第30話 先生との約束

 場所を東家に移し、マリアにすべてを語った。

 少し先の未来、きつねソフトへの就職失敗で挫折した俺は躍起になってゲームを作り、過労死すること。そのときに生み出したキャラクターである翠さんが神様の力で現実世界にタイムスリップしてきたこと。クラスの担任となり俺の部屋の隣に引っ越してきたこと。翠さんは俺を手伝うことで同人エロゲを完成させ、俺の死を回避しようとしたこと。その計画が成功した結果、挫折した未来の俺が作った『しろクロこんたくと!』というゲームごと彼女は消滅してしまったこと。神様を名乗る女の子が現れて事の顛末を伝えてきたこと。

「きつねソフトに入れた俺は『しろクロこんたくと!』を書かなくなった。だから、この世界から翠さんが消滅した。誰も彼女のことを覚えていない。担任は佐藤先生に戻っているし、同人エロゲのCVは別の人に変わっていた。それなのに俺だけ翠さんと過ごした記憶が残っている」

 すぐ隣に座ったマリアは黙って俺の話を聞いてくれた。ずっと神妙な顔をしていて、時折、まばたきをする。

 一体、どんな風に考えているのだろう?

 頭がおかしくなったと思われても仕方ない内容だった。

「命を削って書けば『しろクロこんたくと!』がまた作れる。そうすれば伊月先生を助けられる。ヒロキはそう考えた」

「うん。頭がおかしくなったと思うだろ?」

「わたしはヒロキを信じる」

「ありがとう。俺だけ記憶が消えていない理由はエロゲの神様でも原因が分からないって言ってた」

 どうして俺だけなんだ。いや、俺だけでも覚えていたのは僥倖だとでも言っておくべきか。

 でなければ翠さんの存在は永遠に忘れ去られたままになっていたのだから。

 マリアが俺の顔を覗き込んでくる。さっきの泣き顔はもう消えていて、普段通りの平坦な表情になっていた。

「ヒロキにとって伊月先生ってなんなの?」

「なんなの……って聞かれても難しい。俺の師匠というか、娘というか……」

「その人と一緒に暮らしていたんでしょ」

「部屋が隣ってだけだよ」

「でも寝た」

 すごく引っかかりがある言い方だけど、酔い潰れた翠さんが俺の部屋で寝たことはある。

 煮え切らない俺にマリアは半眼になった。

「好きなんでしょ?」

「えっと、そういうわけでは」

「ヒロキは伊月先生が好き」

 いつになく圧が強い。これがさっきまで泣きそうだった女の子の態度なのかよ。

 押し潰されてこっちが泣いてしまいそうだった。結局、視線に耐えられなくなって認めざるを得なかった。

「そうだよ! でも好きってのは、家族として好きってことだよ。翠さんにも言ったんだ。死んだ母さんが帰ってきてくれたみたいだ……って!」

「マザコン……」

「そうだよ、悪いかよ!」

 気付けばいつものノリの言い合いになっている。暗く沈んだ雰囲気は消えかけていた。

 マリアは半眼になって顔を近づけてくる。

「じゃあ、どこが好きなの?」

「どこって」

「言って」

 これまたなかなか難しい質問で、答えられそうにない。寝不足と栄養不足で頭が冴えないのも手伝って俺は黙り込んでしまった。

 立ち姿が綺麗で声も美しい。笑顔は眩しく、知識豊富で、冗談はちょっと下品なのが多かったけどそれはまぁ許容範囲かな。

 そんな風に考えているとみるみるうちにマリアの顔が険しくなっていった。

「ま、マリア?」

「背が高くて巨乳なところが好き? それともむちむちの太もも?」

「いや、そういうのは」

「じゃあ、女教師属性を詰め込んだ白いジャケットスーツとタイトスカート?」

 待て。

 さっき、俺は翠さんに起こった経緯を話したけど姿格好のことは何も言及していないぞ?

 なんで翠さんの記憶が消えてしまったマリアが「白スーツを着ていた」ことを知っているんだ?

「それとも緑色でサラサラの髪がいいの? 人気出ないと思うけど」

 何に起こっているのかいまいち分からない。けど『緑色の髪』というキーワードを耳にした途端、俺はマリアの肩に掴みかかっていた。マリアの方は全く動じておらず、まるで俺の反応を予測していたかのようである。

「俺は翠さんの容姿を説明していない」

「ヒロキ、自分でいつも言ってるでしょ。キャラクターは作者の一面だ……って。それってつまり創った人間の中にもキャラクターは存在しているってこと」

 マリアはリュックサックからタブレットPCを取り出し、画面を突き付けてきた。光に照らされて眩しかったけどちょっと目が慣れると鮮やかな緑色が目に入る。

 キャラクターのイラストだった。タッチからしてマリアのもので間違いない。

 そのキャラは白いスーツを着た先生然とした姿の若い女性で、緑色の髪にアイスブルーの瞳をしている。

 画面をフリックすると三面図に表情集、それからコスチュームのバリエーションでバニーガール姿が映し出された。同人イベントのときに着てくれたものと同じである。

「この人が伊月先生でしょ?」

「そう、そうだよ! 翠さんだ! まさか、マリアも記憶が残っているのか!?」

「ほとんど忘れていたけどずっと頭に引っかかっていた。でも、こうやって描いているうちに確信できた。未来のヒロキがシナリオを描いたのなら、キャラクターの外見をデザインしたのは未来のわたしだったんだと思う。だからわたしも『伊月翠』の作者のひとり」

 頭を殴られたような衝撃を受けた。同時に途方もない絶望感は俺の中でスーッと晴れていく。創作論で自分が口にしていた「キャラクターは作者の一面」という言葉が、ちゃんと意味を持っていたことを知る。

「マリアが『しろクロこんたくと!』のキャラデザインをやったってことか」

「それなら納得がいく。わたしが原画を描けば傑作になるし売れる」

「大した自信だ」

「ボヤイッターのフォロワー三十万人は伊達じゃない」

 自然と笑ってしまった。

 この世界で伊月翠を知っている人間が二人になった瞬間である。

 がむしゃらに独り暗闇を走ろうとしていた。零れ落ちてしまったものを拾うためなら死んでもいいとさえ思っていた。その苦しみを「分けてほしい」と言ってくれた人が目の前にいる。

 どうして、翠さんが命懸けで俺を助けようとしてくれたのかようやくわかった気がした。

 翠さんだけじゃない。俺を事故から守ってくれた母さんのことも……

 だったら、死んじゃいけない。助けてもらった命なのだ。

「マリア、一生のお願いだ」

 ジッと瞳を見つめて手を取る。この指からは生み出された絵に幾度も感動し、励まされてきた。今は愛しいと素直にそう思える。

「俺と一緒にエロゲを作ってくれ」

「紙芝居じゃなくてエロゲ?」

「うん、エロゲ」

「台無し。最悪。あとエナドリ臭い」

 口汚く罵りながらもマリアは笑ってくれた。

 つられて俺も笑った。

「いいけど条件がある」

「言ってくれ」

「ちゃんと伊月先生の教えてくれたこと守って。わたしは伊月先生に宣戦布告した。ヒロキを愛して、一緒に生きるって。だから死んでもいいなんて考えちゃダメ」

「あの、俺の知らぬ間にすごいこと言ってるんですがそれは」

「約束」

「ちゃんと守るよ。翠さんが命懸けで教えてくれたこと」

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