に散らばる武器、円形闘技場の壁が否応なく死を意識させた。
むさ男達はそれぞれ武器を選び手にした。
大男が大斧を肩に担ぎ、コウキを見る。無表情な顔が意味するところを把握できない。大斧の刃は研ぎ澄まされているようで、太陽の光を鋭く反射した。
「俺たちも行こう」
アレストが声をかける。
「……ああ」
武器は多めに用意されていたようで、六人で一つづつ武器を選んでも残りそうだった。コウキは一番無難そうな両刃の剣を握る。
なんとか持ち上げるのがやっとだった。重すぎる。振るのは無理だろう。
仕方なく短剣を選んだ。アレストはレイピアのような細身の剣を手にしていた。
「これから、何をするんだ? まさか本当に殺し合いとかじゃないよね」
「結局、肝心なことは思い出せなかったんだな」
アレストは変わらず笑っている。この笑顔がなんとか平静を保たせてくれる。アレストがおらず、他のむさ男達と一緒だったらと考えるとゾッとした。
「それでは、皆様お待たせしました」
歓声をかき消すほどの大きな声がした。声の方を向くと、大柄な男が両手を広げている。
「これより始まりますのは、本日のメインイベント」
男の声は訓練されたもののようだった。腹から声を出しているのかよく響く。
「囚人達とモンスターの命をかけた死闘でございます」
「はい?」
コウキは思わず声を出す。
「彼らには、これから次々に登場するモンスターと戦っていただきます。最後の一人が死ぬまで戦いは続きます。彼らが長く生き残るほど、戦闘をお楽しみいただけるでしょう。さあ皆さん、彼らに惜しみない声援と拍手をお願いします」
やかましいほどの歓声が上がる。中には嘲笑も含まれていた。
「ずいぶんと低俗な観衆だな」
「そうか? こんなもんだろ」
アレストは気にもとめない。
確実に死が訪れると宣言されて、なお言葉には余裕があった。
コウキは右手の短剣に目を落とす。柄を握る手には力が思った以上に入っていたようだ。指は真っ赤になっている。
ゆっくりと力を抜いて短剣を左手に持ち変える。汗で湿った右手を腰で拭った。
闘技場の向こう側で音がした。
目を凝らす。五十メートルはありそうだった。鉄格子が横に三つ並んでいて、真ん中の鉄格子が上がっていく。その向こうに一つの影が見えた。
「モンスターってどんな感じ?」
「どんなって、人間じゃないのがモンスターとしか言えないな」
アレストは肩をすくめる。
青空の下に出てきたのは緑色の身体だった。
「もしかして、ゴブリン?」
手には棍棒のようなものを握っている。
異世界ファンタジーにぴったりの風貌だった。コウキは自分が書いていた小説が異世界ファンタジーだったと思い出す。
むさ男達は互いを見るばかりで、誰も踏み出さない。
「ちょっと行ってくるわ」
「おい、無理するなよ」
アレストは心配そうな声を出した。
なぜか勇気が湧いていた。ゴブリンに向かって歩く。
見慣れたザコモンスター。転生だか転移だかわからないけど、自分には何らかの力が付与されている。妙な確信があった。コウキはゴブリンの近くまでやってくる。
「とりあえず、試してみるか」
短剣を左手に持ち替える。ゴブリンに向かって右手をかざした。初めてやる動作に気恥ずかしさがある。
「ファ、ファイアボール」
声は上ずってうまく発音できない。
当然何も起こらない。気配すらなかった。
「まあまあ、あくまで実験だから」
コウキは自分をごまかすように言って、短剣を右手に持った。
ギャッと妙な音を出し、ゴブリンが威嚇してゆっくり近づいてくる。口は開かれギザギザの歯が顔を出す。急に肉食獣を前にしたような緊張感が湧いてくる。嫌な汗が背中を伝った。
「結構やばい?」
コウキはゴブリンの歯をじっと見た。噛み合わせは悪そうだ。歯を磨くのも大変だろう。妙なことを考え、恐怖を忘れようとする。
体格はこちらのほうが圧倒的に有利だ。子供相手だと思って落ち着け。
腰を落として構えると、ゴブリンはギャッと声を発して突進してきた。
咄嗟に右足を上げて前蹴りをする。
ゴッと妙な声を上げ、ゴブリンは吹っ飛んだ。うまい具合に腹を直撃した。
「いきなり飛びかかってくんなよ。あぶねえだろ、コラ」
言葉にして自らを鼓舞する。
右手の短剣に目を落とした。使い慣れていない武器を振り回すのは、かえって危険かもしれない。短剣を手放し、ゴブリンに近づく。
地面に手をついたゴブリンは、すぐに立ち上がった。都合のいいことに相手も棍棒を手放している。リーチはこちらのほうが上だ。
素早く近づき、パンチをくりだす。
確か脳を揺らすには顎をとらえればいいはず。ゴブリンの尖った顎と、ギザギザの歯が見えた。
ほぼ無意識に拳の軌道を変え、眉間を殴る。
ゴブリンはウギャッと唸り、その場に崩れ落ちた。まあ、そこもかなり痛いよね。
「よっしゃー」
コウキは痛む右手を高く上げた。どうだと言わんばかりに振り返る。
すぐ近くに男たちが立っていた。
知らぬ間に移動していたようだ。大斧を持った男が隣を無言で通り過ぎる。
「え?」
目で追うと、男はゴブリンの腹を踏みつけた。
「あんちゃんさ」
コウキに目を向けてから、大斧を振り上げる。
頂点で動きを止めた。刃が光る。
ガッと音がする。斧は振り下ろされていた。
ゴブリンの頭が向こうに転がっていく。
「まあ喜ぶのは、とどめを刺してからのほうがいいな」
背後にはアレストがいた。
横になったゴブリンはピクリとも動かない。血の海が広がっていく。
「うーん。グロい」
なんとか笑ってみせた。
笑顔がひきつっていたであろうことは、コウキにもわかった。
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