第23話 酔った勢いでしちゃうこと

 イベントの後の打ち上げといえば焼肉である。これは古来より言い伝えられてきた伝統の儀式だ。俺たち『パソコン研究部』の四人は、その良き伝統に則ってそれはもう盛大な打ち上げをやった。電車で地元に帰ってきて、駅前にある一番お高い熟成肉のお店でレッツパーティーである。肉を焼き、肉を食らい、たまに野菜もつついた。高校生だからお酒は飲めないのでジュースで乾杯である。一方の翠さんは教師というガワを捨ててビールだの焼酎だの飲みに飲みまくった。無事にゲームが仕上がって千本以上売れたという嬉しさのあまりは全員がしゃぎ過ぎたので少しだけ反省している。

「ほら、アパートに着いたよ」

 マリアと志島には「伊月先生を家まで送るから」と別れている。不審な目で見られてしまったのは致し方ない。

 翠さんに肩を貸し、どうにか自宅まで戻った俺は隣の部屋の前で立ち止まる。表札には『伊月』と掲げられ……ている筈だったけど、なぜか取り払われていた。

 耳のすぐ横に翠さんの顔があるわけだが、呼気がすごく酒臭い。これまで俺の前で一度も飲んだことなかったので、こんな姿を見るのは初めてだ。それに思ったよりも体重が軽かった。俺と同じくらい背が高いのにマリアよりも軽い。そんなバカなと思いつつ、翠さんの顔を見る。

「イヤで~すぅ~ 今日はヒロキさんと一緒に寝ま~す」

 完全に酔っ払ってるじゃないか……

 仕方ないので俺の家に上げて、ベッドで横になってもらった。コップに半分ほどの水を差し出す。あとは服を緩めたほうがいいけど……

「あっついですねぇ、この部屋ぁ」

 自主的にやってくれた。ジャケットとブラウスとスカートを止める間も無く脱ぎ捨ててしまう。白い肌に黒いレースの下着が映えるけど、放っておいたらブラまで外しそうなので水を押し付けて飲んでもらった。ただの水なのに「ぷはぁっ!」っとビールでも飲むみたいなアクションをして翠さんは仰向けに寝転がる。

「チャンスですよ、ヒロキさ~ん」

「むしろピンチですよ俺」

「こ~んないい女が酔い潰れて下着姿で寝ているんですぅ~ 据え膳食わぬは何とやら。ささ、ウェルカムっ!」

 顔が赤いし、まだアルコールが抜けていないのだろう。だらんと脱力したまま怪しげな視線を送ってくる。いつもの翠さんなら揶揄うことはすれどここまでオープンにはならない。いくら俺でもぐらついてしまう。

 しかし、俺は俺でかなり疲れているから横になりたい。けど風呂にも入らず、歯も磨かないまま寝たくはなかった。我ながら衛生的になってしまったもんだ。

 とりあえず洗面所に行こうと翠さんに背を向ける。ベッドのスプリングが軋む音がして部屋の電気が消えた。立ち上がった翠さんがスイッチを切ったのだろう。わずかにカーテンの隙間から差し込む外の明かりだけが室内を照らしている。

 不意に背中に柔らかいものが当たった。言うまでもなく翠さんの胸である。肩の上から腕を回されてギュッと抱きしめられてしまったのだ。

 けれど不思議なほど体温を感じない。柔らかいのに冷たかった。

「翠さん、ダメだよ」

「ほらほら、充電ですよ~ ぎゅーっと」

 翠さんは俺の首筋に鼻先を当てて、スーッと息を吸い込む。くすぐったくて身悶えしてしまった。マリアと全く同じ仕草をされると困ってしまう。なにせ肉体のボリュームが全然違うからなぁ……

「ん?」

 そういえば、なんで翠さんは後ろから抱きつくのを『充電』と呼ぶんだろう?

 マリアがしょっちゅうやってくるから気にしていなかったけど……

 心臓がめいいっぱい血液を送り出してきたので脳が破裂しそうになった。その分、頭が冴えてくる。俺の中でとんでもない答え合わせが起こってしまう。

「もしかして翠さん、未来からタイムスリップしてきたマリアでした…… なんて言わないよね?」

 翠さんが未来から来たのはほぼ間違いない。今よりも先の時間に投稿されたボヤイッターをキャプチャしていて、行動や考えを知っていたから。けれど二次元の世界のエロゲキャラというのはあまりにも現実離れし過ぎていた。

 仮に。本当にタイムマシンでも存在したとして、ネットにもどこにも書いてないマリアの『充電』を知っているとしたら……それは本人と俺以外にあり得なかった。

「残念、ハズレです~ っていうか、私とマリアさんじゃ体格も声もぜんぜん違うじゃないですかぁ。もしかして私が二次元世界から来たのをまだ疑ってますかぁ?」

「だって『充電』ってやるのはマリアの癖だから」

「ヒロキさんが書いたシナリオだと、私は主人公くんに『充電』しまくっている痛い年上女ということになっているんです〜」

 そうだったか。紛らわしいぞ未来の俺。

 いくらなんでもその経験をシナリオにフィードバックしなくてもいいじゃないか。

「っていうか、ひどくないですかぁ? これから抱く女の前で、別の女の名前を出すなんて」

 抱き締める力が強くなった。肩の上に翠さんの細い顎が乗り、耳に息が吹きかかる。やはり体温と同じく冷たく感じた。

「翠さん、やっぱり酔ってるよ。水もっと飲んでおこう」

「誤魔化してますねぇ。それとも私が初めての女じゃイヤですか?」

「あ~……」

 なんともコメントしづらい。変な間をとってしまったのが災いして「もしかして経験済みですか?」なんて首を捻られてしまった。これだから酔っ払いは手に負えない。

「そうじゃなくてさ、なんつーか…… 気持ち悪がられるかもしれないけど、翠さんのことは家族だと思っているんだ」

「家族?」

「そう。翠さんはシナリオを書いた俺のことは父親みたいなものだって言ってたでしょ? 俺からすると、その……翠さんは娘というより、母さんみたいな感じなんだけど」

「ふ〜ん」

 暗闇の中、悪戯っぽい声がする。翠さんは俺を背後から抱き抱えたままベッドまで引っ張り、押し倒してきた。着地の衝撃で身体が跳ね上がって、ようやく暗さに慣れてきた目がアイスブルーの瞳を捉える。

 両腕を俺の頭の左右に突いて、覆い被さるように腹の上に乗っかっている。

 あの、逆じゃないですかねこういうのって……

「お母さんとエッチしちゃうエロゲだってありますよ? 授乳プレイにしましょうか?」

「そりゃゲームだからなぁ」

「せめてお姉さんと言って欲しかったですねぇ」

「ごめんなさい」

「ふふふっ、家族だと言ってもらえて嬉しいから許してあげます」

 俺の上にのしかかる翠さんは羽根みたいに軽い。不思議と触れられているという感触も希薄だった。

 しばらくそのまま動かず翠さんと見つめ合う。

 唐突に、喋りたいことが浮かんだ。この人にもと自分を知ってもらいたいと考えてしまったのである。

「母さんは離婚してて俺と二人で暮らしていた。でもさ、小学校のときに交通事故で亡くなった。俺は親父の家に引き取られたけど、再婚相手の継母や義妹と仲良くなれなくて家を出た。それで中学校上がる前から一人暮らししてる」

「……」

「みんな誤解するんだけど寂しくも悲しくもなかった。もともとマリア以外に友達なんていなかったし、独りの方が気楽でいい。けど、翠さんが来てから思ったんだ。母さんが生きていたらこんな感じの生活してたのかなって」

「自分の子供にエロゲの作り方を教える母親はいないと思いますよ?」

「そうだよなぁ。まぁ、勉強だったら熱心に教えるかもね。俺にとってはそういう感覚だったから」

 互いに顔を見合わせて笑ってしまった。

 それから随分と喋った。

 翠さんは俺の上から退いて俺の横に寝る。子供を寝かしつける母親みたいだ。

「じゃあ、ちょっとだけ母親っぽく話してもいいですか?」

「うん」

「夢を叶えるためよく頑張ったね、ヒロキ。すごいぞ」

 死んだ母さんにそっくりの口調で、翠さんは微笑んでくれた。

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